この前、セポイのことを書いたついでに、もしかして、歴史は研究が進んだり、体制の都合の良いように改悪されたりしているはずなので、昭和の時代とは随分歴史も変わったものと思われ調べてみると・・・まずは怪しいのが人物像だ。いまのところ、ほぼ本人ではないだろうといわれているのが、聖徳太子、源頼朝、足利尊氏、武田信玄・・・
有名なのは、1192(いい国)つくろう鎌倉幕府ではなくなっていることか。
モンゴルの襲来、暴風が襲ったのが幸いして追い払った、元寇という。みたいなことを習ったが、元寇という名前はなくなっとうようで、文永の役・弘安の役だけになっている。元と高麗軍だったらしいね。おまけに博多湾に到着したらしいじゃん、対馬、壱岐はやっちまったらしいじゃん。まあ、神風は別に吹いてないらしいね。モンゴル軍が海に慣れてないとか、急すぎて船が粗雑だとか。逆に倭寇というのもあったが、挑戦人もいたらしいね、いっぱい。
織田信長の火縄銃三段撃ち、どうやらなかったらしいです。おまけに武田に騎馬隊あったかもあやふや。馬も大きさはポニー程度。
確か、歴史の始まりは、アウストラロピテクスであったが、その後、いわゆるルーシーが発見されて、さらに古い化石が発見されている。
日本で一番古い通貨は和同開珎ではなくなっていて、富本銭になっている。
士農工商・・・教科書からは消えたらしい。農民が2番目にしたと習ったが、農民、職人、商人、はそれぞれの上下関係はない並列というか、比べるものでもなかった。移住や職業変更もちょこちょこ行われており、場合によっては購入したりして武士の身分になる農民もいた。これはなんだか聞いたことがある。
踏み絵は、絵踏みになったらしい。
百姓一揆は苦しい生活を訴えたものだが、割と領主も凶作や飢饉にそれなりに対応してきたのだが、たんまに厳しい領主がいたら、おいどないなっとんねん、と百姓が恫喝するという意味合いが大きく、打倒までは考えてなかった。幕府に直訴しても、処分されることもなかった。領主の場合も責任者2,3人処分して終わり。でないと、離散されたりして、自分の首を絞めてしまうから。武器を用いた一揆も基本的になかったらしい。
いろんなものにインスパイアされて、
まあ、そんな感じで、東京、大阪いてっました。というか、インスパイアされるって、パクリのことだよね。
象のホルマリン漬