何を隠そう神戸の長田はまずまず、縁の深いというか、懐かしい地域というか、まあ、そんな感じなのである。
なんとなく、地震の後、何度も放映されたが無茶苦茶になったこの地(ちょと離れてるけど)に立ち続けるキリスト像を思い出す。
JR(国鉄)新長田駅の駅前で、オカンは従兄弟の神戸支店で働いていた(というか、店番で、支店長兼トイレ掃除だけど)。確か俺が小学校低学年からオレが働き出しても働いていたのだが、そういった1995年頃だったか、家賃の値上げだったか、隣の寺と一緒に売却されたかで、少し先の別の場所に引っ越した。そして、社長(というか家内性手工業)であった母の兄が他界して、事業縮小となり、とうとう、やめた。やめたのは、何を隠そう1996年末である。そして空いた店舗にはすぐ中華料理店が入り、開店準備をしていた。そして1月17日、まだ開店もしていないのに店は潰れた。オカンは申し訳なさそうにしながらも、もし、あのまま店を出していたら1000万単位で損害を被っていた訳で、おにいちゃんが救ってくれたんやなあ、とつぶやいた。
その新長田は、高校の時の乗換駅で、そこから地下鉄に乗り換えるのだが、そりゃ、変なコースで、家から歩いて高校まで1時間。家から駅まで歩いて国鉄3駅のって新長田で地下鉄に乗り換えて3駅乗って、また10分歩いて電車待ち時間入れたら1時間。それで、地下鉄降りて、1分後発の国鉄まで猛ダッシュするのが、まあ、流行っていたのだ。何セ、会社員ジジイが1回死んだぐらいだから。
そんな訳で高校時代のオレと長田の親和性は高く、高校も長田出身者が多い。
それで、ちょっと無茶苦茶になった長田の一角、新長田の直ぐ南側の再開発地域が三国志をやっていたので見に行ったというか、ずっとやっていおる。
横山先生である。2009年10月直ぐ行った。
しかし、地震後、再開発で妙に新しく、妙に寒い。そして人はいない。
ほんまもらったんか、おれも映画みたけど。
長田出身の有名人は杉良太郎と、かつみさゆりのさゆりだ。ぼよよーん。
もうトニーレオン大昔からシンパシーだ。
長田はそばめしの発祥というのだが、まあ、オレも長田人も発祥というのは知らなかった。まあ、ぼっかけうどんという肉とこんやくのハーモニーうどんも生粋のソウルフードではあるけど。
でもリンチーリンはしらなんだ。
学生時代は、バイク乗ってて、必ずあの信号は無視しろという伝説があった。信号で停まっていたら物陰から人が出てきて鍵を抜かれるというのだ。いやはやそういう都市伝説を真顔で語る同級生もいたから1回はあったのだろうか。今は震災後すっかり変わっている。どう変わったのかは知らない。
シューズの町といわれるらしいが、在日朝鮮人、沖縄人、中国人、日本人、なんtなく仲良く混合地域で仲良くやっているン。
震災の頃、長田出身のこの方とは仲良くさせてもらっていて「トイモイ君。きみはいい人間になるよ」と予言されただけに、東野さんにはもう会えないんだ。インドにいる東野さんのところに遊びにいったんだよな。昔、といっても働いてからだけど。40歳頃から三菱かなんだかやめてゲージツ家になったんだけど、まあ、会社人たって、毎週末には三里塚まで通ってたんだから。
呂布2.6mの背丈はないじゃろ、まあ、諸葛孔明1.8メートル、それでも随分でかいな、劉備曹操が妥当な線じゃねえか。
長田といえば、沖合いに刈藻プールがあったが、今ネットで調べたら2009年にクローズ。せっかく、今、20年ぶりに「かるもプール」という単語を思い出したというのに・・・。
その地域というか、隣の兵庫区ではあるがそこの沖合いは三菱村であり、なんだったかなあ、大学の後輩Sが入院して、いついつ見舞いに来てくださいというので行ったら、彼女紹介されて、小声で、「結婚しようと思っているのですが、どうでしょう」と言われ「どっちでもいいんじゃね」と返答しておいた。(結局、別れて、その後、オレの相談なしに結婚して、結婚式直前の紹介となった。)とにかく、酒の肴に彼女と別れた原因を聞くと、吉兆に連れて行ったらまずいといわれてむかついたとのこと。それが理由じゃないことは、直ぐに分かった。
とにかく、長田は行っちゃ悪いが、ガラが悪いことに誇りを持っている。少なくとも私の若い時代は、中高生はそう思ってた。(でも意外と犯罪率は低い)いい人間になれずにすみません。