バブルは、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に日本で起こった資産価格の上昇と好景気のことだが、それに付随するエピソード自体がバブルだった。ただし多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのは1988年頃からで、1991年2月以降も少しの間はバブルの余韻は残っていた。
今、生きている言葉は、DINKSとおたくぐらいかな。
バブル時代は社会人ではなかったからな、まだ。まだ親のすねかじりの犯罪者だったからな。そもそもバブルという言葉が一般になったのは、弾けた後だったからね。
これは、ホント。実体験の私がいうから。でも、私は東京まで行きませんでしたね。京都までだね。
ある企業の人事担当者と親しくなって、その企業は、落とされて、担当者が申し訳ないねえ、僕がいいと思う企業紹介してあげるよ、と3つほど企業を紹介してくれて、そのうちのひとつの面接に行ったら、人事担当者に「その企業落とされてここ紹介されたの?何故その企業では君を採用しなかったの?」とバカにされた。いや、最もな質問である。俺が人事担当者でもそう質問する。でも、さすがにバブル時代は適当、京都やっぱ遠いなあーで終わり。(落とされたんだけど)
考えたら不思議だなあ。周りが、5社も10社も内定受けているのに、30社ぐらい行って、1社も内定にならないことに、焦りを感じてきていた。まあ、こっちも、1年で辞めると思っていたから、その態度が出ていたんだろうなあ。何セ、志望動機を聞かれて、いつも「えー、そうですねえ」と何の動機も答えられない、いや商社を受けていたから「誰も行かない僻地に行って、そこで現地化して売り込みはかります」とか言っていたのが悪かったかな。
就職、ドューダを前提に、職業のセンタクの自由アハハーンを前提にしつつ、これだけは恩恵を受けた。毎日1本は会社から電話がかかってくるんだ、そんな好景気でも一向に就職先決まらなかったけどよ。アハハーン。
みんなDCブランドものに、着飾ってよ、俺の、数珠&草履スタイル、今頃はやりよる。いや、DCブランドは廃れて、もはや海外ブランドの世界だったな。アルマーニにジーンズがあるのも知ったあのころ、女たちはちゃんと、パリを目ざしよった。俺が印度を目ざすように。同じようなものだ。そういえば、ブランドといえば、ハウスマヌカンっていたよね、いやはや、ああゆう店に入ることは無かったけど、足を一歩だけいれてみて、俺も勇気あるやろと友達に自慢したのも昨日のことのようだぜ。
ウエブの時代ではなかったので、リクルートや日経なんとかや毎日なんとかから勝手に1メートルに及ぶ企業雑誌が勝手に送られてきて、1ページも見ませんよという状態が続き、学校に就職活動課というか、専用のブースがあることにも夏過ぎるまで気がつかなかった。
企業は血眼で人を集め、監禁し、東京に何社も同時に行き、交通費稼いでバイトするような奴とか、何処にいっても食事時に連れて行かれるとか、みんなスゲーなと思いつつ、内定をすでに5社以上取っているものばかりに、気がつけばなっていたのであった。俺も就職活動本気でしなければならないのではないかと。
今や、フリーターは凋落の一途だが、当時は、若い頃はフリーターのほうが時給がよく、正社員より金回りもいいので、フリーターを選んだり、いまやっているバイト先で就職だという者もいると聞いた。
フリーターって、プータローって言ってなかったか?とオレは思い出し、危うく、目先だけの気楽さと時給の良さだけで、フリーターになるところであった。というか、考えたのは3分もなかったけど。
しかし、学生時代にブラブラして堕落していた私と、そんなに働かんでもええやん的アジア的ムードと快楽にどっぷり浸かっていた私は、暫く働いて、金貯めて、また旅に出て、就職して、また旅してを繰り返すか、とも思ったが、もしかしたら、就職がいつでも出来て人手不足なのは今だけかもしれない。いや、職種さえ選ばなければそういう生活もできるだろうとは思ったが、アジアでだらけた30代、40代、50代の人を見て、羨ましいなあと思える人は、さすがにおらず、職業としては、夏山のロッジに夏に働き、冬は旅行とか、夏は潜水業で漁業し1年分ためて冬は旅行という人ぐらいがまあ、まともな人で、あとは、面白おかしい訪問販売やトラック運転手や怪しい仕事やを聞いたが、そうですかという感じで、うようよしていた、自称ジャーナリスト、カメラマン・・・勘弁してくれよであった。
さすがに噂聞いてて、周りはそうやってイキってたけど、さすがに私には関係なし。バイトしてたか日本にいなかったか。
こういうのも関係なかったが、24時間戦えますかとか私の彼はサラリーマンとか、バブルの曲、何だか歌っている奴らみて、イヤーな気がした。
実は、こう書いているけど、ジュリアナとかはバブル後なんだよねえ。しかし、まあ、ディスコ(今のクラブ)って行かなかったなあ。東京で一回六本木行ったけど、その日も気が乗らなかったけど、ASID食ったからさ。
映画は大体見てるな、私をスキーに連れてって以外。
あの頃は、服を買うのも日本経済調べでは2倍だったそうだ。今はユニクロだ、ユニクロが生まれたのはバブル頃で、まだ直接生産はしてなかったし、対象は若年層だった。
実は、ゲームにもちっともはまらなかった
バブル期は三高といわれていて、今は三低という時代が来ているという。低収入、低脳、低級ではない。低リスク、低姿勢、低依存らしい。私はバブルの頃は、まあ年齢がばれるから言わないけど、学生時代だったので、なんと、その頃から三高だったのだ。高収入、高身長、高学歴だ。勿論当時の小学生と比較してだ。とにかく、多分、高校生より、身長以外は、誰よりも学歴が高く、まあ、収入もたいていは、高かったと思う。いや、今だって、自分の会社内では、20代の社員の誰よりも高収入であり、ほんの身長や学歴が負けているぐらいだ。おまけに20代の同社社員の誰よりも税金を払っている日本国家からみたら、社内で20代のだれよりも有用な人間なのである。はっきりいって自信をもっていえる。いえるが、仕事量や、才能や、効率や体力では、同社20代社員の誰よりも負けているが、そういうことはあまり問題ではない。