二十歳のある日、横浜駅にある昔風の喫茶店に入った。何故だかは覚えていないが、そこから成田に向かう中で、時間があったので、少し整理もあって入ったのだと思う。パスポートを脇に置いて何か調べたり書いたりしている中、ウエイトレスのおばちゃんが、注文を聞くのではなく、声を掛けてきた。
「あれ、外国に行くんですか。私の息子もアメリカ行ってましたけども、どちらに行かれるのですか」
「あ、いや、まあ、アジアのほうです」
「何故アメリカやヨーロッパに行かれないのですか?」
え、あ、高いから行けないとか、ただアジアが好きなんですとか、意味が分かりません、とか一瞬回答がぐるぐる回ったのだが、おばちゃんは何故か頷き、「ああ、学ぶものがない・・・」と少しうらやまし呆れ気味に言った。
いや、学ぶというか、遊びに行くからなあ。と思ったが、無意味にあ「ああ、ま、そうですかね」というような含みを残しながら、まあ思想信条は割と後からついてくるからなあ、ノンポリだからなあ、と思った。
そして、成田に到着し、何故か(前日記述の通り同じチェックインカウンターの前に並んでいたのだろう。)知り合った男性とお茶を飲んだ。物静かな男で、大学は東大であり、東大が自分の大学を告白する時は、「いちおう東大です」と「いちおう」という形容詞が、つくのが常であった。学生時代私のであった東大生は、皆、謙遜で、当然賢く、そしてやる気がなかった。覇気がなかったというべきか。賢すぎて見切ったか、完全モラトリアムであった。彼のその類の人で、最後にこういった。
「アジアで、インドで何かを学ぼうとしているのでよ」
そのときは、同じ学生として、何だか、ソレに対して詰めてしまった気がする。大人気ない。多分、「インド行っても人生感これっぽっちも変わりませんよ」って言ったと思う。「まあ、人生感は変わらなくても、日本人社会や日本会社にとって都合の悪い方向や癖や思想になっちゃうかも知れませんけどね」とも言ったかもしれない。
そのとき、私の脳裏にはいくつかの過去のシーンが思い浮かんだ。
フィリピンのマニラの
日本食レストラン「伊勢屋」で着物を着たフィリピン人が注文をとりにきて、メニューを見ながら彼女をチラッと見たら、有線に合わせて腰をくねらせていた光景を。
フィリピンのセブシティのYMCAに泊まっていて、電話があり「ハーイ、昨晩出会ったジョイです~(オカマ)、今から遊びに行きますね~」といわれて、2時間待っても来なかったので(というか、来られても、昨日、オカマと飲んだかな、と記憶があやふや)、
ボホール島のチョコレートヒルズに行こうと港に行くと1日2便しかなく、出たばかりで茫然つぉした自分の光景。
タイの
ペチャブリのバスステーションのジュース売りの一人だけが英語を堪能に話し、「君のバス代は10バーツだが、君の自転車をバスに乗せて運ぶ料金も別途10バーツだよ。分かるカイ?」と言われたときの、何故かバス会社と何の関係もないのに、得意げな顔。
3つのシーンが思い出され、東大生に、またどこかで会うかも知れませんね。少なくとも同じ便ですからね。と言った。