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2009年03月26日
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カテゴリ:環境

 先に書いた経団連の意見広告について、肝心なことをひとつ書き忘れていたので補足。その意見広告の主見出しにそえて、「日本は世界トップレベルの低炭素社会です」と大活字の文章があったのだが、これを斬るのをうっかり忘れていた。

 ここにいう「低炭素社会」は、破局的な地球温暖化を克服しうる未来社会の基本的スキームを端的に表現する言葉だ。最近、海外では「低炭素経済」という言葉の方がよく使われたりもしている。いずれもその意味するところは明瞭で、石油や石炭など地下から掘り出す化石燃料に、基本的に依存しない社会経済システムを指す。

 地球温暖化に関する科学的知見でもっとも権威ある組織IPCC(=国連気候変動に関する政府間パネル)は、一昨年発表した第4次評価報告書において、今後の破局的な温暖化を防ぐには、ここ10~15年のうちに人為的な温暖化ガスの排出を世界規模で増勢から減勢に転じ(「ピークアウト」という)、2050年には1990年比で最低でも世界平均で半減、日本など途上国の何倍も出している先進国は80~95%減らすことが必要だとしている。

 二酸化炭素など温暖化ガスの排出を80~95%も減らした社会を想像してみてほしい。これこそがまさに低炭素社会なのであって、石油や石炭を燃やすなどということは、例外的なケースを除き存在しない世界なのだ。もはやそこには火力発電もなければ、ガソリンで走る自動車もコークスを燃やして鉄を作ることもない。人間の暮らしに必要なエネルギーの大半は、光や風や植物や、総じて太陽のめぐみに依拠することになるはずだ。

 こうした未来像からすぐに理解できることは、低炭素社会は省エネの発展線上にいつのまにか実現できるような社会ではなく、非常にラディカルな自然へのエネルギーシフトをベースとする、根本的な社会システムの大転換なしには到達できないということだ。低炭素社会作りはまちがいなく、産業革命をすら遙かに凌駕する人類史的な挑戦になる。

 それは、人類のみには限らないこの地上の多くの生物種の存続をかけた、まさに低炭素「革命」と呼ぶにふさわしい大事業になるだろう。付け加えていえば、この革命には時間との競争にも勝ち抜かねばならない厳しい条件が課せられている。だが、もはや人類に残された時間はそう長くはなく、成否は楽観を許さない。ボヤボヤしている暇はないのだ。

 経団連の意見広告は、「私たちは、石油危機以降、家庭も産業も省エネルギー努力を推進してきました」「その結果、日本は既に世界トップレベルの低炭素社会になっています」と書いている。 …「既になっている」だとお!? もう言うまでもないだろうが、低炭素社会についての理解が根本的に誤っている。たしかに、日本のエネルギー効率は世界の平均点以上ではあろうが、温暖化ガスの排出量は世界第4位、一人あたりにすれば途上国の数倍~十数倍も大量に出しているのだ。多少効率はよくても、化石燃料に依拠する限りトータルの排出量で温暖化は確実に進み、やがて人類は破滅の危機に瀕するだろう。

 繰り返しになるが、低炭素社会は多少省エネが進んだ社会などではない。そもそも経団連のココロザシが低いのか、それとも頭が悪いのか、さもなくば意図して混乱させようとしているのか、ともあれ、これから人類が心を一つにしてめざすべき「低炭素社会」の姿をゆがめ、泥を塗るような語法は許せない。

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最終更新日  2009年03月27日 10時02分08秒
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