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2005.07.19
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カテゴリ:調べもの
「…お久しぶりです、高村先生!」
 昼休み、屋上に出向くと、村雨は満面の笑顔で高村を迎えた。可愛いじゃないか、と彼は思った。
「久しぶり…久しぶり、かなあ」
 よいしょ、とコンクリートの上に腰を下ろしながら、高村はつぶやく。
「久しぶりですよ。だって、週末はさんでるし、先生、昨日来ないし」
「ああ…」
 確かに昨日は、遠野の件でばたばたしていたので、昼の時間そのものがずれ込んでしまったのだ。
「それにしても、高村先生、今日元気無いですね、何か遅かったし…」
「何っか、ねえ」
 ふう、とコンビニで朝買ってきたおにぎりをごろごろ、と転がす。
「授業やっていた方が気が楽って実習ってありかな、って感じだよ」
「そんなに、それ以外のことも、色々あるんですか?」
 村雨は眼鏡の下の目を丸くする。
「あるって言うか…ほら、君と同じ学年の、遠野さん、知ってる?」
「知ってるも何も、有名人ですから…」
「うん、何か彼女のこととか、化学実験室で、妙な染みがあったこととか」
「妙な染み?」
 村雨は首をかしげる。
「たぶんインクか何かを一気にこぼしたんだと思うよ。だけどあの机も隙間が狭いから、きっとこぼしたまま、拭けなかったんだな。ただそれを見て、五年生、少し騒いでしまって」
「確かに、あそこの机って、掃除には向いてませんね」
「うん。オレもそう思う。だけどまあ、別に動かす様に作られている訳じゃあないから、いいんだろうな。きっと校舎の解体でもした時には、下に凄い量のほこりが出てくるんじゃないかなあ?」
 こんな風に、と彼は手で雲の様な形を作った。
「…それで、遠野さん、結局、転校したんですか?」
「転校…らしいね。オレにはさっぱり判らないけど。君等はどう聞いてるの?」
「私達は、もう。急に自主退学した、とか転校した、とか聞く分ですよ」
「そういうこと、良くあるのかなあ」
「良くって言うか…でも一年に一人は、聞きますね。だいたい」
「ふうん」
 やっぱりあるのか、と高村は思った。
 彼もまた、思い出していた。
 週末、山東と会った後から、寝付きが悪くなっている。
 そんな、眠りにつくまでの長い時間に、ずっと忘れていた記憶が戻ってくるのを感じていた。
 確かに、自分が中等に居た頃も、そういうことはあった。確実にあった。ただ、小学校の頃程、頻繁ではないから、当時は疑問にも思わなかっただけなのだ。
「…あのさ、村雨さんは小学校の時、あちこちに回された方?」
「私ですか?」
 そうですね、と彼女は空を見上げ、何度かうなづいた。
「そう…でしたね。人並みには、何回か、学校変わりましたよ。でもそれなりに、最終的には、落ち着きましたけど」
「人並みに、ね」
「先生は、違うんですか?」
「オレ等の頃くらいまでは、そういうのは無かったから。だからそう、転校は、確かにあの頃は多かったな」
「それで、理系に?」
「最終的にはね。君はもう、文系以外の何ものでもない、って感じだけどね」
「そうですね。確かに、それ以外何も無いし…」
 ふふ、と彼女はまた空を眺める。
「そう言えば、先生、実習終わったら、また大学ですか?」
 唐突に彼女は話題を変えた。
「あ、ああ」
「機会があったら、私、遊びに行ってもいいですか?」
「それはいいけど…でも君、オレ化学だよ」
 彼女と化学の接点が、彼には思い浮かばなかった。
 ふふふ、と彼女は笑う。
「ほら、何となく、縁が無いところだから、興味があるんです。私と化学って、似合わないでしょう? 知り合いでもなくちゃ、絶対入ることなんかできそうにない場所じゃないですか」
 縁の無いところ、ね。あまり説得力のある理由とは思えなかったが。似合わないというのは納得が行くのだが。
「いいよ。でもちゃんと、オレが実習終わったらね」
「ありがとうございます。あ、じゃあ私の携帯の番号…」


  
「何か君、本当に毎日毎日、忙しない実習になってきましたねえ」
「はあ」
 高村には、そう答えることしかできなかった。
「…インク、ですか」
 茶を前にしながら何かを折る森岡は、ふう、とため息をついた。はい、と高村はうなづく。
「…と言っておいたんですが、ちょっと気になって、オレ、後でその床を水で拭いてみたんです」
「水で。ほう。それでどうなりました?」
「ほうろうの流しが、…赤黒…色に。溶けきってしまうと真っ赤に…」
「赤黒色。ちょっとそれは、インクの色じゃ、ないような気がしますねえ」
「ええ。ですので、ちょっと、お借りしたい薬品があるんですが」
「ルミノール反応を見るんだったら、駄目ですよ」
 即座に森岡は切り返した。だがその手の止まる様子は無い。
「森岡先生」
「それは、インクであるべきでしょう。だから駄目。…で、そのことは、南雲さんに言いましたか?」
「南雲先生がご覧になっている授業で、見つかったんですが」
 んー、と森岡は口元をきゅっと閉じると、ようやく手を止め、顔を上げた。
「あんまり、先走るんじゃないですよ、高村君」
「先走る、って」
「物事は、なるようにしかならない、ということです」
 それだけ言うと、森岡は視線をTVへと移した。この時間はローカルニュースの様である。
「…全くもって、平和なニュースが多くて、いいですねえ」
「え?」
 不意のつぶやきに、高村はどう反応すべきか迷った。
「昔、私がまだ子供や学生の頃なんてねえ、残酷な事件が多かったもんですよ」
「はあ」
「それも、中等に行く位の子供達が、意味も無く、人を殺したり。またそれを、TVの方も、これでもかこれでもかとばかりに報道したものです。動機とか、背景とか」
「そうだったんですか?」
「昔は、ね。まあ、政府の長期展望の教育改革も功を奏して、今はそういうこともほとんど聞かないから、いいじゃないですかね。いい世の中になったってことでしょう」
 はあ、と高村はうなづいてみせる。だがどうしても、その口調からは、その逆の意味しか感じられなかった。
「…おや、高村君、君の携帯、鳴ってませんか?」
 あ、と彼はズボンのポケットに手を突っ込む。
「よく判りましたね」
「いや、画面が揺れるんですよ」
 ああそうか、と彼は思う。音は立てない設定にしてあるのだ。
「…はい?」
『…高村さん、高村さん、遠野が…本当ですか?』
「え?」
 その声は。
「山東君、…か?」
 森岡の視線がちら、と高村の方を向いた。
『…今朝、あいつの家を見に行ったら、いきなり鍵がかかってて』
「まさか、また、引っ越した、とか」
『そうですよ。見た訳じゃないけれど、隣の人が、昨夜遅く、何か、引っ越し業者が来たとか何とか…』
 何だそれは。
 高村もさすがにぞっとするものを感じた。遠野に関しては、昨日、学校に両親が怒鳴り込んで来ていたはずなのだ。つまり、「両親の引っ越し」に遠野がついて行った訳ではない。
『高村さん、そっちで何か、判ることはありますか?』
「オレには…」
 ちら、と森岡の方を見る。
「…後で会おう。また連絡する」
 呼び止める相手の声を半分無視する形になって、彼は通話を切った。
「…すみません、今日、今から帰ってもいいですか? 急用なんです」
「急用」
「…はい」
「別にいいですけど、ちゃんと指導案は書いておいて下さいよ。南雲さんはどうも忙しそうで、君の相手はまるでできそうにない様ですから」
 ありがとうございます、と彼は頭をさげ、それから一分も経たないうちに、化学準備室から飛び出していた。





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最終更新日  2005.07.19 06:34:21
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