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カテゴリ:時代?もの2
兼雅は一条殿から戻ると、尚侍にため息まじりでこぼす。
「ここ数年、一条のことは心に掛かっていたけど、女達が待っているだろうと思うと何となく気が重くて行けなかったんだ」 尚侍は黙って兼雅の話を聞く。このひとは決して強くない。いいひとだが、それが万人に対してのものではない。尚侍はそれを良く知っている。 「それで人が居なくなったと聞いたので、今後の建物のことの管理のこともあるし、行ってきたんだ」 「そうですか…… 如何でした? あなたから見たご様子は」 「辛くなったよ」 そう言って兼雅は尚侍の膝に甘える。 「ただただ色々屋がある広い家に、もう住む人も居なくて荒れ果ててしまってね。気配も音も無くて、ただもう草木ばかりが風にそよぐ音ばかり」 荒涼とした風景が尚侍の心の中にも浮かぶ。ああこれは。彼女はふと、自分が昔住んでいた場所を思い出す。京極。 そっと硯を引き寄せると、彼女はさらさらとこう書き付ける。 「―――あなたを待ちあぐんで、私はいつも尾上の滝のような涙を流していました。それに比べあなたはその頃、一条に通って住み心地が良かったのでしょう」 ひらり、と彼女はその歌を夫に見せる。 「自分のかつての身につまされて同情?」 「私は嫌な女ですから、今こうやって『あの頃』とばかりに書けるということが幸福じゃないかと思いますのよ」 実際そうなのだ。 誰を迎えたにせよ、兼雅がずっと過ごすのはこの尚侍の所ばかりなのだ。 女三宮にはあえて贈り物などをする訳ではない。 かと言って冷淡にするという訳ではない。彼女はわざわざ贈り物などされなくとも裕福なのだ。 兼雅の屋敷内に居る、ということだけで、彼女の元には兼雅の家来が何かとあちこちの荘園から物が持ち込まれる。 また同腹の宮達からも、あちこち移り住みする彼女を心配し、何かと贈り物をして豊かな生活をさせている。 「あれは生来のものだな」 兼雅はそう思う。自分が居なくとも彼女にはあれこれと世話をしてくれる人が居るのだ。そして彼女自身にもそうさせたくなる様な何ががあるのだ、と。 一方中の君は、と言えば女三宮の様に心配してくれる身内が誰も居ない。なので兼雅や尚侍は、贈り物があるとそれをいつも少しずつ中の君に分けてやる。 そして、兼雅はこの二人の元には夕方に出向くことはあっても泊まることはなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.08.12 21:14:56
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