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2018.01.11
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カテゴリ:うつほ物語
その五の一 祐純、あて宮に会って愚痴と夢の話を聞く


 暫くしたある日、正頼が参内し、帝の御前へと伺候した。

「ずいぶんと長く顔を見せなかったな」
「はい。我が家にお産の穢れがありましたので、その関係でしばらくは」
「おお、そうだったな。その間のことはどうだったのか?」

 帝は問いかける。彼もまた、娘の初産のことが聞きたくて仕方がなかったのだ。

「この頃殿上している男どもが、そなたの所で起こった興味深いことをあれこれと噂するのでな」
「は」
「そうそう、涼が行正を笑ったとはどういうことかな」
「いやまあそれは逆… いえ、別に変わったことはございませんでした。ただ、兼雅の北の方が琴を弾いた時には、非常に趣深うございました」
「その琴はどういう由緒があるのか」
「何でも、尚侍が昔から弾いていた『りゅうかく』というものだと聞いています。そしてその琴は、生まれた子に与えたとのこと」
「おお、その子は素晴らしいものを手に入れたものだな」
「全く左様にございます」

 すると帝は声を少し低める。

「…仲忠はその子のことをどう思っているのかな。可愛いと思っているだろうか」

 おや、と正頼は思う。心配なさっているのだろう、と。

「存じません。あれがどう思っているか、までは… ただ、こういうことを聞きました。子が生まれるとすぐに、喜んで舞を致したということです。そして毎日、夜昼問わず懐に入れて離さないのでございます」

 そしてようやくほっとして帝は微笑んだ。

「そうか、満足しているのだな。どういう訳か知らないが、あの一族は女も賢い様だから、良かった良かった。…さて、仲忠にも何か祝いをしてやりたいものだが… 九日の夜の産養に行われた管弦はどうだったか?」
「琴を三つ、同じ調子にして弾きました。琵琶を女一宮、下さった和琴は院が大宮に御下賜になった『きりかぜ』という琴でございました。奥に置いておいた笛を誰かれに渡し、仲忠自身は横笛を吹きました」
「それは素晴らしい。何につけても心を込めてやったのは、子の生まれたことを嬉しいのだろう。きっと自分の手を伝えようと思っているのだろうな」
「本人もそう申しておりました。琴の秘曲を伝える人がなくてどうしようと思っていたところに生まれてよかった、と」
「あれにしては珍しく、我を忘れて喜んでいたということだな。仲忠も得意になってそんなことを言ったと見える。面白いことだ。音楽の家なども、なかなかの技量ならば、位を与えられても当然だろう。ところで和琴や琵琶は他には誰が弾いたのだ? 笙の笛は?」

 帝は身を乗り出して詳しく聞きたがる。

「笙は弾正宮が。琴などは誰だったのでしょうか。何にしても、全てが一つ調子に合って、外れるということがありませんでした」
「そういう合奏に、一宮が寝たままで琵琶を弾いたのか?」

 そう帝は言うと、嬉しそうに笑う。

「仁寿殿も和琴が上手いが。誰も彼もたいそう素晴らしかった夜だな。これを直接聴くことができたらな…」

 思う様にならない身を帝はしんみりと嘆く。ことに音楽に関しては並々ならぬ執着を見せる帝のことである。残念だったろう、と正頼は思う。



 一方その頃、藤壺には祐純が居た。
 ここ最近の我が家での出来事を彼は暫くつらつらと並べていたが、やがて話題は女一宮の産養に移った。
 すると藤壺はふう、とため息をついた。

「どうなさいましたか?」

 祐純は問いかける。

「いえ、宮は幸せですね、と思って」
「…それが」
「入内した私なんかより、ずっと良かったということですわ、兄上」
「! 何をおっしゃいます」
「だってそうではありませんか」

 ふい、と藤壺は横を向く。

「あの方は皆が奥ゆかしい、素晴らしいと評判の仲忠どのと結ばれ、ただ一人の女として守られ、安心してお暮らしなんでしょう?」
「…御方」

 祐純は言葉に詰まる。

「私なぞ、ろくでも無い何かと嫌な噂やら眼差しやら… 東宮さまに嫌なことを吹き込む者も居ます。そんな中に放り出されて、いつも憂鬱です」

 声の調子が今までとは違っている。祐純にはそう感じられた。

「東宮さまご自身も、さしてぱっとした方ではございませんし、その東宮さまですら、何かと面倒なことが起こりがちなので、最近では顔をお合わせすることもないのです」

 何を言い出すのだ、と祐純は驚く。そんな兄の思いなど余所に、彼女は続ける。

「東宮さまは、私がいつも不機嫌なのが面白くないのです。私、気が付くと、里に居たころのことばかり考えています。さして長く生きる世の中という訳でもないのにどうしてまあ、こんな所に来てしまったのか、と…」
「そんなこと… 御方、何てことをおっしゃる」

 祐純は慌てて口を挟む。

「ゆめゆめそんなことを口にしてはなりません。東宮さまは性格も学問にも優れた方です。管弦なども誰と比べても劣ってはいらっしゃらないお方です。宮仕えなさる方には競争者が多いくらいの方が良いのです。人を羨んだりするのは…」

 そしてふと思いつく。

「御方、誰か、昔の懸想人の中に格別お心に止まった方がいましたか?」

 藤壺はぴくり、と扇を震わせた。祐純はその隙を突くかの様に言葉を投げかける。 

「言い当てましょうか。仲忠でしょう」
「それは」

 息を呑む音が祐純には聞こえる様だった。

「当時彼は身分は低かった。それでもあなたは何かと彼には御返事をしたそうではないですか」
「…あの方は筆跡が見事でしたから… それが見たかっただけですわ」
「では今はどうですか? 見る機会は今でもございますでしょう。彼はまた大層上手になった様ですが」
「先日、女一宮に消息を申し上げたら、あちらから代筆で返事が来ました」
「その文を見せていただけますか?」
「え…」
「無論、何か彼からの私事もあるでしょう。そうそう、昔あなたに文を送った中には、今でも何かと思いをほのめかす者もあるのでは?」
「誰も」

 ぽつりと藤壺はつぶやいた。

「そんな人、誰も居ませんわ、兄上。実忠どのなど、未だに私を恨んでいるでしょう。でもそれこそ、本当に私のことを思っていたということでしょうね。他には私に誠実だった方なんて」
「兼雅どのはあなたがお断りしたからこれと言った御消息もなさらなくなったのでしょう」
「そうでなくとも、元々仲忠どのの母君以外に脇見をする様なひとではないでしょう」

 それはそうだ、と祐純は思う。だがこれだけは、と。

「仲忠は、結婚には元々気が進まなかったのです。そこを我等が父上が説き伏せて話をまとめられたのですよ。けどその結果として、彼が今、一宮と楽しく暮らしている訳です。その彼と今でも消息を交わすのはあまり誉められたものではありませんね――― また下手な噂を増やしたくは無いでしょう?」
「…」
「今でもあなたが入内なさったことを嘆くひとは多いのですよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。例えば弾正宮。彼などはどうしようもなくてあきらめたのでしょうが、それ以来、どんな結婚話にもがんとして首を縦に振りませんのですよ」
「彼が私のことを本気でそう思っているとも考えにくかったのです。それに」
「それに?」

 祐純は問い返す。

「人には言えない、もう一つの悲しく思うことが私にはあるのです」
「…それは」
「兄上にでも、それは言えません」
「そこまで仰有っておいて」
「口が滑ったのです。どうかお忘れ下さい」
「いや、もしかしたらそれは、私があなたに関して、ずっと感じて、様子をうかがっていたことかもしれません。どうか、どうかお話し下さい」

 祐純は詰め寄る。

「…どうして兄上とてご存知な筈がありましょう」
「いいえ、私には判る。仲純のことでしょう」

 息を呑む音が、祐純の耳に届く。

「そうなんですね。私はずっとそう思ってきました。あれは、あなたのために全てを失った奴です」

 ああ、と藤壺の喉から声が漏れる。

「…ずっと夢に見るのです」
「夢に」
「仲純のお兄様は、じっと私を見ているのです。そう、あの生きてらした頃の様に。私は何も返すことができず、ただ…」

 そう言って彼女は泣き崩れる。
 その姿に祐純も思わず涙を誘われる。

「…今までお聞きしなかったのは、こういった静かな機会が無かったからですが… もっと早くお訊ねしておけば良かった。しかし一体、どういう訳でそんなことを…」
「言えません」

 大きく首を横に振る。

「一生懸命に隠してらしたものを。ここで私が口にしてしまったら…」
「大丈夫です。大勢の兄弟の中でも、特に私と親子の契りを結んでいたような奴ですから…」
「ご存知なのですか。ご存知なのですね。なら、何もお隠しする必要は…」

 嗚呼、と藤壺は喉の奥で嘆く様な声をあげる。

「最初はまだ小さな頃です。あのお兄様に私は箏の琴を習っていました。だけどその時から、何処かお兄様の様子はおかしくて…」
「…そんな時からですか」
「そしてあの年頃、泣いて私をお恨みになったのですけど、…応えられる訳が無いことを!」

 それは確かに、と祐純は思う。どうしようも無い、叶う筈も無い思いだったのだ。

「入内すればそれで何事もなく、ただのきょうだいに戻れると思ったのです。けどそれからも文をお寄越しになって…」

 彼女は仲純からもらった最後の文を取り出す。

「これを持ってきてから間もなく、亡くなったという知らせが来ました。…このことを自分一人の胸に抱えているのが、ずっと、ずっと苦しかったのです」

 そう言うと、堰を切った様にわっと彼女は泣き出した。

「…仲純という奴は堅物すぎな男でした。だから自身を亡きものにしてまでも、あなた様に直接、言葉に出さず訴えもしなかったのですね。彼の後生を弔う営みをしましょう。…まあ、言葉に出来ぬ思いと言えば、まだ入内なさっていなかった年の秋頃、あなたの様なひとを妻にできたらな、と思ったことはありましたがね」

 そう言うと、藤壺もようやく泣くのを止めて、少し笑う。

「亡くなった方の様なことをおっしゃるのですね。仲純のお兄様は物を思い詰めすぎたせいか、はしたないことも少しありました」
「…可哀想に」

 祐純の口からほろり、とそんな言葉が漏れる。
 ただそれがどちらに向けたものかは自分でも判らなかった。

「そう言えば」

 祐純は話題を変えよう、と思った。さすがに亡き人のことをあまり続けるというのも心が重かった。

「彼が生きていたらきっとそうした様に、できるだけこちらへも伺おうと思っていたのですが、さすがに色々ありましてそうもいかず…」

 今更の様なことを口に出す。

「お忙しいなら仕方がないことです」
「いやしかし、いつものことはいつものこととして、どうして今度のお産の御祝いのことなどは、ご相談くれなかったのですか」

 藤壺は黙って苦笑する。

「女一宮に贈られたものなど、どうしてこういうものが入り用だと、我々におっしゃってくれなかったのです」
「それはかねてより東宮さまが、『そういう折りには考えよう。そなたの思うようにさせよう』と仰っていたので、その通りにしたほうがいいと思いました」
「しかし贈り物には黄金もずいぶん使ってあったはずです。あれだけのものを用意するのは大変だったでしょう」
「…ええ、実は。東宮さまが帝に申し上げて、陸奥の国守から黄金をお召しになったりしました。けどそれでも足りずに、黄金は上の方に、下の方には別のものを入れた、と後で聞きました。…誰かそれを見たでしょうか」
「仲忠が取り寄せて、たいそう丁寧に見ていたということです」

 ああ、と藤壺は袖で顔を隠した。

「何って恥ずかしいこと。よりによってあの方に」

 可哀想に、と祐純は思う。
 藤壺の趣味の高さを理解できずに安請け合いをし、しかしそれなりに努力した東宮にせよ、決して悪い訳ではないのだが…
 祐純は軽い挨拶をして退出する。
 それ以上妹に恥ずかしい気持ちで自分の前に居させるのも可哀想だった。






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最終更新日  2018.01.11 11:54:22
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