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カテゴリ:不動産投資物語
さらり・みつる不動産投資物語 ~投資の始まり~の続きです。
その電話は、「カネツ商事」からでした。 商品先物取引業のカネツ商事がうちに電話をしてきたは、単に片っ端から電話勧誘をしていただけでしょう。 一応、商品先物の利益と損失リスクも聞いて、ファミレスのテーブルで口座を開設することになりました。 パラジウムでスタートするつもりが、なぜか米国産大豆の取引を始める。 証拠金は、塩漬けになっていた東海染工とKDDの株式をカネツ商事に預けて70万円の証拠金にした。 米国産大豆は、1枚7万円の証拠金なので、最大10枚の取引ができるわけです。 営業マンのいいなりで、初っぱなから枠一杯の10枚を買建てする。 いきなりのストップ高。 当時の米国産大豆の値幅制限は1200円だったはず。倍率は50倍だったかな? いきなり、70万円の利益を上げる。 営業マンの言われるままに建玉してましたね。アンコにもされましたが、たぶん手数料稼ぎでしかないです。 それでも相場に乗って、一時は300万円を突破。 米国産大豆の板寄せは一日4回(だったかな?)あって、仕事中にPHSを持って倉庫の影に行き東京穀物商品取引所のテレホンサービスに電話して価格を確認してました。 営業マン主導の取引から脱却しようと思い、林輝太郎氏の本やパン・ローリングのソフトなどを勉強しました。 中でも「酒田罫線法」は何度も読みましたね。 付け焼き刃で学んだ知識も実践ではかなかな応用することができず、下げ相場をナンピンで食い下がり玉砕。 300万円の利益を120万円まで減らしたところで、一旦、口座を閉じることにしました。 当時のいいところは、営業マンが現金で持ってきてくれるんです(笑) 口座を作ったのと同じファミレスで、現金120万円を受け取りました。 これが平成9年頃のお話です。 次回は、いよいよ~不動産投資黎明期~です。 ←応援してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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