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カテゴリ:孤舟
「きっと、その娘のために泣く泣く手放したのでしょうな。誰でも、自分の娘の幸せを考えるもの。さきくさの嫗はとても優しかったから、高貴な血を引く娘がいずれは遊女になるのを憐れんだのでしょう。父親の手元へ行くなら安心だと……」
自分ももう少し大人になったら、傀儡子の女として客を取らねばならなくなることを知っている延寿は、哀しそうに呟いた。だが、乙前は静かに言った。 「相手が信用の置ける人であったのならな。だが、さきくさは公卿のことを愛してはいたが、内心では男が当てにはならぬことを知っておったのだよ。だが、それを知っていながら、娘を手放した」 「どうして……」 「さきくさはな、娘が邪魔だったのだよ」 延寿は目を見開いて黙り込んでしまった。乙前は延寿の顔を見ずに続けた。 「さきくさはわたしに言ったよ。娘を手放したのは、娘の幸せを願ったのも事実ではあるが、それよりも自由になりたかったからだと。さきくさは今様に執りつかれておった。いつもたった一人で生きて来たさきくさには、芸だけが全てだった。お前もよく知っておるように、芸を極めそれを維持して行くことは並大抵のことではない。だが、始終泣き喚いたりまとわりついたりする幼子が側におっては、芸の稽古にまるで身が入らなかったそうじゃ。それに、子を産んだことは周りには臥せておったし、密かに預けておくような身内もいなかった。誰にも頼らぬと決めておったさきくさは、思い余って父親からの話に乗ってしまったのだそうだよ。そして、それからは、娘はいなかったものと思い定めて、芸に打ち込んだのだそうじゃ」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月20日 12時34分07秒
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