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カテゴリ:遠き波音
だが、その兵衛佐が、この中務大輔の屋敷に何の用だろう。しかも、こんな朝早くに。
多聞丸は兵衛佐に聞いてみようと思った。だが、なぜか嫌な気持ちがして、何も言えない。多聞丸が言葉に詰まっていると、側の妻戸が再び開いた。 「殿、どうぞこれをお持ちくださりませ。今朝はよう冷えておりますゆえ」 それは、黒っぽい毛のふさふさとした皮衣を抱えた吉祥だった。 吉祥は兵衛佐の背側に廻ると、少し爪先立ちながらその長身の肩に皮衣を着せ掛けた。そして、今度は胸側に戻って皮衣を打ち合わせ、優しく襟元を整えながら、にっこりと微笑んで兵衛佐を見上げる。 その間、吉祥は多聞丸には目もくれず、その存在に気づきすらしなかった。 多聞丸は何だか悪い夢でも見ている気がした。幼い多聞丸には二人の関係が何なのかわからない。しかし、確かに吉祥は、昨日までの吉祥とは変わってしまったように思えた。 どう言ったら良いのだろう。何となく艶な、生々しいものを感じるのだ。その上、不思議なことに、その美しさもまた何倍にも増したかのように見えた。 兵衛佐が面映(おもはゆ)げにしきりと咳払いをするので、吉祥もようやく多聞丸に気づいたらしい。吉祥は多聞丸の方へちらりと目をくれると、すぐに袖で顔を隠し、何も言わずにするりと妻戸の内へ入ってしまった。 ぼんやりと立ち竦んでいる多聞丸に、兵衛佐はいつものように明るく話し掛けようとする。だが、多聞丸はなぜか急に、何もかもが疎ましくなった。そして、そのままぷいっと簀子を飛び降りて、自分の屋敷に駆け戻ってしまったのである。 ![]() ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月22日 16時52分46秒
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