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カテゴリ:遠き波音
父が吉祥に婿を世話した? 多聞丸は呆然として聞き返した。
「どうして父上が?」 「吉祥様も今年でもう十七歳になられます。これ以上婿取りを伸ばしていては、花の盛りを過ぎておしまいになりますからね。見かねられたのでしょう。もちろん、あのお美しい吉祥様ですもの、兵衛佐様もすぐに喜んで婿になるとおおせられて、昨夜からお通いになっておられるのですよ。このお屋敷の方々は、それはもう大喜びで、家を上げて兵衛佐様をお世話しようと昨夜から大忙し。この婆にさえ、婿君がお召しになる単を縫ってくれと、ほれこの通り」 老尼は微笑みながら、手元の縫い物をひらひらとさせた。多聞丸はしばらくじっとそれを見ていたが、やがて老尼に近づくと、手に持っていた白梅の枝を差し出して呟いた。 「これを、吉祥殿に渡しておくれ」 そして、ぶっきらぼうに枝を老尼へ押し付けると、そのまま後も振り返らずに走っていった。 胸の中が焼けつくように痛い。それと同時に、何かとても大きくて大切なものが、胸の内からすっぽりと抜け落ちてしまったような気がした。涙が込み上げてくる。 多聞丸は兵衛佐の姿を思い浮かべた。すらりとした逞しい長身、色の浅黒い立派な顔立ち、素晴らしい武芸の腕。何を取っても、どれ一つとして多聞丸には敵うはずもない。 それは、多聞丸が初めて味わう、嫉妬という感情だった。 多聞丸は大急ぎで自分の屋敷に戻ると、くぐったばかりの木戸を閉じてその扉に寄りかかった。 頬を涙が零れ落ちる。 多聞丸はそのままその場に蹲(うずくま)り、膝を抱えていつまでも嗚咽(おえつ)をかみ殺していた。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月30日 15時42分33秒
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