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序 原点は「エンデの遺言」だ。確認できるようリンクしておく。<その1(約10分)>そして<その2(約10分)>、<その3(約10分)>、<その4(約10分)>、<その5(約10分)>、<その6(約10分)>。 次に年次改革要望書がメディアに取り上げられなかったウソのような現実。これを確認して置かねばならないだろう。 メディアの欺瞞はここに端的に表れていた。逆に言えば、これこそが明々白々なメディアの弱点であって、ここを突くことで彼らの欺瞞は簡単にあぶり出せた。 2009年9月に民主党政権が誕生した。当初、変化の兆しはあったが、結局、何も変わらなかった。 2010年7月の参院選で、民主党政権に落第点をつけた。 しかし、かといって米国のCIAの手先である自民党には飽き飽きしている。安部晋三内閣の47回に及ぶ強行採決など退廃も極まっていた。自民党とCIAの結びつきは、有馬哲夫の著作で確認いただき度。彼の著作なら陰謀論のレッテルは貼りようがない。 陰謀論といえば、京大名誉教授の本山美彦氏のブログあたりで、金貸しと戦争屋の動きやCIAの破壊活動をチェックするのもいい。消された伝統の復権がそれだ。文献リストも充実している。 なぜこんなことを言うかといえば、メディアは米国の国益に反することや金融資本の利益に反することは書かないからだ。また、支配者である官僚の流す情報に依存している。 2010年9月の民主党代表選で見せた小沢氏の国民目線は的確であった。有能なステーツマンであることがわかるし、それだからこそ欧米に忌避される。 小沢氏に近く、中国とのパイプのある細野豪志や山口壮を重用する。それによって、日本の頭越しに米国と中国が話し合ってことを決める事態を避ける。 小沢氏には国のためもうひとがんばりしてもらいたいというのはそういうことだ。 菅氏を含む「親米派」にアーミテージやマイケル・グリーンの恫喝に屈しないステーツマンは果たして存在するであろうか。ましてやTPPで、米国に屈した、財務省傀儡の野田氏に未来はない。 戦略的に後継者を育ててきた小沢氏だからこそできることはまだまだある。 さて、本ブログでは、メディアが伝えない情報を追いかける。ネット論壇が無視できない閾値を越えるまで、ブロガーたちの熱い闘いをフォローしていく。名づけて「ネットレジスタンス」、である。 生活者としてそれどころではないが、ミッションだと思って、細く長く続けていければと思っている。 最後に(↓)応援クリックです(^^ にほんブログ村 2011年10月23日 根賀源三 genzou1960の日記 [全932件]
総務人事本部の人事部人事グループとのやりとりを聴いている。満身の怒りを込めて、暴行に抗議する。 刑法にいう、暴行罪、脅迫罪というのは、わかるだろうか。ぼくは96年の夏のある日、新宿紀伊国屋書店で、偶然、上智大学教授の先輩に出くわした。 ぼくは司法試験を受験しようかするまいか、法律の書籍コーナーをうろうろしていたのだ。先輩に受けるべきか、やめておくべきか、とりあえず、なつかしいので、フルーツパーラーのあった、中村屋のカレー店に誘ってくれた。 美味しいカレーだった。のちに「中村屋のボース」という作品として、結実した、あの中村屋である。先輩からはっきりとした口調ではないが、ぼくはポジティブにとらまえて、受験を決断した。 そして、6年の歳月と200万円を投じて、当時、事業開発室のとなりに、コンピュータ事業推進室という大部屋で、失敗作の先輩たちと並んで、仲人を引き受けてくれた先輩もいたのだが、そうしたリスクを引き受ける会社に黙って、試験勉強をやった。 ところが、憲法学の泰斗である、近大の佐藤幸治京都大学名誉教授の委員会が、米国の年次改革要望書に応じて、多分、法務官僚にかなわなかったのだろうと推察するが、司法試験を廃止することになった。 しかしながら、「和をもって尊しとなす大和」にあって、訴訟が増えるはずもなく、おまけに島国の和やかさも禍いして、現在の状況以上のことは語れない。ぼくは6年であきらめた。一回は受験した。手帳に書いてある。 若干、論理は飛躍するが、それもこれも、財務省に行った、サークルの先輩が冷たかったために、ぼくはこういう境遇に陥った。 先輩は、モスクワで、スチュワーデスと合コンして、奥さんを見初めて、ロスアンゼルスでぼくが新婚旅行で、家内といっしょに、訪問したとき、食事を出してくれた。「これがアメリカンドリームや」と豪語していた。 本省と行ったり来たりを繰り返し、ロンドンのシティ、これはぼくではなく、家内が行っただけだが、そして、ワシントンで、国際開発銀行で、仕事をする。そして、現在、国際局の総務課長で、先日電話したら、「昇級しすぎで、役職がなくなった、いまどこにいる。一回、遊びに来いや」とおっしゃった。 長州出身の先輩である。 先輩に宗教の話をすると「ミドルネームは普通聴くもんやない。欧米ではそれがマナーなんや」と幼児洗礼(カソリック)なのに、まったくあきれたもので、自分自身で「堕落や」と言っていた。 カソリックは堕落なのだそうだ。 どうして、ぼくが2年のとき、部長になって、体制を固めなければならなかったあのときに、つぶやきや伝聞で混乱させるばかりで、要するに、もっと直接的に、手と手が届く、あるいは、口と口が届く、リアルな相対(あいたい)で、丁寧にアドバイスしてくれなかったのか、ぼくは、そこに彼の不信仰、つまり、堕落を見た。 檄文を書いて、日本興業銀行に行った、親切な、灘高校出身の帰国子女、日本通訳コンテスト優勝で、英国への航空券とビールだったか、半年分か、何だったかを獲得した、英語オタクの先輩のように、対応してくれなかったのだろう。 確かに、ぼくは大きくて、かっこよくて、手に汗をかく、高校で睾丸をけられて、野球部を休んだ、そして、浪人をして、公務員の子息として、親の年収は、1千万円以上あったので、しかも、彼らは3階立ての年金で、悠々自適の生活をしているし、毎日、スポーツクラブに通って、水泳をしていて、120年くらい、生存しそうで、実際、してほしいし、いま倒れられると実に困るのだ。 崩れた。 新聞を読まなければ。ならないので、今日は、ここまでで許してやるが、会社はふざけてたらあかん。基本的なローテーションのポリシーがなってない。それがこうなった理由である。大幅に端折るけれども、明日は、人事部付けを経験した、先輩にアドバイスをしてもらう。 年齢が高いと再就職はそんな容易ではない。 気をつけて水分を摂取しなければ、脳梗塞になるとテレビがほざいている。メディアにつとめる友人にも言いたいことがあった。伝えたいことを伝えたいひとに、伝わるように伝えたい。コミュニケーション能力に問題のある、ぼくのことだから、そして、IT部門のことだから、うまくアピールをしながら、折れない。 絶対に折れない。 頑固であるけれども、ぼくの体力が尽きるまで、怨念が晴れるまで、そして、深く、待つ生活者である、ぼくの半生をこれから、そして、ここに収められた、一連の文章から、何か成果としてつかんでほしいと思う。 妥協はしてはならないのだ。日本の屋台骨をものづくりにこだわって、再建して行く。IT部門の一員として。そして、地球を照らす、太陽の光を浴びながら、けれども、先生の言うように、遠藤勇先生がぼくに向かって、与えてくれたことば、ケセラセラを最後にここで引用して、この中途半端な一文を一端終える。 大江健三郎のことが取り上げられていた、三田誠弘「実存と構造」(集英社新書)。そして、夏目漱石「現代日本文学館・坊ちゃん/こころ」(文春文庫)が面白い。さらに、祝ご受洗 2011年ペンテコステの日 詩篇23篇を贈りますと書かれた、本田哲郎「小さくされた人々のための福音―四福音および使徒言行録―」(新世社)を読む。 さらに、明日、帰りに、SAPの授業を聴く。全部録音した。さあ、時間だ。
教会に行くと日常生活では会えないような「異質」なひとたちと交わえる。さきほど、派遣牧師の説教録を読んでいたのだが、彼(老人)は、他人の金で、大学を卒業して、大学院を卒業したと言って、感謝する。 背景には、父母をなくし、夜間高校を北海道で、マイナス30度の中で、無遅刻無欠勤で、行える体力と気力があった。目的意識(志)はまだ子供だったので、無かったかも知れない。しかし、その境遇が僕自身のそれとは全く、180度異なるので、興奮した。 目からウロコである。あと30冊ほどあるが、読むのが楽しみになってきた。 キリスト者の友人に感謝するとともに、なぜ僕の手元にそれが置かれているのか、この不思議こそが、人生の醍醐味であり、人と交わることの楽しさである。あの冊子を作られた方のご苦労のしのばれる「力作」であった。それもこれも牧師の努力と彼をして語らしめた「大いなる存在」のせいだ。 さて、前置きはこれぐらいにして、ブログテーマは平易に、身近なことから語るという宣言を前々回の投稿で、宣言したので、書く。 堤未果「政府は必ず嘘をつく」(角川SSC新書)に触発されている。昨日、彼女にこのブログの存在を伝達して、返事を返してくれたので、それに応えねばと思った。 ぼくの家内もそうだが、女性は社会的な地位は不安定なので、それもこれも「社会的分業」が原因かも知れないとここではほのめかすくらいしかできないし、語る資格もない。 その女性の一番いいところが「妥協しない」面に表れるときがある。偽善を嫌うのだ。 先週の牧者(これは上述の牧者より年長)は齢(よはい)80を越えて、ひとは他人のことを理解できないという達観を持っていたが、美しい誤解によって、ひとを行動にいざなうという立場だった。 堤さんの前掲書では、出展の銘記はもちろん、新書という制約はあれども、彼女が使命につかれて、自分の頭で、判断するのは、昨今の科学技術の発達を考えるともはや難しい、という話が含まれていた。 彼女は胆力があって、どう世界に関与するかについて、彼女なりの世界における彼女の立ち位置を自覚した上で、その自覚に至った経緯を含めて、書いて伝える能力があるし、筆力も十分だ。 彼女は自分の持てるものをすべて、書籍の形で世に問う。そして、彼女の職業はジャーナリストであって、新聞記者ではない。フリーランスで、その作品毎が勝負で、いわば自営業だ。 現在、僕の立っているところは、父親であり、サラリーマンであり、にもかかわらず、強欲に支配された、ウォールストリートを含め、国内外の既得権益者のあまりのひどさに慄然としている親父(おやじ)である。 官僚やメディアを批判をこうやってしてきたけれども、日々、精神的・肉体的な苦役に耐えて、27年目に入ろうとしている、しかも、障碍者手帳を持つ「弱者」だ。 高校大学の同級生は、それこそいろんな分野で活躍していて、それに輪をかけて、教会やボランティアでひととの出会いを繰り返している。 安全圏にいながら、そして、すこし汚れ役を担いながら、自分の立ち位置に無自覚で、にもかかわらず、信用創造の濡れ手に粟の仕組みが制度上保障されている現実や中央銀行のネットワークがいままでどう機能して来て、今後どうなっていくのか、それらが破綻しつつある現実(吉田祐二「日銀 円の王権」参照)も分かっていて、行動できない凡庸さに苛まされている。 こういう僕は、あきらめるしかないだろうというのが、一応の結論で、だから、家内と子供たちに期待している。家内も迷惑だろうけど、これがありのままの僕であり、申し訳ないけれども、現在のこのフレームワークは、取っ払うリスクに耐えられない。 それくらい自分を弱者だと思っていて、にもかかわらず、ネットに漂流する記事や、本屋で並んでいる新書を見ては、現在の時流を知ろうと好奇心が働く。 その結果、堤氏に出会ったのだが、そのメッセージは明確で、ネットというのは常に時代を先取りしているような「カナリア」的なところがあるのをしっかりと受け止めて、自分の経験を文章にするプロの技に驚く。 抽象的な話ではなく、ジャーナリストとしてあくまで具体的なティテールに基づきながら、作品を世に問うのは、「定型」者のそれであり、「自閉症」スペクトラム上の端にある者には決してできない業だ。 で、僕の今日の駄文の趣旨は、宗教への対峙と日常生活の維持、そして、近代主義の弊害に対するアクションという三角形をどうバランスさせるかだ。 年齢的に50歳を越えて、免疫力も低下し、視力も老眼で見えないので、単線的な発展史観はもはや無理である。するとどう成熟して行くかしか選択肢はない。 この三角形で切り落とさざるを得ないのは、アクションになる。OWSなどツイッターフェイスブックはもはや限界かも知れない。少なくとも、スマートフォンやグーグルアップスで管理されてしまった上で、堤氏のいうオーウェル「1984」の世界に立ち向かうかというと、残されたのはもはやライブしかないのだ。 そして、今回の原発で、あろうことに中央政府は、ガレキを分散処理しようという暴挙に出ている。いずれにしても、アクションは年齢的なものも含めて、障害者的な理由もあって、もはや不可能だ。 したがって、勢い、残されたのは「ウォッチ」すること、出来れば、現場に立ち会えればいいのだが、それは期待できない。 ジョン・レノンの「Watching The Wheels」を最後に置いて、今回のしまりのないUPを校了とする。
MBS「種まきジャーナル」をリンク。広島、長崎、福島と、どうやらこの国は、原子力と相性が悪いらしい。 放射線が健康にいい、という論者がいる。彼らの扱いはどうなんだろうと思う。ダメ押しで「フクシマのうそ」をリンク。ドイツの報道で、日本語字幕がついている。 ラドン温泉などを引き合いに出して、ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」を緩和するのを正当化するのだが、僕は「常識」を働かせるべきだと思う。皇室だって、年少の者は、一時的に京都に逃がすべきではないか。 4号炉の使用済み核燃料プールの問題は本当に深刻で、余震が続く、関東エリアにおいて、1300本の燃料棒は、まったくどうしようもない。いざというときは、本当に退避しなくてはならない。 庶民はこう感じているのだが、東京政府を含む原子力村は、国民をなめ切っている。特に東電は、この期に及んでも、役員報酬の平均は3千万円だという。彼らの福利厚生は厚すぎる。自前の結婚式場を持っていたということだが、そんなものを作る必要などあったのだろうか。 そして、今度の電気料金値上げの通知は、あまりにも酷い。大口需要者は17%だが、断ることができる体裁になっている。個人は10%であり、これは税金といってもいい話だ。 個人にどうやって契約を切ることができよう。選択肢が与えられていないのだ。関西電力も不穏な動きをしている。原発を再稼動できなければ来年の夏は13%電力が不足すると脅す。 トイレのないマンションだというたとえにもあるように、人類は原子力を扱う知見を有していない。放射線を無化することなどとうていできないのが現状だ。にもかかわらず使用済み核燃料廃棄物の処理方法さえあやふやだ。 年金のときもそうだったが、この国の高級官僚は、責任を取らない。彼らの杜撰な行政の尻拭いはいつもわれわれ国民だ。天下りや渡りなど、好き放題やって来た。 庶民と感覚がずれていると言われても仕方がない。同様に、電力・ガス・通信・上下水道など、ライフラインをめぐる経営情報の開示は一般の民間企業のそれと同列に扱ってはならないと思われる。
たまたまこちらへ立ち寄った、というか、ログインすることになった。最近は、更新も少なく、しかし、時を置くと、書くべきことが溜まって来る。 消された伝統の復権というブログがある。本山美彦先生が自らをマルキストとカミングアウトして、というか、常にそういうスタンスを自覚し、公言していたのだ。僕もクリスチャンだとカミンガウトせねばならない。 このブログに置いても。もっと気楽に書くことから、原点に戻ることから、権威ぶることなく、再出発するというのが第一の主題。 そして、第二に、みずからのキリスト教の弁明をしなければならない。ぼくは無神論だった。そして、それでも仏教的なものに惹かれていた。C.G.ユングと河合隼雄、中沢新一とくればそうなる。 特に、河合・中沢「仏教が好き!」は強く感銘を受けた。内容は、再現しないけれども、仏教の奥義と物理学そして心理学の通低音が共鳴していて、きわめて興味深い対談になっていた。 しかも、神社仏閣の多い京都で、多感な7年間を英語ガイドとして、活動していたパーソナルヒストリーがある。自然や風景は、何気なく、人格形成に影響を与えるものだ。しかも、相国寺での参禅や詩仙堂でのくつろぎなど、いまでもそれらの記憶に安らぎを覚える。 したがって、仏教を無神論と断じる言説は随分荒っぽいものだが、実際、橋爪大三郎・大澤真幸「ふしぎなキリスト教」で、実際、そういう言説に接した。 ただ、やってみなければ、やってみてはじめてわかるという経験も捨てがたい。冒険主義ではあるが、子供ができたとき、それを深いレベルで味わって、経験値は大いに高まった。 ジャズのインプロビゼーションのようにその現場にいて、思いのままにやってみた、いわば応用編のような生き方になるけれども、ドンキホーテは揶揄であって、たとえとしてふさわしくない。 戦後、転向論というのがあった。主張というのは首尾一貫している方が立派だという考えが前提になっている。事実と主張が違うのは、最近はこれさえ不明瞭になって来ていて、いわゆるメディアをめぐる言説には、ここの区別があいまいにならざるを得ない。 これ以上それは立ち入れないが、転向というのはある。コーランを奉じていた本多勝一がいまどういう立ち位置にいるかは知るよしもないけれども、老化がはじまり、進歩という直線史観からずれざるを得ない現実に直面すると経験主義(経験希望主義)が出てくる。 転向論はいい。主張が首尾一貫しているというのは欺瞞で、人生に向き合うその実存がその内容だ。構造主義やポストモダンによって、自らの立ち位置のために世界観を構築する。立ち位置がわからないのに、世界にどう関与するかなど、ありていに言ってナンセンスだ。 世界観や人生観によって、自らの立ち位置を少しでも知った上で、つまり、緻密な理論を展開するにしても、その前提にエネルギーをもっともっと大きく注がなければ、できあがった建造物は傾いたものになる。 経済学にせよ、物理学にせよ、立ち位置たる前提が異なると、つまり、選択という世界への関与、それは責任を伴うのだが、いくら論理的で説得力に満ちていても、結論は180度変わってしまう。 マルクス主義経済学と近代主義経済学は前提がまったく違う。パラダイムが違うと地球を中心にして考えるのと太陽を中心にして考えるのとではのちの実存というか、世界への関与の仕方が変わってしまう。 問題は世界にどう関与するかなのだ。そして、そのために前提たる世界観を形作った、人格形成に関わる一切、それは偶然によるものを含めて、経済・教育・社会・制度・国際関係・風土・気象・時代精神・システム技術など外的環境も大きい。さらに、DNAや遭遇した病気や欠損した身体・罹患した精神・トラウマなど内的環境も小さくない。 こうやってだらだらと並べてしまうとドグマのようで嫌なのだが、ここは許してもらおう。そう、ここで世界への関与という宗教の実践的な課題に遭遇する。 結論から言ってしまうとそういう「時」が来てしまった。時間は無慈悲に人間を脇に追いやるのだが、そして、常に忘却のかなたに追いやるのだが、老化という新しい現実に直面することになって、それは想像を超えたものだと若いひとには伝えようがない。 とにかくやってみよう。考えるのはそれからだ。子供を作ったときもそうだった。そして、得たものは経験というか苦労と歓びという人生そのものだ。自分の人生を突き放すのは変だが、老化を経験して、ひととおり普通の人生をここまで経験して来て、正直に言うと心労と気配りで、しかし、行動して意味のない、後悔だけに拘泥してしまう結果に陥ることはないと断言できる。 結局、ロングアンドワインティングロードは個性尊重、ダイバーシティに連なる。憲法的な価値を軽んじる風潮はかつてあったが、あれを変えるのは、すくなくとも昭和天皇より生き延びるくらいだからそれだけの重さがある。 話をキリスト者に戻すと、いま通う教会は同志社系列のそれなのだが、大阪に2つ、同志社と関学、東京に1つ、上智大学という大学院を持つ、神学研究機関で、世俗的にブランディングされたものがある。 関学はメソジストというプロテスタント系の宗派で、同志社は新島襄の個性が光る機関で、宗派はどちらかというとプロテスタント系、上智大学はカソリックだ。 そして、陰謀論と植草一秀に触れざるを得ない。 植草一秀「日本の再生」を途中まで読んでいて、メディアや政府、官僚に対する認識は、堤未果「政府は必ず嘘をつく アメリカの失われた10年が私たちに警告すること」や上杉隆「新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか」が本屋で平積みにされているのを思い出させる。 植草氏は金融資本の問題点も認識しながら、一歩踏み込んで、米国の国益とCIAの活動を射程に入れて、山県有朋依頼の官僚制度、大本営報道に傾くメディア、価値中立などスタイルにすぎないと喝破したイデオロギー再生産機関の一翼を担う学界を糾弾する。そして、いまやCSRとダイバシティーで苦悩する大企業中心で中小企業が多数存在する産業構造にそぐわない財界の発信力と無節操主義を論難。 まあ、ちょっと財務省の既述など精緻で反論のしようがないほどの興味深い議論を展開しているのだが、引用は別の機会に譲ろう。 さらに辻隆太朗「世界の陰謀論を読み解く ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ」(講談社現代新書)が陰謀論オタクでいい。オウム真理教の教義が陰謀論ベースだったとは知らなかったし、まだまだ知らなかった事実が満載だ。しかし、立ち位置の問題になってしまうと妙な違和感を覚える。 否定に懸命になるあまり、経済史や金融史という学問が慎重に扱う、論点がすっぽり抜け落ちている。他方、オタク的に走りすぎている感じで、どうしても信用創造や貨幣史にまつわる論点をまだ確認できていない。読了してから報告するが、そしてそれはいつのことかわからないが、「全否定の誤り」、つまり、唯一絶対の正しさを主張するから、メカニズムとして、他の言説の存在を抹殺する、イデオロギーをめぐる、昔ながらの論点に回収されると予測される。 どうもニーチェのアフォリズムではないが、ぼくのスタイルはその傾向があるので、読みにくくて、たまらないかもしれないけど、ここまで読んでくれたひとは有難い。 メッセージとしては、社会が大変なことになっていて、我が家の家計も大変なことになっているけれども、とにかく、日本の良さは、現場主義に対する理解だから、理論と臨床のバランスを考慮しつつ、加賀乙彦「科学と宗教と死」の主題に重なるようにして、生きる。中間層の厚みを増すのはもちろんだが、そうではなく、それはあたりませで、中・露・米といった地政学的な大国の国益のために、翻弄されつつも、変節を繰り返しながら、ここ1500年くらいの歴史の変遷を考慮する。その上で、自分の立ち位置を明確に自覚し、覚悟を決め、目の前のことを処理、つまり世界と関与していく。 先の「世界の陰謀論を読み解く」にあったのは、宇野正美がエバンジェリカルで、米国の扇動家の反ユダヤ主義をそのまま、随分、昔だが、輸入したこと。そして、戦争前に愛宕北山が活動していたことはネットの言説で知っていたが、徳富蘇峰も同じく、陰謀論を唱えていたとあること。まあ、いずれにせよ、オタク話で、大事なのは、信用創造や貨幣・金利・地価に関する、メディアが避ける議論があるという現実だ。 勢い余って、陰謀論のレッテルを貼って、ピリオドにしてしまうと手痛いしっぺ返しが待っている。メディアが報道しない事実の方も意識するのがいい。メディアを信仰してはいけないということだ。 さて、世界にどう関わるか、日常と折り合いをつけながら、死と対峙する。加賀氏の前著には明確に書かれていて、文字通り、死に直面して来た、そして現に直面しているキリスト者の作品とそのメッセージをぞんざいに扱うわけにはいかない。
ネットメディア「ITpro」の「ダメな「システム屋」で終わりますか?」という連載の閲覧ランキング上位にあったこの記事がいい。コピペ。このブログのタイトル「闘魂云々」にも通じるし、何より、僕の人生経験で言っても正しいと思える。理想論ではなく、現実論として、生き抜くための知恵である。マーケットというのは具体的にはこういう形で受け入れざるをえない。大局的、統計学的、マクロ経済学、メタのレベルの議論は無意味なのだ。生きていくために必要なのは、こういう議論だ。量子力学で、観察する行為が確率的に表現されるのと同じだ。 (貼り付け始め) 自動車メーカーでも食品メーカーでも、小売業や外食業でも、日本や世界にある企業はどこでも市場で競争しています。そこで働く従業員は、競争意識を持っているはずです。 例えば自動車メーカーであれば、営業部門だけではなく、間接部門でも競争意識を持っているでしょう。情報システム部門に所属する社内“システム屋”が、会計システムの保守を担当しているとします。会計システムや保守のような兵たん・後方支援も競争を勝ち抜くうえで重要です。自分は「どうすれば自社の競争力強化に貢献できるか」と考え、自律的に動いていれば、この“システム屋”は競争意識を持っていて、競争していると言えます。 あるいはITベンダーで外食チェーン向けの売上管理システムを担当している“システム屋”の場合は、他のITベンダーに負けない品質や費用対効果を提供しようとしていれば競争意識を持っていると言えます。外食チェーン自身の競争力強化支援を、ITを使ってどう実現するかまで考え抜いて、より良いシステムを作れるように努力しているなら、“システム屋”としての将来が期待できます。 一方で、与えられた課題を与えられた時間・コスト・体制でミスなくやり遂げることだけに腐心しているようであれば、その“システム屋”が競争しているとは言えません。サッカーで言えば、「ここにボールが来たらこうせよ」という指示を忠実に守るだけのレベルです。ここに留まっていては、個人としてもチームとしても成長できるはずがありません。 (貼り付け終わり) 市場メカニズムはわれわれに競争を強いるのだが、上から目線ではなく、強いられる側の視点に立つとこういう気迫というか、気概というか、何がしかのスピリッツが必要なのだ。 それは客観論ではなく、そういう突き放したものの見方ではなく、どう関与していくかという実存の問題でもある。直感でいうと、世界は変えられる。常識的には、世俗的には、一般的な見解では、変えるべきは世界ではなく、自分を変えるべきだと受け取られているけれども、「過去」を含め、テキストを解釈するのは、われわれだ。量子力学に言う観測する行為を認めるならば、すなわち、まず「コトバ」があったのであって、主体的な関与を認めるべきかも知れない。 市場メカニズムは信奉するものではなく、ツールにすぎない。しかし、客観的な「カタチ」ではなく、「こと」に対峙する姿勢としては、引用した記事のようなものにならざるを得ない。身体に対するソウルは客観に対するスピリッツである。それを学問の装いをまとって、欺瞞的に論じるのは、否定さるべきであり、したがって、近代経済学の拠って立つ前提を絶対に是認しないのは、理由があると思う。選択の問題ではなく、人生の問題だ。 ソウルを論じるのは、「死」に相対(あいたい)することだ。こうした覚悟が近代経済学にはない。ひとごとであり、よそ事であり、「死」を忌避して、ニヒリズムを呼ぶ。「死」を見つめることが絶対に必要なのだ。ニヒリズムが極端な快楽主義や極端な禁欲主義や極端な刹那主義、テロリズム、自殺、希望のなさ、強欲、ある種の過剰さを呼び込む。ホモエコという前提の上に構築された虚構は、現実感覚から遊離していて、ちゃんちゃらおかしい。 前提がおかしいから、デジタル化した資本主義に翻弄されているのであって、われわれは、節度ある食事以上のものを食することはできないようになっているのだ。信じるべきは、超越神であって、商品の交換や無意識、辺縁にこそ、真理がある。ソウルはそういう文脈で用いられるべきで、それは関与する主体、すなわち実存という視点展開たる「こと」にこそ、一回限りの人生があることを意識させるものがあって、真理、すなわち、畏れるべき現実、克服すべき「死」を措定しようではないか。 なぜ、われわれの人生が「1」か「0」というディジットに翻弄されなければならないのか、まったく、ニヒルだ。無意味、虚無である。そうではなく、あくまで謙虚に、そういう姿勢で、抗うのが闘争心なのだ。この文脈で、引用を理解しないとわけがわからない、平坦な、ちょっと気の効いたスパイス、くらいにしか思われない。闘魂とはそういうことだ。それによって、競争を強いる市場という存在を理解しないとわれわれの人生は救われない。畏れよ。それが闘う魂の意味するところだ。ディジットにそんな資格があるだろうか。われわれの人生をもてあそぶ資格があるとは思えないのだ。
成果主義は成果以外の要素を基準に評価する、という点で欺瞞である。「成果以外」というのは、具体的に言うと、ランクSが上位xx%という具合にパーセンテージで決定されてしまう、ということだ。 ランクが絶対評価なら話は違うが、相対評価なら、成果で評価するのではなく、成果以外の尺度でランクが決められており、欺瞞以外の何者でもない。 成果主義導入の動機が総人件費の削減だった歴史を見れば、体裁だけの問題だ。社員を使い捨てにして、株主に金を出すという思想がバックにある。成果主義の延長上に非正規雇用の惨状があるのは言うまでもない。 ロジックは正しくても、前提が間違っているのだ。前提にあるのはマーケットメカニズムに対する全幅の信頼である。それは宗教とさえいえる。株主ってそんなにエライのだろうか。株主を持ち上げるために総人件費を削減した。その理由付けが成果主義である。本来なら就業規則の不利益変更として、訴訟沙汰になってもおかしくない。 サラリーマンというのは従順で、おとなしいので、異議申し立てをしなかった。いま思えば、成果主義導入こそが、格差社会到来の序幕であった。それほどに日本の生産力は過剰になっていた。昔風にいえば、帝国主義時代の到来である。国家独占資本主義という言葉などとうに死語になってしまったが、こんないまだからこそ資本主義を研究すべきだ。 森嶋通夫が数式化したというマルクス主義経済学を乗り越えるべきときだ。ユダヤ陰謀論を否定するためにはやはり天才を待たねば。 ここでいうユダヤ陰謀論は単純化されたユダヤ陰謀論ではない。誰と誰がどこで会って何を決めたかという表に出ない経済史、中央銀行の来歴を含めた金融史、それが真正の陰謀論だ。 そうした陰謀論的な事実は宝の山だ。その宝の山から真実を拾い出し、歴史を編み直して、デジタル化してしまった資本主義を研究する。 やはり、国際金融資本からの戦費調達と戦争が如何に金になる、裾野の広い産業かというあたりから攻めるべきだろう。軍産複合体の問題は誠に根深い。格差社会の解消には徴兵制ですか。株主の力を削ぐためには、国民が命を張るしかない。不労所得を望むレントシーカーの根絶が大事なのだと思う。 一回の食事の量に個人差はありますか。なのにこと金に関してはその欲求はとどまるところを知らない。投機資金の移動は莫大なものだから、その取引に税金をかけるトービン税は必須だ。富裕層の息の根を止めて、投機などという生存の原点から外れた生き方をやめさせる。 目を覚ましてもらわねば。目を覚まして、世界の惨状を心に焼きとめてもらわねば。 そもそも富裕税で困るのはほんとうのパワーエリートではない。パワーエリートはケイマン諸島などタックスヘイブンを利用しているので、富裕税をかけても国を出て行くわけがない。レントシーカーは根本のところで売国奴=国際主義者(根無し草)なのだ。 成果主義の話がいつのまにか不労所得の話になってしまった。 結局、成果主義は共産主義みたいな理想主義だ。成果を測れる道具が開発されると、不労所得排除につながるのだが、現実には、官僚制がはびこって、格差のせいで、社会が不安定化する。 それもこれも、できもしない成果の測定という、夢みたいな前提から出発するからだ。挙句にお世辞と擦り寄りがはびこる現実がレントシーカーを許してしまう。この点、夢のエネルギーとして安全神話をはびこらせた原発推進派に似ている。既得権なのだ。 成果主義という建前は、しょせんコネや権力にはかないません。神話にすぎないということを肝に銘じておく。そう、成果主義は欺瞞なのだ。 追記: 経団連が諸悪の根源なのではないか。 少なくとも政治献金を禁止して、彼らを政治から切り離すべきだ。原発にせよ、非正規雇用にせよ、もちろん理屈から言ってできるはずのない成果測定(成果主義)もそうだが、みんな彼らが絡んでいる。 しかも、彼らが頑張れば頑張るほど、たとえば円高になって自分の首をしめることになる袋小路。ここから脱するには、まずは経団連を解体しなくては。名ばかり管理職の問題を争点化してもいいだろう。 諸悪の根源というだけのことはあって、問題は他にもまだまだあって、数え上げたらきりがない。
植草一秀身を賭した動画 植草氏が問題の所在を忌憚なく生命を賭してしゃべっておられる。時間が2時間と長いのが難点だが、聴く値打ちはある。米国・官僚・大資本と図式化された形ではあるが、氏の思いが伝わってくる。 副島隆彦氏『「金・ドル体制」の終わり』(祥伝社)の目次を転載しておく。 (貼り付け開始) まえがき 1章 2012年、世界は金融恐慌に突入する ●まだまだヨーロッパで大銀行が潰れてゆく ●2012年は「世界大恐慌元年」になる ●これから起きる大恐慌は「デフレとインフレの合体型」だ 予言1 円ドル相場 もうすぐ「1ドル=70円割れ」が出現する 予言2 日米の株価 日経平均は7000円台から6000円台へ向かう 予言3 金の値段 アメリカの「金(きん)の個人取引禁止法」は日本にどう波及するか 予言4 長期金利 米国債暴落と金利の上昇はいつか 2章 「ユーロ恐慌」と心中するアメリカ ●ギリシャ国債を抱えたフランスの3大銀行の運命 ●それでも「ギリシャ救援資金」は足りない ●日本は「ユーロ恐慌救援金」をいくら出すのか ●欧と米は、これから日本の「不良債権処理地獄」と同じ苦しみを味わう ●お金を貸す以上は担保を取る、という当たり前のこと ●内輪もめをしている間にヨーロッパの「大銀行処理」が始まる ●ユーロ通貨発足当時から抱えていた問題とは ●国債デフォルトを「バクチの対象」にするCDSという恐ろしい金融商品 ●米国債格下げを画策したシティバンク 3章 欧州債務危機(ソブリン・リスク)に隠されていた「爆弾」 ●土地・株バブルのあとに残った借金の山 ●アメリカに課された「4000兆円の処理」 ●IMF発表の「EU諸国の損失額」は少なすぎる ●「金融核爆弾」が破裂する恐怖のシナリオ ●ギリシャ国債に巻き付いた「毒ヘビ」の正体 ●「第二のリーマン・ショック」が起きる ●ギリシャ国家倒産――その時、CDSは ●「未実現利益」なのに「利益」にしてきたツケが回る ●ヨーロッパはドル資金の調達に困っている ●なぜスイスは自国通貨相場に介入したのか ●統制経済の序曲、「金融抑圧」(ファイナンシャル・リプレッション)とは ●「新興国ファンド」も危ない 4章 「金(きん)・ドル体制」の終わり ●世界恐慌突入で「金の個人取引禁止法」が本格的に施行される ●「消費者を保護するため」は詭(き)弁(べん)だ ●アメリカ人にとっての銀(シルバー)の重要さ ●銀価格はこれから「金の2%」で推移する ●新興諸国なら「取引規制」は行なわれない ●2011年、金価格が急上昇と急落を示した理由 ●「金1オンス=35ドル」で始まった戦後の世界体制 ●「円高になれば金が安くなる」の声に答える ●金が「ドル表示値段」と切断されるのは、1グラム=8000円の時だ ●誰がこれからの「金の世界値段」を決めるのか 5章 恐慌とともに「統制経済」が始まる ●米国債に投資した「債券王」の失敗 ●米2大住宅公社が抱えるクレジット・デリバティブの処理が始まった ●「日本最大のヘッジファンド」農林中金の運命 ●金ETF市場は崩壊する ●「危ない金融商品」で損をした日本人たち ●「分配金」が、実は「自分が払ったお金」だったとは ●財務官僚が操る「増税政権」 ●若い政治家を育てた小沢一郎の功績 ●TPPとはアメリカの圧力である ●G2(アメリカと中国)が世界の枠組みを決める ●日本の「アメリカとの地獄へ道連れ経済」は続く あとがき 巻末付録1 金と銀が買える主なショップ一覧 巻末付録2 大恐慌に打ち勝つ日本株51銘柄 (貼り付け終わり) 余裕のないのが難点だが、購入しておきたい。氏の金融本は明快である。痛快である。だいたいネットでは漏れ聞く情報ではあるが、氏の暴露系には書籍ならではの知恵が詰まっている。 「池上彰のお金の学校」(朝日新書)が平易でいい。ビジネスブックマラソンというブログより転載。 (貼り付け開始) 本日の一冊は、わかりやすい経済解説で有名な池上彰さんが、ビジネスマンのためのお金の教養をまとめた一冊。 そもそもお金がどうして発生したかという話から、金融自由化後、日銀がどうやって金利をコントロールしているのかという話、ペイオフ制度のカラクリ、企業が株価を高く保つことのメリット、金の値段が下がりにくくなっている理由まで、意外と知らない経済の話がいくつも出てきます。 (略) 経済をこれから学ぶ人には、「国債の価格と金利の関係」をはじめ、今さら聞けない経済知識を得るチャンス。 既にある程度知っている人には、ご自分の教養を試すいいチャンスです。 ぜひ読んでみてください。 ▼ 本日の赤ペンチェック ▼ 当時は稲を「ネ」と発音していました。それで「これはどれだけのネと交換できるの?」「これはどれだけのネになるの?」という会話が一般的になされるようになり、そこから財物の価値のことを「ネ」と呼ぶようになりました。これが値段の「値」の語源です 実は稲のほかに日本で使われた「みんなが欲しがる共通の物」がもう一つあります。布です。布は、切ったり縫ったりすることで、着るものや、履くものにしたり、部屋の飾りにしたり……、とさまざまな物に換えることができます。つまり、交換用品として優れていたのです。紙幣の「幣」の字は、「布」という意味。ここにも痕跡が残っています 現代において、金に代わる「価値のあるもの」というのは、実は「国債」なのです 金利とは「我慢料」と「レンタル料」 銀行同士も競争意識を持つべきだという考えをもとにした一連の金融自由化のなかで、「金利はそれぞれの銀行が自由に決めなさい」ということになりました。必ずしも公定歩合と連動して、金利を決めなくてもいいということになったのです。この「金利の自由化」によって、日銀は建前としては公定歩合の上げ下げで景気のコントロールができなくなりました。一九九四年一〇月のことでした 「短期金利」(コール市場における金利)が、公定歩合が機能しなくなった現在における「政策金利」になっている 同じ職業的な属性であっても、独身の女性よりも既婚の女性のほうが、信用度が下がる (略) 株価が高ければ、「増資をしたい」と思った時に、新たに発行する株を高い値段で売り出せる(中略)株価を高く保っておけば、企業は資金を調達しやすくなる FXは、良くも悪くも、数ある金融商品のなかでもっともギャンブル性の高いもの 金の投資信託が販売され始めたことで、金の値段は下がりにくくなりました 普通のインフレ下において、有利なのは、会社員でもフリーランスの個人でもなくて、やはり「企業」 ◆目次◆ 一限目 お金の歴史 二限目 銀行 三限目 投資 四限目 保険 五限目 税金 特別授業・一 ニュースの中のお金 特別授業・二 身近なお金 (貼り付け終わり) 例によって、突っ込みは浅いが広く浅く、鳥瞰図を得るにはいい。個人的には勉強になった。永田町異聞より、古い記事ではあるが、ここを知っておくべきだと思うので、転載。 (貼り付け開始) ちなみに経団連会長、米倉弘昌率いる住友化学とその米子会社は、遺伝子組み換え農作物で知られるモンサント社との間で昨年10月20日、遺伝子組み換え農作物の種とともに、自社の製品を含む除草剤を米国内で売る契約を結んでいる。 モンサント社の除草剤「ラウンドアップ」は世界で最も売れている農薬だ。その威力はすさまじく、過剰に使用すれば雑草だけでなく、肝心な作物そのものまで枯らしてしまう。 モンサント社はこの農薬に耐える作物をつくる必要に迫られた。そこで考え出されたのが除草剤への耐性を持つ遺伝子を作物の種に埋め込む方法だった。すなわち遺伝子組み換え作物をつくり、除草剤とセットで売る仕組みである。 これにより、農家は空中散布などで大量に除草剤を撒くことが可能となった。省力化で人件費などのコストダウンがはかれるため、農業経営の大規模化にはきわめて都合がいい。 一方で、一度このシステムを採用した農家はモンサント社に依存せざるを得なくなる。農地は除草剤大量使用のためにいわば不毛の地になり、耐性のある遺伝子組み換え作物しかつくれなくなる。 麻薬のようなこの依存システムにこそ、モンサント社の快進撃の秘密があるわけだが、遺伝子を人間が操作してつくった農産品を食べ続けることや、環境、生態系への影響など、不安は尽きない。 住友化学の米倉氏は9日、経団連会長として、全国農業協同組合中央会(JA全中)の万歳章会長と都内のホテルで会談した。 利権集団のトップどうしの対面は、冒頭の握手と、それぞれの型通りの主張だけがテレビ放映されたが、欲の皮が突っ張った人間のぶつかり合いほど醜悪なものはない。 (貼り付け終わり) ブログにも旬があるようで、当初、勢いのあったブログも生活に追われて、勢いがそがれてくる。細く、長くというのは、そういう趨勢に対して、抗っていくことだ。植草一秀氏の精力的な活動は怨念さえ感じる。 ところで、30年前の「法学論叢」(京都大学法学部)を引っ張り出しては読み出している。そして、現在の「法学論叢」を購読しようかとさえ思っている。旧友が書く論文を読むのもいいし、法学の最前線を知るのにもいい。 あれもこれも手を出すのは人生時間がない。自分の出自を確かめつつ、現在の動向を把握するのには、学究的で、政治経済文化から距離を置く、研究環境の京大の論文集を読むにしくはない。 どうする。 追記: 戦略国際コラム「東アジアサミットの最大勝者」より転記。 (貼り付け始め) 人民日報によると、東アジアサミットでは、中国はこれまで、当該地域における米国との潜在的な競争にばかり注目し、日本の役割を軽視していた。中米間が争うことで、最終的に日本が利益を得たと評価している。 東アジアサミットは、中国が想像したほど楽観的な状況ではない。米国・ロシアの参加による影響は多方面に及び、長期化し、中国の思い通りにならない。 (略) このように、日本からはTPPを含めた外交戦略を成功と言う意見がないが、中国からは、日本の外交戦略を最大限、評価されている。中国は、今後、日本を意識した外交方針が出てくると見る。 日本が米国の同盟国ではあるが、東南アジアに米国を引き込み、中国と対応させて、日本は民生的な防衛面で東南アジアと結びつくことが日本と東南アジアの両方にとって、有効な手段になるようだ。 日本は東シナ海での軍事的な衝突を避けるために、中国とは中立的な位置でもあることになる。中国と米国の対立において、中国の横暴に反対するが、日中間は戦争に持つ込まない関係を築くことである。 (貼り付け終わり) 中国の評価である。ネット上にはいろいろな見立てがあるが、どれもバランスよく、気を配っていくことが必要だ。新聞やテレビだけでは苦しい。ネット上の情報(見立て)をもとに週刊誌を読む。 最近はまっているのはこれだ。あとラジオ。ほんとうに情報の氾濫するすごい時代になった。 追記 その2: TPPについては「神州の泉」が究極的にいい。おそるべき筆力だ。
故小室直樹氏の講演(1時間10分)を聴きながら、ぜひ、見ていただきたいのが、ヌークラボとうブログ。にわかに信じられないことではある。 一部引用する。 (引用はじめ) その頂点に立つのが東京電力。 東電は日本政府の国策子会社ではなく、日本政府の上に立ち、日本の軍官政産学を傘下に従える利権集団なのである。 ちなみに東電+電事連の年間広告費は800億円で、2位のトヨタの700億を上回り、メディアへの接待交際費にも年間800億円を費やしている。 つまり年間1600億円が東電(電事連)から大手メディア会社に流れているのである。 それにしても800億円もの接待交際費、どうやって使うのだろう??? 今回の311は、この昭和初期に確立された日本軍国主義の頂点に立つ「 東京電力 解体 」へと向かう歴史的エポックとなるだろう。 すでに核兵器は無用の長物となっている。 核ミサイルを発射したと同時にその場で撃ち落とす電磁波兵器が配備されているのである。オバマの「 核廃絶 」とはつまりこのことなのだ。アメリカは、ロシアは、そして日本も既に核兵器を必要としていない。これらの国々の軍事関連技術は一般技術の遥か20年先の技術まですでに開発済みであり、それらを秘密(兵器)としているのである (引用終わり) このブログの記事の真偽は確かめようもない。しかし、ある種の確信を持って記事を書いている。そして、こういう事実はネット上で流布している様子だ。 生活者としての視点からはかけ離れてはいる。ただし、見立てとしてこういうものもあるということで、紹介しておく。生活直結の放射線には迷惑しているからだ。 マスメディアはもちろんこういう話を取り上げない。ぼくもやや懐疑的であるというか、普通はにわかに信じられないと思う。 小室直樹氏が評価されるのは「表のデータ」をもとに学問を究めたからだ。やはり、ポイントはヴィジョン(目的合理性)とエートス(精神)だと思う。 生き様と言っていい。生活者の視点に合致している。
デフレ時にデフレ政策を採るので、デフレは続く。増税もデフレ政策だ。日本は大国に翻弄される。地政学的にそういう宿命だ。 中国、ロシア、米国。こうした大国の磁場で踊る小さな島国だ。 野田首相は、いい加減にしてもらいたい。中身はいいからとにかく参加しよう。ダメだったら抜ければいい、というのは甘すぎるのだ。 相手の顔を立てるなんてのはありえない。相手は日本人ではないのだ。そもそも日本にとって有利なTPPとは何を意味するのか、そのイメージさえつかめない。 TPP原理主義者というのがいた。小泉政権下の竹中平蔵そして太田弘子がそうで、民主党では、前原誠司、野田佳彦たちがそれに連なる。 中野剛志がいうように、TPPの交渉参加は婚約で、アメリカにとっておいしいTPP成立が結婚である。したがって、婚約破棄で、すなわちアメリカは激怒する。 まずは入りましょうという野田首相のスタンスはある種の作戦だ。入ればアメリカが激怒するリスクが出てくるので、原理主義者の思うつぼになる。 この動画で彼はそういうことを言っている。古賀茂明の余波なのかも知れない。 野田首相を背後で支える官僚は、常に先送り体質であったし、いまもなおそうである。公務員の仕事というのは。自民党時代に問題をずうっと先送りして来た。そして、いよいよ事態が危機的な状況になると、とうとうこんなになっちゃったと開き直る。 それにしてもアメリカはえぐい。モロに簡保、郵貯、共済ですね。そして医療と来た。 中野じゃないが、億千万のジパングである。それほど米国もリーマンショック以降、追い詰められているということだ。 あと10年、日本はねばれば、キッシンジャーやデビッド・ロックフェラーも息絶える。 この10年で、BRICSの動静はどう変わりいくか、とにかく企業はアジアが活況づいていて、そして、新興国の隆盛はとめどなく続くので、推移を見守りたい。 欧米の金融資本と軍産複合体が追い詰められて、強欲で動くことが怖い。理不尽で、不合理というに尽きる。リビアの次はイランである。プーチンに期待するところ大。正義に光あれ。 平和のためにわれわれひとりひとりが出来ることを考える。
「TPP 不参加国」でググると一番に出る記事をコピペ。TPP不参加国は結構あるんです、という記事。古い記事なので本当かどうかは不明だが、気になる記事ではある。ということで、貼り付けて置く。 (貼り付け開始) TPPに参加しろという声が、大企業はもちろん、マスコミまでが無批判に追随して、大きくなっています。 TPPに参加しないと、日本の将来はないのだそうです。 なんか、世界のどの国も、TPPに参加しているように、国民には思えてしまうような大宣伝です。 でも、間違ってはいけません。 近隣諸国でも、TPPに参加していない国はあるんですよ。 TPP不参加国:中国・韓国・ロシア・フィリピン・タイ・インドネシア 近隣の主要な国・大国が参加していないのです。 こういう事実を、マスコミはきちんと報道するべきだし、国民は知っておくべきだと思います。 (貼り付け終わり) アルルの男・ヒロシをツイートしていると大事なことが出ていた。これも貼り付けて置く。誰のためでもない。日本のためである。これこそ「闘魂」である。 (貼り付け開始) TPPは、農業の問題だけではありません。 本質は、金融や投資です。 改革法案により、凍結状態にある郵政法。 300兆円が眠っています。 米国はこれを手に入れたい。 TPP参加が決まれば、上位概念となり、郵政改革法案は骨抜きとなる。 日本人の血と汗の結晶が、米国のものとなりかねない。 TPPに参加して、仮に貿易で黒字が出ても、更なる円高で苦しむだけです。 重厚長大から軽薄短小、そしてデフレ経済。 度重なる困難の中でも、日本国民は努力を続けました。 でも、いままで日本人が頑張ってきた結果が、現在の円高です。 努力すればするほど、日本国民は苦しむ羽目に陥ります。 産業の空洞化で働く場もなくなり、さらには農地までも奪われることになります。 (貼り付け終わり) およよと驚く毎日、というブログより。 日本の保守にもいいものがある、とアルルの男・ヒロシをツイートしていてふと思う。ヒロシこと中田安彦氏の主張も傾聴して置くべきだろう。ヒロシといえば、中西寛京都大学教授を思い出す。 彼とは学生時代一度テニスをしただけだが、名前はよく聞く。保守の論客だが、中田氏のようなきわどい話はしないだろう。 胆力を期待したい。 しかし、中田氏の放射能に対するスタンスはいけない。ここは切羽詰った生活者としての責任という観点でモノを言ってほしい。切実さがないというか立場が違いすぎる。ピリオド。 それにしてもネットを渉猟しているといろんな主張、意見に出くわす。マスコミがだらしないからこういう行為が正当化される。 財務官僚を筆頭として、裁判官をはじめ、公務員に対する評価をめぐって、マスコミのだらしなさが際立つ。 すべてとは言わないが、平気で国を売る行為は、非難されてしかるべきだ。そういう文脈で言うとポピュリストと呼ばれる政治家も危うい。新自由主義は、このデフレ国、超高齢化社会の日本では採りえない選択だと思う。 ワシントン・コンセンサスの時代ではない。ネバダレポートは古すぎる。しかし、野田首相は財務官僚に絡め取られているので、多分、米国とはWin-Winという訳に行かない。 野田首相には智慧がないのだ。 BRICSをウォッチしている小沢一郎に対するネガキャンはおかしいと思う。検察審査会の矛盾を追及している「一市民が斬る」をリンクして今日のところは終わりにして置く。 国難にあっては、小沢一郎に一度やらせてみたいというのが心情だろう。副島隆彦流で行けば、彼こそ「日本国王」なのだから。 追記(2011/10/14): ヒロシさんのツイートでTPPの戦略が見えてきた。がんばれ日本!! (貼り付け開始) TPP交渉、関税交渉はオトリ。米の関税は例外的に認められて、金融・医療でやられる。これはかつての自動車交渉と同じ。金融ビックバンの時と同じ。 (貼り付け終わり) |一覧| |
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