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カテゴリ:objects/物体
「東京文化財ウィーク」が開催されています。
都内各所で文化財の特別公開や、特別展示などが行われています。 今年は、千代田・新宿・文京の三区が共同して、「徳川御三家江戸屋敷発掘物語」という展示企画が行われています。 今日は、その中の一つである、千代田区立四番町歴史民俗資料館で開かれている「吉宗も暮らした紀伊家上屋敷」展をみてきました。 御三家は、徳川家康の三人の息子を祖とする家柄で、江戸時代において将軍家に次ぐ家柄であり、大名家の筆頭に位置づけられていました。紀伊国和歌山に城を構え、代々、紀州藩主をつとめたのが紀伊徳川家(紀伊家)です。 当時の大名は、参勤交代で江戸に参上した際に使用する屋敷を江戸に構えていましたが、紀伊家の場合、 上屋敷 麹町邸 紀尾井町 中屋敷 赤坂邸 迎賓館(旧赤坂離宮)の敷地。 敷地北側に「赤坂本殿」、南東に「青山御殿」があった。 の2つが主たるもので、このほかに、中屋敷・下屋敷・抱屋敷を数箇所に構えていました。 今回の展示では、出土遺物のほか、写真パネルや、指図・錦絵などの関連史料も展示されています。 * * * ・「鶴姫君様御殿向図」 国立公文書館蔵 貞享2年(1685)に鶴姫(将軍綱吉長女)が紀伊家三代徳川綱教に輿入れした際、麹町邸に設けられた御殿(御守殿)の表向きが図示される。表門→中御門→御玄関という構成。表門・中御門はいずれも片番所付の長屋門のようである。中門(中御門)は冠木門のような簡略な形式ばかりかと思っていたが、表門と変わらぬような片番所付長屋門が採用されていたことを知り、かなり驚いた。 ・「将軍御成 紀州御殿指図」 東北大学附属図書館狩野文庫所蔵 元禄10年(1697)に将軍綱吉が麹町邸に御成をおこなった際の指図。 能舞台や御成書院が描かれる。 江戸大名屋敷における能舞台を論ずるならば不可欠の史料。 御成書院は戦災焼失した名古屋城のものとの比較考証を加える価値がありそうである。 ・御庭焼関係の展示 南紀男山焼 紀伊国有田郡で焼成。染付磁器を生産。 瑞芝焼 和歌山城下で焼成。青磁。一部陶器。「瑞芝」の刻印がある。 三楽園焼 紀伊家付家老水野家の江戸市ケ谷原町下屋敷内(水野原遺跡)で焼成された磁器。交趾系。 理兵衛焼 讃岐高松藩松平家の国元で焼かれた御庭焼。京焼系。紀尾井町遺跡から出土。 全部、ハツミミ。 ・葵紋瓦・金箔瓦 伝佐竹家上屋敷出土のものなど。ちなみに紀伊藩のものは含まれていない。 ・ゴミ穴から出土した陶磁器類 さすがにプロが税金をつかって掘り出しただけのことはある。 うちにある「ゴミ」よりもクオリティーが高い。 * * * 資料館と同じ建物に図書館が入っていたので、ついでにCDを何枚か聴いてきました。 * * * そのあと、資料館の斜向かいにある東郷元帥記念公園(東郷公園)で休憩。 陶磁器の破片を拾う。(うちの「ゴミ」が増える) 公園は地形的に上下2段に分かれているが、陶磁器片をひろったのはその段差となっているところ。 公園のあたりは江戸時代には旗本屋敷であった(番町全体が旗本屋敷街である)。 東郷元帥記念公園は、当初関東大震災の復興計画により「上六公園」として昭和4年7月に下段の部分が開園された。当時、東郷平八郎(日本海海戦時の連合艦隊司令長官であり、肉じゃがの生みの親ともいわれる)の私邸が隣接していた。昭和9年に平八郎が没すると、東郷元帥記念会より旧邸の土地の寄付を受け、昭和13年11月に「東郷元帥記念公園」として開園した。 拾ってきた染付の蓋の破片は、江戸時代のものである。 あるいは旗本屋敷で使用されていたものかもしれない。 * * * 東京文化財ウィーク2006 http://www.syougai.metro.tokyo.jp/sesaku/week.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.11.05 00:23:44
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