カテゴリ:文芸あれこれ
「DS文学全集」を読んだ中で、読後の評価に迷わず10点をつけたのがこの作品。 心を打ち、感涙を誘うほどに、訴えかけてくるものがありました。 菊池寛 「恩讐の彼方に」 --- 人間の可能性や偉大さを描く名作 旗本、中川三郎兵衛の奉公人市九郎は、主人の愛人と非道の恋に落ち、 それが発覚して、逆に主人を斬り殺してしまいます。 江戸を逃げ出した市九郎は、強盗を働いて生計を立てるなど 罪深い生活を続けますが、連れ添った女房の浅ましい態度をみて反省し、 美濃大垣の寺に飛び込み仏道に帰依します。 了海と名を改めた市九郎は、その後、諸人救済の悲願をたて諸国遍歴の旅に出ました。 行く先々で、悪路を繕い、橋を架け、病人を助け、これまでの罪業を償う事に努めます。 そんな時、九州豊前に来ていた了海は「鎖渡し」と呼ばれている難所を通りかかりました。 絶壁の桟道で、ここから落ちて死ぬものが年に十人くらい出るという険しい道です。 了海は、ここの岩盤をくり貫いて道を通そう、これこそが大願成就の道であると 思い定めました。 了海はこの開削事業のため、まず、寄進を募りましたが、誰にも相手にされません。 そればかりか、そんな出来もしないことを、と言って嘲るもの、 語りものと罵って迫害するものもありました。 了海は槌を手に、一人で大岸壁を掘り始めることにしました。 2年経ち、3年経ち、なおも了海は掘り続けます。 9年が経ちました。この時、了海の掘った洞窟は やっと40メートルの長さに達していました。 人々は了海の事業の可能性にようやく気づき、 石工を導入して本格的な開削作業が始まります。 ところが、翌年、その進捗状況を調べて見ると、 まだ、全体の四分の一にも達していないことがわかりました。 人々は失望し、一斉にこの事業から手を引いていきました。 それでも、了海はなお、一人掘り続けます。 それから、更に5年が経ちました。 その頃には、全体の二分の一が掘られていることがわかり、 再び多くの村人たちが協力を申し出てきました。 もはや、誰もこの事業の可能性を疑うものはありませんでした。 何十人という石工が、動員されていきます。 掘削を始めて、すでに20年近く。 洞窟に座り続けた了海の両足は萎え、両眼は飛び散る石の破片のために 失明同然になっていました。 村人たちは、ここまでやってきたのだからと、了海に休むように勧めますが、 了海は頑として槌を手放しません。 この頃、了海(市九郎)のために非業の死を遂げた中川三郎兵衛の実子・実之助が、 父の仇を追って、九州にまでやってきていました。 実之助は、噂話をたどっていって、ついに、 了海こそが市九郎に相違ないと突き止め、すぐさま、鎖渡しの現場に直行します。 父の仇とまみえ相対する事が出来ると、張り切る実之助。 しかし、目の前に現れたのは予想に反して、無残な姿のよぼよぼの老僧でした。 期待はずれの仇ではありましたが、仇討ちを果たさないことには家名の再興は望めません。 了海は、「この隧道の完成が見れないのは残念ではあるが、私の罪ほろぼしとして堀り始めた この洞窟、私が人柱となれば思い残すこともない、いざ、お斬りなされ。」 といって、実之助の前に座ります。 しかし、そこへ、石工の棟梁が進み出て 「せめて今の隋道が完成するまで了海様の命を預からせて欲しい。」 と実之助に懇願しました。 実之助も、一旦これを受け入れました。 しかし、それでも、実之助はあきらめきれませんでした。 隙を見つけては、了海の首を挙げる機会を狙っていました。 ある日、深夜に一人槌を振るっている了海の背後に忍び寄り、 了海を討とうとしました。 しかし、経文を誦しながら槌を振り続ける菩薩のような了海の姿に圧倒されてしまい、 どうにも、了海を討つことができません。 実之助は、もうこの上は、この隧道が完成するまで待つしかないと観念しました。 そして、一刻も早く完成させるためには、自ら工事に加わろうと思い始めました。 一日でも早く仇討ちを済ませたいと願う実之助。 了海と並んで、深夜も2人だけで共に槌を振るい続けました。 それから、一年あまり後。 了海の打ちおろした槌が、ついに最後の岩盤を貫きました。 了海は、歓喜の声をあげて、かたわらの実之助の手を取りうれし涙にむせびます。 了海が槌を振るい始めてから21年。実之助と出会ってから1年6ヶ月目のことでした。 そして、了海は実之助に向かって 「約束の日じゃ、明日ともなれば、石工たちがそちの仇討ちを妨げるであろう いざ、お斬りなされ。」と。 しかし、実之助は、了海の前で、涙にむせんで、ただ座っているばかり。 このかよわい人間の手で、成し遂げられた偉業に対する感激で胸がいっぱいになっていました。 彼を仇として殺すなど思い及ばぬこと。 2人は、ここに、すべてを忘れて感激の涙にむせびあったのでした。 この物語の舞台は、大分県に今も残る青の洞門。 江戸時代の宝暦年間に、禅海という僧が托鉢で資金を集め、 石工を雇って岩盤をくり貫いたという実話をもとに構成された物語です。 作者の菊池寛は、文芸作品の創作に触れた話の中で、 この「恩讐の彼方に」を例に挙げてこう語ったと云います。 『文芸作品の題材の中には作者がその芸術的表現の魔杖を触れない裡から、 燦として輝く人生の宝石が沢山あると思ふ』 人生への向き合い方を教えられ、生きる勇気を与えてくれる。 この作品は、そうした名作であると思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[文芸あれこれ] カテゴリの最新記事
|
|