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2012年03月25日
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カテゴリ:明治の群像

今では、めったに映画館に足を運ぶことがなくなったとはいうものの、
それでも若い頃は、しばしば町の映画館にロードショーを見に行ったものです。


映画館も、最近ではシネコン(シネマコンプレックス)と言って、
複数の映画を一か所で上映するというスタイルに変わってきていますね。
以前に比べ、快適で便利にはなったとは思う、その反面、
効率が追及され過ぎているような感じがして、
昔ながらの映画館というのが懐かしく思ったりもします。


そんな、昔ながらの映画館の代表的なものとして、
大阪ミナミに「南街会館」というロードショーの上映をする専門館がありました。

この「南街会館」は、その前身を南地演舞場といって、
実は、ここが、日本で初めて劇場映画が公開された場所だったのです。

それは、1897年(明治30年)のことで
この時、上映されたのが、「動物園のライオン」「公園の水撒き」など12本の無声映画。
動く写真を見てみたいと、観客が殺到したのだといいます。


この南地演舞場の跡地も、今では「TOHOシネマズ」というシネコンになっているのですが、
それでも、ここが映画発祥の地であったということの痕跡として、
「TOHOシネマズ」へと向かうエレベーターフロアの片隅に、
「映画興行発祥の地」という記念プレートが残されています。


  • 映画記念碑2.jpg



さて、今回のお話は、日本映画草創史。

この日本で初めて映画上映を行ったという人物が、
関西の実業家であった稲畑勝太郎という人なのですが、
まずは、彼の生い立ちから話を始めたいと思います。


稲畑勝太郎は、1862年(文久2年)京都の菓子職人の家に生まれました。
幕末の混乱期で家業が傾いていく中、苦学を続け、師範学校へと進みます。

しかし、勝太郎は、若いながらも、その鋭敏の才と学力が認められたのでしょう。
師範学校卒業後、15歳にして、一躍、京都府の派遣留学生に選ばれ、
フランスのリヨンに公費留学することになります。

この時、彼が命ぜられたのは、染色の研究。
これは、当時、東京遷都によって京都の町が衰退していく中での
京都復興策の一環でもありました。

リヨンという町は、当時、世界的な絹織物の中心地となっていて、
ここで、勉学を積み、最先端の合成染料と染色技術を学ぶことが、
彼に与えられた使命なのでありました。

勝太郎は、リヨンの工業学校を出たのち、リヨン大学へと進みます。
また、勉学だけではなく、染工場への徒弟奉公を続け、
過酷な労働の中、実地での染物技術を会得していきました。


8年間の留学期間を終えた勝太郎は、1890年(明治23年)に帰国。
京都で稲畑染料店(稲畑商店)という会社を創業します。

しかし、そんな勝太郎が、映画と出会い、これに魅せられていくこととなったのは、
彼が商用でフランスに出掛けていた時、リヨン留学時代の同級生であった
オーギュスト・リュミエールと再会したことによるものでした。

リュミエールといえば、シネマトグラフという撮影・映写機器を発明したということで
知られている人。

映写機ということでいえば、このシネマトグラフより先に、
エジソンがキネトスコープという機械を発明していたのですが、
これは、一人でのぞき眼鏡を通して映像を見るという方式のもので、
一度に複数の人がスクリーン上の動画を共有する
今の映画にあたるもの、ということでいえば、
その開発者は、リュミエールということになります。

勝太郎と再会したリュミエールは、シネマトグラフを見せて、
これが画期的な発明であるということを勝太郎に説明しました。

これを見るや勝太郎は、この最新の光学装置に衝撃的な魅力を感じ、
即座に、巨額を投じて、シネマトグラフを日本に輸入することを決意します。

リュミエールから、装置2台とフィルム、さらにシネマトグラフの興行権を買い取り、
さらに、撮影技術者も一人つけてもらって、日本に帰国してきました。


京都に戻ってきた勝太郎、すぐさま、試写実験に取り掛かりますが、
しかし、電気がやっと通ったばかりの日本でのこと、
この試写実験は悪戦苦闘を強いられることになり、
変圧器を特注し、一週間以上も試行錯誤を経て、
それでも何とか映写実験の成功にこぎつけました。


そして、その第一回の上映を行う場所が、大阪の南地演舞場に決定。

リュミエールから提供された「動物園のライオン」「公園の水撒き」など12本を
上映することになりました。

この上映会は、大成功を収めることとなり、
自動写真と呼ばれて、当時、大きな反響を巻き起こしました。

 
続いて、勝太郎は日本初の映画撮影にも携わっていきます。

フランスから連れてきた撮影技師が、リュミエールからの要請もあって、
さまざまな日本の風景や日常を撮影したのです。

この時、日本を舞台として映画に撮られたのが、
「稲畑家の食事風景」や「北海道のアイヌ」などのフィルム。

これらは、映画という文化を日本に根付かせる、最初の第一歩になったものであるといえます。

こうして、日本に初めて映画を持ち込み、その最初の興行者ともなった稲畑勝太郎。

しかし、ほどなくして、勝太郎は映画の興行から手を引くことになります。

それは、彼の本業は、あくまでも紡績産業を発展させることであり、
また、映画の興行というものは、片手間で出来るようなものでなかったということだったのだろうと思われます。

勝太郎はその後も、染色事業で画期的な業績を残し、
また、関西の実業界をリードし続けて、大阪商工会議所の会頭まで務めたりもしました。


ところで、その後の映画興行はどうなっていったのか。

勝太郎は、映画の興行から手を引くのに当たって、
映画の興行権をはじめ、機械、フィルムなどの一切を、
これもフランス留学時代の同窓生であった横田万寿之助という人物に譲りました。

万寿之助は弟の永之助とともに、勝太郎の意志を受け継ぎ、
兄弟で、勝太郎の映画事業を引き継いでいくことになります。

まず、横田兄弟は、巡業隊というものを編成して、
浅草、北海道、東北、北陸と、次々に全国に映画を興行して廻りました。

上映する内容も、最初はリュミエール社などから、新作フィルムを輸入していましたが、
横田商会という会社を設立してからは、日露戦争を撮影した記録映画の製作や
自作の活動写真製作にも徐々に着手していきました。

そうした中、やがて横田は、映画を芝居仕立ての娯楽として展開していこう、
ということを考えるようになります。
そこで、横田が見い出したのが、京都・千本座の若き座主であった牧野省三という人物。

横田は、芝居演出に長けた牧野に活動写真の製作を委託し、
その後、彼のもとで、次々と時代劇の映画が作られていくことになります。

その第一作目が「本能寺合戦」という作品。
続いて「碁盤忠信・源氏之礎」という作品では、尾上松之助という役者が人気を集め、
全国に「目玉の松ちゃん」旋風を巻き起こしました。

こうして、牧野省三は、日本で初めての映画監督となり、
尾上松之助は、日本で最初の映画スターとなっていったのでありました。

そうした中で、やがて、京都が、
全国の、特に時代劇における映画撮影の拠点となっていきます。

その後は、東京を中心に映画興行を行っていた大手3社が、横田商会と合併。
「日本活動フィルム株式会社」(日活)が発足し、
日本映画はその後も発展を続けていくことになったのでした。



日本映画は、近年、とみに海外でも高い評価を受けて、
映画祭において、度々賞を受けたりしていますが、
その礎は、こうした形で、先人たちが築いてきたもの。

そして、そのきっかけとなったのが、
フランスで、ふとしたことから再会した、リュミエールと勝太郎との出会いであったのです。


さて、最後に、もう一度、稲畑勝太郎の話です。

勝太郎が設立した会社は、その後、なおも大きな発展を遂げ、
現在も、稲畑産業という上場企業となって、業績を残し続けてきています。

いち早く、日本に映画を導入するなど、優れた先進性を持った起業家であった稲畑勝太郎。

そんな勝太郎の生涯と業績を描いたフィルムをYouTubeで見つけました。
内容は、稲畑産業のPRのようではありますが、
稲畑勝太郎のことをうまくまとめてあるので、最後にこれをご紹介したいと思います。

パイオニアのDNA 受け継がれる創業者の精神







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最終更新日  2012年03月25日 22時42分49秒
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