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カテゴリ:オーラの泉
ブロードウェイでもご活躍の宮本亜門さん。
「演出家同士でも、お互いとても仲がいい。素直でお人よしで、漫画みたいな方。」と美輪さん。 江原さんは、「いろんな意味でご縁を感じる」と。 【スピリチュアル・チェック】 ☆ 小さい頃、なりたかった職業→裏千家の家元。 ☆ 一番リラックスする場所→沖縄の家。 ☆ 苦手なもの→人に首を触られること。 ☆ 人生の転機→21歳でお母さまがなくなったこと。初舞台の初日の朝。 ☆ 美しいといえば?→自然。仏像。 ☆ 不思議な体験→2001年に交通事故にあったとき、奇跡的に助かったこと。 太一君は1995年の宮本さんの舞台「サウンド・オブ・ミュージック」に出演したとのこと。 美輪さんとは旧知の仲で、とてもお親しいようです。 宮「ずっと前からちょいちょい会っているような気がしてて。この前も新幹線で会ったんですよ。」 美「ついこの間、新幹線で会ったときにね、私にナイフを突きつけて『オーラの泉』に出せ、って 言うの☆アブラカタブラって魔術かけるのよ☆だから『はい、お話しときます。』って。」 宮「そんなことないって、美輪さんに誰が魔術かけられるんですか?!」 美「あなたよ☆」 国「かからなそうですよね、美輪さんには何も。」 はい、そう思います☆魔物もトライしようとしただけで、カルマの法則が発動☆するでしょう。 【サウンド・オブ・ミュージック】 美輪さんは亡くなったお母さまに雰囲気が近いそう。 宮「とても優しくて、ドーンとしてくれてて。 うちの母親は松竹歌劇団のレビューガールだったんです。 家庭の事情で辞めざるを得なくて、舞台への思いがあったので、僕に 舞台がどれほど素晴らしいかを説いていたというおふくろですね。」 美「だから訳もなく、自分の子供か弟みたいな感じで、すごく可愛いのよ。不思議なの。」 ☆ 宮本さんのお母さま・・・宮本須美子さん。芸名 久世蘭子。1980年に逝去。 江原さんに対しては、とても頑張っていらっしゃるという印象をお持ちの宮本さん。 宮「ごめんなさいね、自分がTVに出ている理由というのが、 本当に舞台に観客が来て欲しかったというのがすごくあって。 TVに出ているといろんな言い方をされるじゃないですか。 きっとその中で江原さんも絶対、いろいろあるんじゃないかと僕は思うんですよ。 『こういうものは、別に出なくたっていいんだ』って言う人もいるだろうし。 だけど、その目的がすごくあるから、こうやって言葉に気をつけられながらも、 みんなの前でしゃべっていらっしゃるという姿をひしひしと。江原さんの内容よりも、 自分がおんなじような立場という気を、勝手にさせてもらっているので。 本当にすみません、こんなことお話して。そういう感覚がありました。」 江原さん、大きく頷きながら聞いていらっしゃいます。 国「今までのゲストの方で、こういう目線の方はいませんでしたね。 本当にそうですね、よく考えると。」 宮「それを感じている方、多いと思いますよ。」 【私のこだわり人物伝(2006年 4ー5月)】 スピリチュアルな感覚は、仏像が好きということ以外、あまり感じられないそうですが、 交通事故にあったときは不思議な気持ちをされたようです。 2001年の、9.11同時多発テロ発生時にニューヨークにいたため、 心身共に疲れきってバンコクに静養に行かれたときにあった事故。 宮「タクシーに乗っていたら、横の車がバリバリとぶつかってきて。 ふと気づいたら電信柱がきて、体がフロントガラスを突き破って、 頭からだったんでよかったんですけど、10メーターくらい飛ばされたんですね。 一瞬、意識はなかったんですが、頭がきれいに割れて、顔全部にガラスの破片が入って。 面白かったのが、舞台の演出のある場所、『再演するとき、あそこだけは変えたいと 思っていたんだ。俺は生きなきゃ。』っていったん起きたのは覚えていて。 本当に舞台の演出が好きなんだって、そのとき思いました。」 バンコクに行かれたのは、テロについて取材されることを避けたかったから。 宮「本当に街中が精神的にぼろぼろ。灰の中で、みんながなんとか 這い上がろうとしている状況を見ながら、僕は異国の人だから、できることは 『頑張ろうね。』と抱きしめることと思ってやっていたものの。 いつも乗っている地下鉄に乗れなくて、違う所に行っちゃうんですよ。」 違う駅に降り立ってしまう自分に、精神的なクライシスを感じて東京に帰るも、 リアルタイムでの経験への取材攻勢をかわすためのバンコクへの逃避行。 【「ユーリン・タウン」オリジナル・キャスト盤】 事故に合われたのは、「立ち向かいなさい。」というメッセージ。 宮本さんは魂の経験が多く、いつも「見たくないものを見させられてしまう」ため、 いつもそこから逃れたいという気持ちを抱いている。 美「それにしても、すごい生命力ね。顔にどこにも傷なんて残ってないの。」 宮「前は右と左の顔が違ってたんですが、同じになって。引き延ばされちゃった。 左右対称になっちゃったんです。」 美「だから地球のひと全部が死んでも、自分だけ生き残る方☆」 国「それは寂しいですね。」 宮「寂しいですねえ。」 大怪我をすると、やはり傷が残るそうですが、50針もの怪我でもまったくその気配がない。 逃避行、生命力、そして左右対称という言葉も、キーワードに。 お母さまが亡くなったことが人生の転機という宮本さん。それでも、いつも父兄参観のごとくに そばにいらっしゃって、美輪さんに会わせてくださったり、演出のヒントを下さっているそう。 肝硬変を患い、入退院を繰り返して潔く死にたいと公言しつつも、 ご自宅の喫茶店で、初舞台の練習の様子を熱心に聞いておられたお母さま。 【美輪明宏 愛の話幸福の話】 宮「いよいよ舞台が開くよって、毎日報告に行くんです。僕に珈琲を飲ませながら、 『どうなの、どうなの、どんな音楽があるの、いいわね。』 アクエリアスという曲があって、僕が歌うと 『あたし、それが好きだわ。』と言っていたおふくろがいて。 最終稽古が終わり、下宿に帰ったら、浴室で僕の下着をつかんだまま、倒れていたんです。 救急車で運んでいって。『彼女の夢は叶った。』と思ったんです、本当に。苦しまなかった。 大好きな息子のことを思い、明日がいよいよ初日だという気持ちで、 パンっといっぺんに逝ったんだろうと、僕は思ってます。なので 『ちょっと格好良すぎるんじゃない、あとに残された者の準備ができてないよ。』っていう 気持ちもあったし。 初日、夕方六時くらいに、客席の真ん中に親父とおふくろの席があって、 もちろん親父も葬儀の準備で来ていないわけです。 そこに薔薇の花を置いて、もうそこに向かって精一杯、歌って踊っていたときに、あっ。 『もう、お前はひとりで生きなさい。』 だいたい僕は甘えん坊だったから。ずっと甘えていたし。おふくろは 『なんとかなる、なんとかなる。』って言うけど、僕は 『いや、もうそんなこと言ったって・・・。』っていうところがあったんで。 そのとき、『あたしがいるより、あんたはひとりで、一人立ち。頑張んなさい。』って、 思ったのかなあ、舞台にいた時に・・・。」 宮本さんの目前に、想念の世界が広がっている様子です。 ☆ アクエリアス・・・宮本さんのダンサーとしての初舞台、 ロックミュージカル「ヘアー」のテーマソング。 【あっ! ぼくがさがしていたものは】 美「つまりあなたはね、考えなくてもいいことを考えるのよ。考え過ぎなの。考えすぎの、 マイナス思考の病気だから。それは生まれたときからそうだと思うのね。 何にも追い込まなくてもいいのに、どんどん追い込んでゆく。一人相撲をしてね、 『ぶたないで、ぶたないで、どうしてそんなにぶつの?』って言いながら、 自分で自分の頭を壁でガンガンぶつけているの。そうでしょ?ね? 『やめて、やめて』って言いながら自分で頭をぶつけて☆」 スタジオ中、美輪さんの実演に大爆笑です。 【NHK-DVD 美輪明宏「人生愛と美の法則」2】 宮「めんどくさい奴ですねー。」 美「だから、めんどくさい性格なのよ。」 宮「ああ、そうなんだ☆」 美「亜門ちゃんとはね、いままで深い話をしたことがないの。仕事場でちょっと軽く話すくらいよね。 でも手にとるようにわかるのよ。小さい頃からのいろんなことや何かがね。 それで、まあお母さんは大変。 『この子はどうやったら普通に明るくなってくれるだろうか、 そういう風にもってゆくにはどうしたらいいのかしら。』っていつも頭を悩ましていらしたのね。」 お母さまと一体となったような美輪さんの言葉に、江原さんもうなずかれます。 明日に続きます。 *** オダギリ・ジョーさん、加藤あいさんなど、他のゲストの方の回を読んで下さる方は 「精神美(オーラの泉など)」へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 3, 2006 09:19:54 AM
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