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秀岳らんちゅうのブログ

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2013年04月18日
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カテゴリ:2013.04
 さてさて、どうやら愛好家も嵌ってきたような気がするが、池の方は大丈夫かな。

 あっそう、いらん世話、そうですよね。人のことを心配している場合じゃないですよね。

 
 さて、飼育7年目、自分の作りたいらんちゅう、何を求めて嵌まっているかについて当方の考えを記してみたのである。当たり前のことかもしれないし、変な奴と思われるかも分からないが、すぅーと読むだけで、クレームは結構です。


 誰もが同じように品評会に出品し、上位入選を目指す。そのために飼育に切磋琢磨するのは、ほぼ共通の認識、行動ではないだろうか。

 中には本当に趣味に、鑑賞に飼う方もいると思うのだが、その方々はとりあえず別として、よく聞く言葉に「いい魚」という表現をする方々が、当方を含め多いのだが、とり方によっては、愛想で、もしくは上位入選だから、あるいは他よりも良魚だから、という部類のいい魚である。

 そう思える時もしばしばあるのである。


 人それぞれ「いい魚」への思いの違いは当然あると考えるのだが、当方が思う自分で作りたい本当にいい魚とは「万人が心から欲しがる魚」と自分なりにこだわっているのである。

 確かに品評会で上位入選することは、簡単ではなく産卵からだと容易ではないのも分かるし、評価が高いのも当然分かるのだ。郷に入れば郷に従え、なのかも知れないのだが、しかしそういう時ばかりではないような気がするのだ。



 当方が考えるいい魚の基準は、洗面器に上がった時や池にたくさんいる時等には関係なく、比較できる魚がいない状態で、当該魚を見てどう思うか、「本当に欲しい」と思えるかどうかである。

 
 だから品評会の審査基準とは少し違うところもあるかも知れない。

 要するに見ることが、判断することができる目を持っているかにもよるものだ。

 感性とこだわりだけで生きてきた人間がこんなふうに言うのもおこがましいが、どうしても池の中で観てしまうと比較するのである。

 比較するのが悪いのではなく、みれる目、技術、たくさんいる中で単体でみれる目が重要でないかと思うのである。


 比較対象でも判断するのが難しいらんちゅうの世界で、ましてや・・と思うのだが。


 当方が今後も気をつけて、技術をつける優先順位が高いのは、やっぱり先見性と単独でみれる目、この技術を身につけることに嵌まってしまうのだ。・・・難しいー。


 
 社員の仕事に対する先見性、悪行三昧する時の女性を見る目である。


↓宜しく、お願いします。 



 
 
 





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Last updated  2013年04月18日 12時46分22秒
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