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音楽雑記帳+ クラシック・ジャズ・吹奏楽

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bunakishike

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2015年04月09日
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先週の土曜日に病院から帰ってきたら、叔母が亡くなったと連絡があった。
それ以来いろいろなことがあり、昨日やっと葬式が終わった。
合わせて五日間、その間私は最初の日と火葬の日のみ参加した。
仕事でお客さんが来ていたので、葬式は妻に代わってもらった。
火葬の時も、ギリギリまで仕事をして、終わってからまた仕事に戻った。
月曜日から水曜日までお客さんが来ていたので、どうしようもなかったのだ。
ここら辺はまだ昔ながらの葬式のやり方で、親戚はもとより、近所の人も手伝いに来てくれる。
妻も日曜から葬式までずっと出かけていて、さすがに疲れたようだ。
集まるたびに料理をもっていくことも負担が多かったようだ。
このような風習は、普段付き合いのない人と親しくなる機会でもあり、悪いことではないが、今の生活のリズムからいくと、あまりにも時間を取られすぎる。
専業主婦とはいえ、その間何もできなくなるのは辛い。
私の場合、父が亡くなった時、業者に任せることができるところは任せ、親戚の負担を少なくしたが、それが不満な人もいたに違いない。
こういう風習は面と向かって文句を言いにくいこともあり、ずっと続いているようだ。
本来死者の死を悼むのが目的の筈が、雑事に紛れてずれてしまっている感じがする。
ただ、遺族には申し訳ないが、あまり合わない人との再会などもあり、少しウキウキする時間でもあると言ったら不謹慎だろうか。
誰かこんなこと止めようと言ったら、それであっさり終わりになりそうな気もする。
無駄だと切って捨てていいのかという問題もある。
そもそも宗教そのものが壮大な無駄と言って良いかもしれない。
毎日毎日沢山の人たちが祈りをささげる時間は、ものすごい時間になるのだろうが、誰も無駄だというのを聞いたことがない。
それが宗教というものかもしれない。






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Last updated  2015年04月09日 21時28分45秒
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