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Her's(ハーズ)奮闘記!

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2016年02月11日
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カテゴリ:主に医療者向け

※今回、あまりの長文となったため、「前編」「後編」と分けました。

以下、「後編」です。





我々のような、命に関わる職種にとっては、【分を弁える】ということが

患者さまの利益を最大限に守りつつ、自身の保身に最も重要なことであると

これまでの経験から確信してきました。



昨今の「起業(開業?)流行り」の風潮を見るにつけ

なぜ、医師との連携もなく、疾患や症状を限定することもなく(限定されているところもあるようですが)

あんなに堂々と、広く患者さまを受け入れられるのか?!

自分がいかにちっぽけかを痛いほどわかっているわたしには、空恐ろしくてなりません。



わたしは、癌という、命に関わる可能性の極めて高い疾患との関わりが深いだけに

迂闊な自己判断で、患者さまの予後を狂わせることが何よりも怖いので

その点には小心者に過ぎるくらいに、慎重に、神経質に配慮するよう努めています。



いわゆる「開業系」と呼ばれるセラピストたちは

ウデに自信があり、問診から得た情報とともに評価し、原因を判断して対応していると思われますが

本当にその判断で間違いないのかどうか、何を根拠にわかるのでしょう?

我々は、血液検査ができるでなし、画像診断(と言うか、撮影自体)ができるでなし

そもそも「診断」という行為が許されている訳ではないのに

それでどうして、責任ある対応をしていると言えるのでしょうか。



若干の語弊はあるかも知れませんが、我々のようなコメディカルの知識なんて

医師に比べれば、取るに足らないものであると、少なくともわたしは考えています。

(そもそも、学びの量も、質も、教育体制自体が全く違いますよね)

海外を例に挙げて、日本でも開業を認めるべきだ、という意見がよく聞かれますが

海外では、それに足るだけの教育が行われていますから、一概に同等の比較はできないと思います。





医師との連携なく、患者さまに対応しているセラピストたちは

もし、見えない情報の中に、命に関わる重大な問題が隠れていたら?とは、考えたことはないのでしょうか。

わたし自身が、法令遵守の目的以外に、必ず協力医の受診を条件としている理由のひとつには



患者さまは、必ずしも本当のことをすべて伝えてくださるとは限らない



という不安もあります。



患者さまは、言うなれば「素人」です。

問診票の記入など、患者さまの自主的な申告に任せていると

こちらにとっては、絶対に必要な情報であり、当然伝えてくれる筈と思い込んでいることであっても

患者さまご自身が、その必要性をご存じなく「別にいいか」と伝えてくださらないことは十分にあり得ます。

或いは、絶対禁忌にあたる事項があっても、患者さまご自身がそんな状態にあることをご存じないケースも。

そんな素人を相手に、本当に確実な診断まがいのことができるのか、ただただ怖いと感じます。

そして、相手は素人ですから、「もしも」のことが起こった時

落ち度はプロであるセラピストにあるのです。

そんな時「伝えてくれなかったから」なんて言い訳は通用しません。

「知っていたら、そんなことはしなかった」それは、あくまで、我々の暗黙の常識であって

そんな常識を素人に押し付けられる筈がないのですから。





我々は、どちらかと言うと、職人気質の技術職としての傾向が強いと思われますので

治療技術そのものは、確かなものを持っているとしても

その技術を適用させるに至るまでの過程(診断や処方)に関しては、やはり医師の専門領域です。

それを凌駕しようとしたり、してしまったら、それは「分を超える」ということです。





だんだん取り留めがなくなってきそうなので、まとめたいと思います。



確かに、時と場合によっては、我々の方が医師よりも優れていることもあるかも知れません。

しかし、現行の法制度や、実際の教育の質など、医師は、医師たるだけのものを備えています。

そして、その責任も、我々のそれより遥かに大きく、重いです。



わたしは、何も医師を崇め奉れ、我々は己を卑下しろ、なんてことを思っている訳ではありません。

適材適所、チーム医療を行ってこそ、真の患者さまの利益を追求できると考えているのです。

と同時に、我々の適切な身の処し方に繋がるとも。



ちなみに「チーム医療」は、病院などの組織内でしかできないとは思いません。

わたし自身、お隣の協力医をはじめ、

必要に応じて問い合せを行ったり、情報提供とともに紹介したり

フィードバックを受けて、その後のケアの継続に役立てるなど

まさに、適材適所と言える取り組みを、これまで続けてきています。

独立したから、ウデ一本でやる!やれる!!というのは、浅はかな驕りでしかありません。





我々は、物を売って利益を得る仕事をしている訳ではありません。

対象は、人であり、多かれ少なかれ、その人生にも関わっています。

患者さまに不利益を与えた場合「すみません」では済まないことがほとんどです。

一度きりの人生、ひとつしかない命に、替えは利かないのです。



患者さまに対応するのに、自信が持てないのも問題ですから

研鑽を積み、不安を感じさせないように、外見(雰囲気など)も内面も十分なものを備えることは大切ですが

自分の「知っていること」と「知らないこと」をしっかりと熟知し

知っていることには、持てるすべてを駆使して全力を尽くし

知らないことには、然るべき情報提供を行うなどの尽力をする。

我々が、いかに危険で責任の重い立ち位置にいるかということを、いま一度再認識して欲しいのです。



知らないことは、知らないと言える勇気。

そのうえで、最善の方向・結果に向けて誠意を尽くすことこそが、

我々の矜持であるべきだと、わたしは思っています。





前後編にわたる長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。









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最終更新日  2016年02月12日 03時28分05秒
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