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注:この小説は、震災ストレス解消法として、寄付をオススメする内容です。 寄付は義務ではないですが、ストレス解消法として大変効果がありますと書いています。 NHKラジオを聞いていたら、震災被災者を西日本の温泉旅館に避難してもらって、国費でその費用を出すなんて話があって、温かいお風呂に入ると、身も心も温まるなんて話をしてた。 いいんじゃん。 バスなんてじゃんじゃん送っちゃってさ、とりあえずほっとしてもらえれば、どんなにかいいかさ、病院だってあるし、食べものもあるし、国費で神戸牛を食べてもらってもいいし、西日本の腕の立つ料理人は、ボランティアでもおいしいものを食べてもらおうと腕を振るうだろうしさ。 電車に揺られて、何か計画停電であわてふためいて買った携帯ラジオを聞くのがなにか最近マイブーム。 単四電池で毎日聞いても4日は持つし。 イヤホンから流れてくるニュースを聞きながら、これは夢じゃないんだって思う。それでも流れてくる話を聞きながら、ああ、日本の形が変わってしまったのだと、そう思う。 (地図が変わっちゃったんだよね) もういっかい、書き直しじゃん、地図、大変だね。 それでもコカコーラZEROを飲むとしゅわっと口の中ではじけるだけで、元気になる。このおいしさを味わえばみんな元気になるのに、なーんて思ってしまう。 休日の私鉄電車はがらがらで、みんなそれほど暗くない顔で乗っている。 明るい日差しに照らされる人たちの顔をみていると、ここは平穏で、あの震災のこわい混乱から隔絶された世界のように見えてくる。 車窓の外に見える明るい街並みを見ていると、なにかほっとする。 あたしにとっては、初めて身近に感じた震災。 テレビで見て、ラジオではずっと聞いている、そんな震災。 沢山のひとたちが苦しんで、あたしたちは今のところ安全な所にいる、そんな震災。 ときどきある計画停電にもだいぶ馴れて、それでも停電のたびに、むっと怒るのだけど、それでも被災地のことを思うと、まあ、しゃーないかって、そう思う。 電車を降りると、言葉の少ない人たち。 そこをすたすた歩いて、改札へ向かう。 あたし、言っちゃったんだよ。 お前たちのクズみたいな言葉よりも、500円玉の方が価値があるって。おまえらがくだらないことをぎゃーぎゃー言い合っているよりも、100円募金する方が価値があるって。だからこれは自己責任。この前、もらったグーグルの広告費を崩しに行く。こんなのあぶく銭みたいなものだし。 携帯を開くと、ネットの怒号がすぐにやってくる。 なんだろ、この人たち、白痴みたい。 ストレスを処理できなくてわめき散らしているだけなんだって、あたしでも分かる。 (そうでなければ、悪意を持って混乱させようとしているのだけど) かわいそうな人たち、ばいばい。 あたしにはそんなのにかまっている暇はない。 昨日のテレビでは、無残な被災地の様子が映し出された。途方にくれたようなリポーターの正直な感想が、ああ、あそこに立ったらこう思うのだろうなって、それぐらいは感じた。 被災地では、避難所で暖房もなく、食料もないのだという。 黒い波に呑み込まれる街と、逃げ戸惑って波に飲まれる自動車。 淡々と正常を維持しようとする、妻を失った老人。 もうそんなのが、現実なんてイヤじゃん。そんなの受け入れられないじゃん。 でも、それが現実なんだって、分かるしかないじゃん。 それが出来ないひとたちが、騒いでいるだけなんだよねって、分かる。 「お前たちのクズみたいな言葉よりも、500円玉の方が価値がある」 そう呟いて、グーグルマップの印刷を見る。 銀行がすぐそこにあるはずだ。エスカレーターに乗って、エレベーターに乗って、土曜日に開いている銀行窓口に行く。あたしみたいなお客をブルーのシートと、大画面のロイターの為替情報が迎えて、親切なお姉さんが、応えてくれる。 「あの、募金したいんですけど。今あるドルを全部円にして」 「ではまずサインと、ここと、こことですね、ご記入をお願いします」 さらさらっと書いていく。 困って聞くと、お姉さんが丁寧に答えてくれる。 「お振込口座はどこですか?」 しまった、分からない。 でも、そう、確かそうだ。 「テレビ朝日でやってたんです。振り込めって」 「ああ、ではお調べします」 しばらくして、お姉さんがあたしよりもきれいな字で書き込んでくれて、それで全部終わったらしい。 「大変もうしわけありませんが、週明けの処理になります」 うん、それでいい。 丁寧な複写用紙を受け取って、その銀行を出て、エレベータに乗って、電車に乗ったけれども、なにか実感が湧かなかった。 (あのお金でなにが買えるだろう?) そう想像した途端、沢山のひとたちが、おいしいあったかいコーヒーを飲んでいる光景が浮かんできて、コーヒー、おいしいって言葉がきこえて来て、なにか背筋が震えた。あたしが払ったたいしたことのないお金が、少なくともあたしみたいなどうでもいい人よりも役に立つんだって想像できて、吊革を握っているのが困難になった。 (あたし、役に立ったじゃん) そう思った途端に、なにかこれまでの震災ストレスがなくなってしまったような気がして、その代わりにコーヒーおいしいと言っている人たちの顔が浮かぶようになった。 気付いたら、なにもかもが消えていて、暖かかった。 駅を降りて、あたしすっからかんになっちゃったなと思った。 まあ、もともとすっからかんなんだけど、なんでかあった貯金まではたいたのかと、思った。でも、まあ、死ぬわけじゃないし。 改札を出て、自動販売機に150円を入れてコカコーラZEROを買おうとして、手が止まる。 (このしゅわしゅわ、被災地の人に味わってもらいたいかも) そう思って、今日の150円は募金に回そうって思うと、心が軽くなる。 ひとり100円、一億人なら毎日100億円じゃん。 一年続ければ3兆6500億円。 こんなストレス抱えているぐらいならば、一日百円寄付する方が楽なのにね! あたしは、駅を出て、自宅へと帰っていく。 「ばかばかばか、みーんな、ばか、おおばか。なんにも分かってない。こんちんちきの、くたびれもうけだ!」 そう大声で叫んで、あたしはご機嫌で商店街を歩く。 節電しているお店の間を歩くうちに、ふふっと笑みが漏れる。 「でも、ないか」 世界が輝いて見えた。
もはや、このサマーウォーズが面白いか、面白くないかは話にならない。 問題はこの映画が何十億円売り上げるか、が唯一の問題になりつつある気がする。 休日しか予定が開けられないのであれば、見ることが出来るのは、数週間後になるかもしれない。 もはや、この映画のチケットは早い者勝ちになっている。 本日は県内で鑑賞。 18時までに家に戻る予定だったので、満席だけは避けたかった。 そこで、本命館とは別に予備館を設定、二重の備えで出陣(あの映画を見た後ではそう書きたくなってしまう)した。 本命の新都心のシネコンまで来て状況の予測があますぎたことを理解する。 次の回はもちろんのこと、その次の回も満席で、その次の回も残券少。早速、予備シナリオに切り換え、浦和駅から浦和美園駅行きのバスに飛び乗った。 サマーウォーズは、時をかける少女の細田監督の原作作品で、期待を集めていた作品だ。配給はワーナーブラザース。おそらくこれは独占配給だと思われる。つまり全国のワーナー系の映画館でしか見ることが出来ない。 おそらくワーナーは需要を見誤っていて、上映しているのは200席程度のミニスクリーン。本来なら500席はあるメインスクリーンで上映しなければならない映画をそうしてしまうと、どうなるかは分かりやすい。 来週どの映画館も一杯との噂を聞いてメインスクリーンに観客が殺到する。 そして、もしかしたら、その客席も一杯になるかもしれない。 なぜならば、この映画は抜群に面白いからだ。 もっと面白く出来るという猛者はあったとしても、つまらないという人はないに違いない、この全世界にたったひとりも。 そう、よく出来たジブリ映画のように。 浦和美園まできてあふれる浦和サポータに遭遇。 そのショッピングモールの駐車場が埋まっているのをみて、焦りが出てくる。 浦和美園のショッピングモールって閑散としていたイメージだったのだが、甘い甘い。モール中お客にあふれ、しかもユニホーム姿の赤い連中までかなり多くいる。まあ、試合前に暇つぶしなんてまあありそうな事だけど、ワーナーのコンコースまできて焦る。見慣れたユニホーム姿がわらわらと。 ちょwww 試合前に映画もみておこうなんてシナリオ想定してませんでしたからwww もう完全にマーケター失格。 チケット売場の前の長い列に慌てて飛び込んだ。 しかし幸いにも、サマーウォーズが家族連れに抜群にいい映画という認知がまだ形成されていない(そして来週には形成されている)。しかも今年の子供映画は大ヒットが狙える良作揃い。その微妙なセグメントがずれていたせいで、ぎりぎりチケットゲット。当然のようにわたしがみた回は満席だった。 サマーウォーズの見所はどこかといえば、やはり29人にも及ぶ個性豊かな大家族の面々といえるだろう。そんなに大勢の個性を出せるのかといえば、出てるんだから、できたんでしょ? としか言いようがない。 はじめのうちは突然にそんな大家族にほうり込まれた健二くんのような気持ちになる。 しかし、いくつものシーンを経ると、その大家族内にある生態系のようなものが染みてくる。そう、健二くんのようになんとかやっていけるのではないかと、思えてくるのだ。これが、この映画のすべてと言い切ってしまってよいような気がするのである。 たとえば、このヒロインである夏希は終盤に来るまで、全く活躍するシーンがない。 主人公である健二もほぼ同様で、主人公とヒロインにいいところがなくて、面白い映画なんて作れるのであろうかと、たぶん思う。 しかし、それでいいのだ。 この映画の主役は健二でも、夏希でも、侘助でも、まあちょっとは主役っぽいところがあるがキング・カズマこと、佳主馬でもない。 この映画の主役は、総勢29人にも及ぶ、陣内家の個性豊かなひとりひとりであるのだから。 はじめのうちは、この人たちがどんな人なのか、まったくさっぱり分からない。 それでも、この陣内家には、当主たる90歳のおばあさん、陣内栄を筆頭に、何かよく見えない絆のようなものがある。はじめはそれがいったい何なのか分からずに、おそらくよそ者のように居づらい心地にさせられるだろう。 しかし、事件が起こり、栄を筆頭にまさしくサマーウォーズが開始させると、これは夏の陣とでも訳すのがいいのだろうが、夏の陣が始まった途端に、それぞれの個性が見えてくる。 高校野球にしか興味のないおばちゃん、はりきる男たちをよそにそんなことやってどうするんだろうと、淡々と準備をし、家をまわすおばさん(ここはネタバレになるので、抽象的に書いているが)、家中を駆け回り、お風呂で遊ぶ子供たち、嫌がらせをする夏希を好きなまたいとこ、豪快な漁師であり師匠でもあるおじいちゃん。 いま、わたしは家系図を見ながらそれぞれの表情を回想して、にやにやとしているが、この映画を見た人であるならば、同じ感想を抱くだろう。 家系図を見るだけで、シーンが思い出されて楽しくなってくると。 まるで、テーマパークをみるよう。 それが、夏の陣内家を駆け回り、呼吸をし、時にはぶつかり合い、そして、一緒にごはんをたべて、この陣内家のお屋敷に生息している。 そういう映画だったよ、サマーウォーズは、といえばすべてが伝わる気がする。 この家族が戦っているのは、OZと呼ばれる仮想世界に入り込み、世界中を混乱に陥れているAI(これぐらいは書いてしまおう)。これが二重三重に陣内家と因縁がつき、戦わざるを得なくなる。 スーパーコンピュータが、自衛隊の極秘装備が、イカ釣り漁船が、ブラウン管の巨大モニターが家族のつてを通じて運び込まれ、反攻が始まる。 このエスカレートしていく様子は見ていてとてもわくわくしてくる。 まったく心の面白さをゆるませることなく、夏の陣は盛り上がり、家族は世界と繋がっていく。 いくつぽろりとしてしまうシーンがあったかと指おると両手では足りなくなってしまう。 いくつ、ぐっとくるシーンがあったかと指おると、足の指でもとうてい足りない。 その他、ちいさなにこっとしてしまうようなシーンなど、数えるのも馬鹿らしくなってしまう。 すべてが余すところなくいいのだ。 ハリウッドとはまったく違う、ジブリともまったく違う、独特の時間の流れがこの映画には満ちていて、それがテンポ良く次々と起こるので、退屈という言葉とはいったいなんだったのかさえ忘れてしまう。 加速度的にそれは心に伝染して行き、わたしは映画を見終わって、急いで電車に飛び乗って、物凄い勢いでこれを書き始めてしまう。 つまらない言葉など忘れてしまおう。 なんか変なことを言っているお偉方の言葉は忘れてしまおう。 サマーウォーズ、面白かった! それでいいじゃないか。 あした、仕事さぼって、もう一回見に行こうかなあ・・・。
というか、わたしは変だ。 小説が書けて、デザインができて、プログラムができて、歴史に厚い知識があって、美術品を取り扱う仕事を昔していて、ネゴシエイター役ばかりやっていて、物語の研究をしていて、サッカーが好きで、ゲームも好きで、リサーチマーケターで、いろいろな事を分析することが大好き。 現在は知財系の仕事で、親の仕事を継ぐ準備をしている。 文字にしてみると、はちゃめちゃすぎて、ヨクワカラナイ。 正直言うと、わたしも、なんだこいつはと、首を傾げてしまう。 変なやつだと。 わたしはとびきりに変なやつかも知れないけれど、人というのはたいてい変なやつで、ヨクワカラナイ。 真夏の品川で、上司と歩きながら大学時代の話をする。わたしはその上司は馬が合わず、たぶんこの人に潰されるだろうなと漠然と感じていたのだけど(実際そうなった)、エレベータの制御方法の話を聞いたり、難航したプロジェクトの話を聞く。 たぶん、わたしはその人の心や境遇から何光年も離れていたのだろう。 ただ、それでも感じるところはあって、わたしは言った。 「そういう勉強をしている人は尊敬します。すごいですね」 ただ、わたしは現場のスペシャリストとしての訓練ばかり受けていて、学際的な方向からの指向とは水が合わない性質だったし、性格的にも、学問を振りかざして現場に介入されるのは嫌っただろう。 わたしはすぐに分析して、その理論が事実と異なる事を突きつけて、崩壊させる道を選ぶだろう。現場でうまく回っているのを勝手な言説で壊して欲しくないのだ。そして、これはまったくそうなのだが99.9%の言説は精度を欠いてまったく役に立たない、単なるなまくらなのだ。 どうやったら、そんなにも馬の合わない上司と息を合わせられるのか、ヨクワカラナイ。 それは機能しない事を、目の前で見せつけられても、考えを変えない人は切り捨てるしかない。 これが今の社会の、根本的な不幸だと思う。 議論を機能させることができる人は、ほとんどいない、とわたしは思う。 有効なのは、交渉であって、ネゴシエーションで議論に陥ったら、完全に失敗であると、ネゴばっかりやってきたわたしは思う。 ネゴは簡単。 お互いが利益になる地点を見つければいいだけだ。 やることは、相手をみて、自分をみて、どの地点に着地するのが一番いいだろうかをみつけるだけなのだ。お互いが笑える場所を常に柔軟に探し続ける。その努力がネゴシエーションと言ってよいと思う。 敵対は無意味。協調がすべて。 ゼロサムは機能しない。プラスサムが機能する。 ゲーム理論は役に立たない。誰か、それ以上のノーベル賞ものの理論を作って! それが今の世界で、そう動いていることが分からない人がいるのが、ヨクワカラナイ。 ネゴシエイトする世界なのだ。 今は。 世界中が、協調の仕方を模索している時代なのだ。 そのとき、ヨクワカラナイ人は不利なのである。 なぜなら、相手がわたしにとってのネゴポイントを見つけてくれないので。 そのために、ヨクワカラナイ自分を発掘して、どう説明すれば、わたしにとってはそれは利益になっているし、わたしはとても楽しいし、とても嬉しくて仕方ないかを、理解してもらえるのだろう? 物凄く遠いところにやり投げの選手のように投じなければならない。 それが当たってはじめて伝わる。 どれほどの精度が要求されるのだろう。 ヨクワカラナイ人の苦労はなんとなく伝わるだろうか。 まあ、いいや、この辺で投げておく。
開発ブログの方で進めていたFLASHゲームブックをリリースした。 だいたい、原稿用紙換算450枚ぐらい、コーディングしたActionScriptは1000行ぐらいである。 分かる人には、それなりの規模であることが分かるのではないか。 それなりによくできたものにはなっていると思う。 ■FLASHゲームブック「ジャングルの要塞」リリース!!! http://blog.story-fact.com/?eid=1099100 今わたしはこの文章を宣伝のために書いていて、それはそうとしてここは本家なので、それなりの知見らしいことも提供しないとまずいなあと思っている。 そこで、なにか有益な経験はなかったかと思い起こし、表題の件について思いついた。 まず、事実であるが、このプロジェクトは3/25にシナリオが15分で作られ、そこからまるまる一ヶ月にわたって原稿が執筆され、4/25に完成している。そこから、開発に入り、リリースが5/4。なので、発案15分、原稿30日、開発10日であったと気付く。 原稿用紙450枚分というと、分厚い文庫本程度なので、それなりの文章量であることが分かるのではないだろうか。 これは文章量だけを見れば、専業としてもそれなりの文章量であろう。 しかし、わたしはこれを平日の夜と土日だけを使って書いている。 それこそ、つぎ込まれた時間はおそらく何百時間の小さい方になるけれども、特に予定を入れず、余暇時間をほとんど書くことにつぎ込めば、これぐらいの時間は捻出できると思う。 問題は、わたしがなぜ、それだけの時間、原稿を書くことに使うだけの、これは一般に広まっている表現で言えば熱意があったかと言うところだ。 果たしてこれは熱意だったのだろうか、と首を傾げしまうのである。 わたしは、毎日のように嫌がる自分を追い立てていたし、書くように追い立てた。書くのを嫌がったのは、やはり書き始めればつらいし、つかれるし、脳味噌を絞らなければならないからで、やはりこれは苦痛を伴うのである。 しかし、一方、書き上げることは、楽しい結果が待っているのである。また、想いも掛けないよいシーンを書けることもある。これは一種のごほうびだ。 漫画家のまんが道でもなんでもいいのだが、その自伝的な作品を読むと、その生みの苦しみと、書き上げた喜びを読むことができる。 その一面を取り上げると、実はめちゃくちゃ苦しい。もう自殺したくなるほどに苦しむ。果てしなく大きな苦しみに出会う。 また、別の一面では、天に昇るほど嬉しい想いもする。自分は生きていてよかったと、こんなことがあるから漫画家は止められないのだと。 果たして、どちらが正しい姿なのだろうか? こう書けば分かるとおり、どの側面も事実なのである。 とても苦しい一方、とても嬉しいこともある。 わたしが、なんで書けるのかと言えば、この両方を合わせたときの合計がわずかにプラスになるから、だと思うのだ。 書けるのは、わたしがわたしの周りの環境を調節して、うまく苦痛とうれしさの収支がプラスになるように保っているからだと思う。決して、楽しくて楽しくて仕方ない訳ではない。企業の収支報告を思いだしてもらえればわかりやすいが、例え売上高数兆円の大企業であったとしても、数百億円の特損を計上して、最終赤字なんてことがある。わずか一パーセントの誤差で、書き続けるのが馬鹿らしいように思えることもある。 生き残れる人というのは、この収支をプラスに保ち続けるのがばつぐんにうまい人のような気がするのだ。 著作権の議論などで、商業創作が語られる局面で、書き手なんか、お金を払わなくても書くのが好きなのだから書くよという極端な議論がある。これは、まったく理解していない発言で、そう言うのは、この機会に改めたい。 実際、お金が理由というのが、その書き手の10%とか、5%ぐらいのモチベーションにしかなっていないとする(実感では25%ぐらいなのでは、という気がする。職業人としての誇りも含めればもっと大きい気もする)。しかし、先ほどの収支の考え方で考えれば、それが実はとても大きいことに気付く。 たとえば、売上高2兆円の企業の5%の損失は1000億円である。 この損害が発生した時点で株価は急落し、おそらく最終赤字に達する企業もあろう。 たしかに書き手のモチベーションの95%はお金とは関係ないかも知れない。 しかし、収支で考えたとき、その5%でぎりぎり持ちこたえている書き手もいるのではないかと思うのだ。もし、この5%が永続的に失われれば、どうであろうか? その書き手には致命傷になり得る。 こういう認識に立って欲しいのである。 しかし、別の見解も提案できる。 好きになれば続けられるとか、好きこそもの上手なれと、若干の楽観論があちこちに溢れているのだが、それ見ていて、わたしはむしろ逆ではないかと思うのだ。 好きなら苦痛はない、は嘘である。 苦痛は存在するし、それは消えない。 しかし、どうだろう? その苦痛を緩和する方法があったとしたら? 苦痛を和らげる手段を身につけた方が、続けられるのではないかと。 好きこそものの上手なれが、プラスをのばす方法であるに対して、わたしが書こうとしているのはディフェンシブな、企業で言えばコスト体質が良質な堅実経営におそらく該当する。 もし売上高が一定で、コストが下がれば収支はプラスになる可能性が高い。 ■習慣性、追い詰め方の上手い下手、+5%を常に狙っていく 実を言うと、これから書くことは、体育会系の部活動(しかも、強いチームの)でよく取られている方法で、たぶんそれを知っている人は、まったく新鮮さはないと思う。わたしはこれを書きながら、体育会系の部活動の日々の練習は、練習の苦痛を和らげる方法のノウハウが膨大に積み上がっているのだなと思うのである。 ・習慣性 練習はきつい。だけど、毎日耐えている練習ならば、それは日常なので、別にきつくない。これがけっこう負荷を下げることはあちこちで語られる。 毎日、この時間からは練習と決まっていれば、苦痛が減ると言うよりは、慣れる。それを何週間も続けていると、それをしていない日を不安の内に過ごすことになる。部活動というのは、たとえばわたしはバドミントン部だったのだが、そのバドミントンがなんか役に立ったかと言われれば、首を傾げる 中高大とバドミントンを続けたが、結局なんの役にも立たなかったといわれればそうだろうと頷くいがいにない。 部活の練習というのは、だいたいスケジュールが決まっている。 バドミントンで言えば、 1.ランニング 2.ストレッチ 3.チャイニーズステップ 4.フットワーク 5.基礎打ち 6.カット練習とか 7.2対1とか 8.1セットゲーム 9.練習試合(試合が近ければ) 10.整理体操 と、かなりラフに書いてみたがこういう感じのスケジュールになる。 これは中高大変わらなかったので、おおよそどこでもとっているスケジュールだと思う。 だいたい3時間の練習だとすると平均20分、10分から30分ぐらいの感じで次の練習に移っているさまが分かると思う。 このスケジュールが決まっている、というのが結構大きいのだ。ペース配分もできるし、次にくる苦痛も計算できることになる。それが数十分おきにくる。この環境は先読みができるし、どこでどれだけ頑張ればいいかがわかりやすい。先に来る読めない苦痛が最も大きな苦痛なのだ。 部活動というのは、けっこう理不尽にみんな苦痛を背負うのであるが、それが練習の中で全体像が事前に把握できているので、その苦痛にどう対処しようかということを事前に計画が立てやすいのである。 なので、まず、創作の苦痛を減らす第1の方策としては、 ・飛び込みの苦痛をできるだけ排除せよ。 ・苦痛は細分化し、計画的に与えよ(自分に)。 ということである。 ・追い詰め方の上手い下手 自分を追い込む。これには、実は上手い下手がある。 目の前にある苦痛の塊に対して飛び込むためには、やる気もあるかも知れないが、それよりもおしりをたたいて、無理矢理突っ込ませた方が手っ取り早い。 たとえば、部員に対して、おまえら、こんなことで○○校に勝てると思っているのか! これははっきりと無能だと断言できる顧問である。 なぜ、これはだめだめなのだろうか? すこし時間を用意するので、各自考えてみて欲しい。答えを見れば、疑問を感じなかった自分に恥を感じるはずである。 では、よいだろうか。 この追い詰め方は、得体の知れない物に対して、追い詰めてしまっているのである。 たとえば同じ地区の学校の部だとして、そのチームがいまこの時点でどれぐらいの実力があるのかは、まったく分からない。事前に試合をしていれば多少違うが、たとえば高校生ならば毎月試合をしている訳ではない。そして、高校レベルでは1月で信じがたい程度の上達をすることもあるのである。 なので、この顧問が発言した時点で、なにを目標にしていいか分からなくなる。 これに対して、優秀な顧問は(わたしが出会った方々はほとんどそうだったが)こういう。 「○○校ではこんな練習をしているらしいぞ」「うちでもやりましょうよ!」 「○○校ではフットワークに30分も使っているらしい」「うわー、信じられねえ」 「○○校の田中は20分間の3対1で5点しか取られなかったらしい」「すげ・・・。」 まあ、部活をやっている人はわかりやすいというか日常なので、特に驚きもないでしょうが、こうやって創作の側面や会社の業務の側面に落としてみると、なんかとんでもさんが跋扈している様子が分かってくるのではないでしょうか。 「無能」とわたしが言うのはそういう体育会系的な世界での嗅覚に照らして、まあ無能だよねと、そう思っている、そういう感じなのである。 なので、第2の方策としては、 ・追い詰めるときは計測可能な状況で追い詰めること。 ・もし目標に届かなくても、何パーセント届いていないのか、努力目標を示すこと。 ・即座に実行可能なレベルまで具体的な努力目標に落とすこと。 ということである。 さらにいえば、足りないのは未熟なので仕方ない、そこまで伸びるにはどうしたらいいかを考えろ。おまえが真剣に考えている限りは一切の文句は言わない、と伝えることである。 ・+5%を常に狙っていく。 もし、昨日と今日があって、その違いに5%以上の差があったら、驚きというか軌跡である。部活動というのは毎年300日ぐらい練習するのであって、その中で毎日5%ずつ上達したら、とんでもない事になる。 計算したところによると、2273996。 1が2273996になる。 これは、227,3996なので、225万倍強ということになる。 にわかには信じがたい数字なのではないか。 1%にしてみよう。 19.788。 それでも20倍弱。 この1%から5%の間にとてつもなくでかい可能性の差があることが分かるのではないか。 このわずかな上達を惜しむようになると、上達は滞る。 奇跡的に上達するなんてことは、まあ、ありはするのだが、わたしの経験で言えば10年に二三日ぐらいだよ、それ以外は、地道な成長だよ、と、書いておきたい。 なので、第3の方策としては、 ・些細な成長を喜べ。それは積み上がるととんでもない事になる。 ・ほんのちょっと成長で十分だ。問題は毎日成長し続けられるかだ。 ・自分の成長の些細なところに敏感になれ。0.1%の成長を常にトレースできるどうかで、上手くいくかどうかが決まる。 以上。 義務は果たしたかな(笑) ■FLASHゲームブック「ジャングルの要塞」リリース!!! http://blog.story-fact.com/?eid=1099100 追記:くそ、三割ぐらい削った。楽天爆発しろ!(笑)
世界中がマイナスに陥ろうとしている。 世界の、豊かになるはずの、豊かさを努力とともに勝ち取ろうとしている人々の努力まで奪われようとしている。世界を豊かにし、世界中の市場で争って率先して最も豊かな生活を産もうとする人々は、幸福を味わうべきだ。 金の流れを見ていて、そうはなっていないなと。 であれば、この金の流れは間違っている。 強い意志を持って、この流れをぶっ殺すべきだと、当然ながら思う。 空売り禁止は、時限的には非常によい方法だ。 価格発見機能に、この膨大な乱高下に唱える意味の無意味さを、感じてしまう。おまえはどんだけ、状況が分かっていないのかと、殴り飛ばして、頬を叩いて、ここは嵐だ、おまえの天気予報はどうでもいい、というだろう。嵐で死ぬかも知れない乗員を考えれば、 だとうな話だ。 なぜ、暴風雨ツアーを、まるでリスクがないように語るのか、と。 わたしはかなり公正に書いている。 そうじゃない人を、その言葉は、自分の良識に照らして罪悪感を感じない程度ですか? とといたい。 もちろん、経済的なクライシスは、その辺の麻痺から起きる。 だれが、自分は冷めていると、言えるのだろう? ここでとどめておくと、たぶん警句として回収されそうだ。 だけど、やはりこれは避けられない。 資本主義はどうも間違っているようだ。 これを書くのにはかなりの、才能が要った。 資本は重要ではない。重要なのは所有権なのだ。たぶん多くの人には、かなり馬鹿らしい論点なのだけど、この辺は深いので、どうしよう。対価請求権が時間軸に左右され変動する場合(つまりドル建てで減価するばあい)はどうなるんだろう? たぶん、この辺に近い議論である。 変動する所有者と、変動する価値の中で判断が難しすぎるんじゃない? という話でもあるし、あー、その辺はあんまり関係ないしという話でもある。 まあ、究極的には、グロスでペイなら文句言うなボケという話なんだろうが・・・。 これは究極的すぎる。 その辺が分かっていないのが、今の米国市場である。 複雑骨折に近い、状況下で、どう政治的な決着を図るのか。 麻生さんの優れているのは、どうもこの状況を理解していると思われるところなのだ。念のために言っておくと、現場を理解している人は一人もいない。あまりにも複雑すぎて、だれも理解できない状況にある。 もちろん、わたしは、一年ぐらい前から理解していたし、その解決策も示した。 しかし、わたしは、今の状況を把握していた訳ではない。 わたしは、普遍的な日本のあり方を示しただけだ。 日本は、どちらにしても大東亜共栄圏的な、アジア連合を唱えなければならなくなる。なぜならば、日本はアジアの中で、生き、その生存をすべて寄託し、その域内の幸せのために汗水を垂らせなければならないと思うからだ、というのはたぶん大東亜共栄圏の理念とほとんど変わらないと思うので、そっちを参考にして欲しい。 で、問題は生存権だが、それは東アジアに寄託してもいいのではないだろうか。 もともと日本は生存権を、WTOに寄託していた。 日本は貿易がならなければ、世界中が保護主義に動けば生きていけない国だった。 幸いにも東アジアであれば、生存権を保守できる。 もちろんそれは、それ以外の域内と活発な貿易をしないというわけではない。 それに東アジアで始まろうとしている結束も、その実際はEPAであり、これは極めて透明性の高いオールウェルカムの条約である。米国が加わる用意があるなら、喜んでだれもが拍手を持って、自由貿易主義と適材適所主義と、世界の発展のために祝福するであろう。結局のところ、これはIBMがやっていることと変わらないのだから。 グローバル化からワールドソーシングへ。 実に時流を捕らえた言葉だし、世界中のIBMを米国の最も尊敬すべき企業だと思っていないひとはほとんどないはずである。 問題は、尊敬に値する世界的な企業として、日本の企業はどうあるべきかなのではないだろうか。
えーと、わたしは結構服は三井のアウトレットパークで買うことが多いのですが、本日は近いということもあって、入間に行ってきました。 隣接するコトスコの馬鹿でっかさも驚きなのですが、さらに輪をかけて馬鹿でっかい、空港のような異様をしたショッピングモールです。 ■最近の雑感/南大沢アウトレットモール http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200612230000/ 実は同じ三井系なので、南大沢とほとんど同じ構成。 大きい分、中央に「セントラル区画」がブーストされている感じで、南大沢をZガンダムだとすれば、入間はZZガンダムといえば、多くの人には一発でどんな様子か分かるに違いない。 さすがにアウトレットだけあって、価格は3割から5割は安い。 ただ、入り口にそびえるBEAMSとDIESELはあんまり値引きしていない感じ。 BEAMSはおなじみだと思うが、DIESELはイタリアで今勢いのあるデニム中心のファッションブランド。値札を見たら、ジーンズが25000円とか、 「ちょwww イタ公、アウトレットの言葉の意味分かってねえwww」 と唖然としてしまうわけです。 エドウィンのプレミアジーンズがこの価格帯ですかねえ・・・。 高級ジーンズとしてブランド作りたいんだろうけど、それをいくら客が来るからって、アウトレットモールでやるなよwww と突っ込みたくなるわけです。 ちなみに、わたしは英国好き、もしくはアメリカンカジュアル好きなので、そっち系なので、この辺にはご用はないのですが、イタ公がぶちかましているのを見るのは外野として楽しいわけです。 よくこういった、ショッピングモールへ行くのが好きなのは、やはりデザインの勉強になるからでしょうか。 そんなに本気でやっているわけではないのですが、昔仕事でしていたのが惰性で残ってしまっているだけで、それでも、ショッピングモールへ行くと、あちこちの色味が気になってしまう。 ブランド名をぱっと見て、ぱっと店内の色彩を見つめて、配色を頭に入れる。 服なんて、4割ぐらいは色味なので、まあ、非常に洗練された色があちこちに飾られているわけです。ロゴのフォントを見たり、文字面を見たり、それで配色とのマッチングを考えて、 「おっと、NEXTDOORってこの色なのか」 とか。そうやっていると、結構勉強になる。 そういう色味とブランド構築の見本帳が、ショッピングモールなんです。 だいたい価格帯がそんなに高くないメジャーブランドは押さえられているので、まあ、ざっと刺激を受けるにはちょうどいい場所と言えるかも。 見て、おっとstory-fact.の次のデザインは、ちょっと色味が強すぎたなあ、もうちょっと慎重にやらないと、という感じで、自分がしているデザインのまずいところも気付く。 どうでもいいですが、story-fact.のロゴは、実はあれは、服のタグをイメージしていたりする。服のタグと付箋紙のイメージを合体させたようなイメージ。本当にどうでもいいのですが・・・、何となくわたしのショッピングモール巡りとのつながりが見えるかも知れません。 しかし、この三井系のアウトレットモールは、本当にあちこちで子供が跳ね飛び回っている。なんか子供浮かれさせる何かがあるのでしょうか、お父さんとお母さんで、子供と追いかけっこしている様子に、頻繁に出くわす。 セントラル区画にはカルディコーヒーファームが、あって、輸入食品屋さんで、コーヒーを中心にチーズとか、お菓子とか、パスタとかが所狭しと置いてあるお店なのだけど(カルディで画像検索するとどんな感じの店か分かるはず)、なんか、ついつい、カルディって入っちゃうよね(そして買っちゃうよね)、と困りながらレジに並んでいたら、子供2人(姉弟)が、わーぁ!!!! という感じで駆け込んでくる。 (これはお父さんも買わざるおえないなあ、すごいなあ) と、思ってしまうのです。 あの子供が跳び跳ね始める催眠効果みたいなのが、三井のアウトレットモールにはあって、それを駆使して、子供が駆け回る公園&ショッピングモールとして舞台装置を作ってしまっている。 だって、考えてみてくださいよ。 子供が、DIESELとか、NOLLEY’Sとか(おっと、NOLLEY’S入ってるのか、気付かなかった・・・)、Franc Francとか、COACHとか並んでいるところで、きゃっきゃ言って遊んでいるんですよ。 このハイセンスなファッション感覚を、三つ子の魂に植え付けられてしまうんですよ? この子が大きくなったら、どうでしょう? どんな服を買うんでしょうか。 DIESELとか、NOLLEY’Sとか、Franc Francとか、COACHとかじゃないでしょうか? Franc Francとか、BLEU BLEUETとかは、けっこうおしゃれ系な女の子たちには人気なブランドですが(BLEU BLEUETもあったか、この人気ブランドはとりあえず集めてみました! って感じはすごい・・・)、結構これらの店は小物も扱っているので、子供がおもちゃでも見るみたいに、この辺の小物をいじっているわけです。 セグメント的にはちょうどOLになってお金に余裕が出てきて、おしゃれなもので周りを固めたいなあというぐらいの女の子にちょうどいい価格帯とおしゃれ度で攻めている小物を三つ子の魂に植え付けてしまう。 これはびっくりするというよりは、新手の消費喚起マーケティングだなあと思ってしまうわけです。 カルディコーヒーファームは結構あっちこっちにありますが、子供が駆け込むようなカルディは見たことがない。同じように、子供駆け込むFranc Francも、BLEU BLEUETも見たことがない。 この公園とショッピングモール(しかもメジャーブランドばかり)の組み合わせで、子供をドリブンにして、あちこちに突撃していくような構造。 日本で今、服飾流通系に起こっているのは、このショッピングと遊び場を合体させてしまう巨大な舞台を中心とした、消費市場作り。 当然のように、イオンの武蔵村山で書いたアイスクリーム屋さん、Cold Stone Creameryも入っていて、初体験してきました。 このお店、店員がアイスクリームを作ってくれるお店。 たとえば、チョコミントクッキーを頼むと、ミントアイスを店員さんがすくってきて、鉄板の上(多分溶かすためだと思われる)で、お好み焼きみたいにチョコと混ぜて、オレオのクッキーをそのままばこっと入れて、あとは鉄製のへらでぐしぐしとクッキーを潰して、混ぜ合わせて、できあがり! みたいな感じ。 これはおそらく、フルーツ系の(イチゴとか、バナナとか)食材をアイスに混ぜる事がもともと発祥だと思うのだけど、まあ、見ていて壮観なわけです。しかも、発生タイミングはよく分からないのですが、何らかの条件が揃うと、店員たちが歌いながらアイスを調理するというパフォーマンスが行われる。 これが実際に調理している内容を面白おかしく、ディズニー調で盛り上げる歌で、たぶん4人の店員がたまたまのタイミングでちょうど同じ工程に入るというビンゴ状態になると発生するみたいで、これがまた楽しい。 もう圧倒されるというか、まあ、ちょっとぐらい高くてもいいか、と思ってしまう力がある売り方なわけです。ちなみに、お値段は500円から1000円ぐらい。アイスとしては高いのだけど、こういうハレな場だったらいいか、まあ、生ビール500円って高いだろうと思いつつ(笑)。 しかし、アイス屋さんの店員さんたちが、あまりにも楽しそうなのが印象に残りました。やっぱりその楽しいアイス屋さんを演じるのが楽しいのだろうなあと。これはディズニーランドとかでもそうなんだろうけど、みんなが楽しがってくれるのが楽しいのだろうなあと、そのためのショーは楽しくて仕方ない、見たいな感じが非常に伝わってきました。 セントラル広場では三井系のアウトレットモールではおなじみの、インディーズの方々によるコンサートが開かれている。 なかなか人選が優秀というか面白くて、聞き甲斐のあるグループが集まってくる。 ロックとかそういう方向ではなくて、ゴスペルとか、インストールメンタルグループとか、そういう系のグループ。 三井のアウトレットモールは大抵二階建てなんだけれど、その二階の手すりにもたれかかって通りかかった人が、音楽に耳を傾けている、そういう光景が、何か「時をかける少女」に出てきた学園風景のようで、ああ、ひょっとしたら日本で一番googleの社内っぽいところは、このアウトレットモールなのかも知れないなあと思ってしまった。 今日のステージは、デルソールという、バイオリン・ギター・ベース・ドラムという4人のインストールメンタルバンドで、なかなか味わい深い音が聞ける。 デルソールでgoogle検索するとトップに出てくるので、それを参考にして欲しいのだが、CDを買わせていただいて、それを聞きながら、これを書いている。 S.E.N.S.の影響を結構受けている感じするグループで、本家と比べて、そんなに劣る感じはしない。むしろ、果敢にS.E.N.S.越えを狙って欲しい。そう思う、バンド。つまりいいものがたいへんいいものが聞けたわけだ。 (しかし、iTunesで取り込んだら、アルバム情報が表示されたのにはびびった(笑) Appleすげー・・・。) なんというか、この一期一会な感じが、三井のアウトレットモールなのかなあ。 もしそこで、買ってしまわないと、もう2度と、出会えないかも知れない。 そういう演出が、あちこちにあって、ぐっとくるのだ。
最近、世界中が内向き思考になっているせいか、日本人が内向きだと心配する声が多い気がする。 わたしは特許系の人なので、どうしても日本企業の進出先の(つまり製造業の工場が建っているところ)に目が向きがちなので、どっちかというと東アジアや、中南米とか、途上国へ意識が向いてしまうのであるが、外向きであることは違いないと思う。 日常生活でも、フランクに、たとえばシンガポールの特許法がとかいう話が聞こえてきて、これは仕事直結の問題でもある。 しかし、実はこの内向き思考はとても簡単に解消する方法があるので、そっちを勧める方向はどうだろうとと思う。 とても、身も蓋もない方法ではあるのだが、効果は抜群で、しかも無料だ。 なんでこれを勧める人が少ないのかなあと、不思議に思うのだが、恐ろしいほど簡単だ。 現地在住の日本人のブログのRSSを購読するのである。 日本人は実際にあちこちに在住しており、そういう人だからだろうか、積極的に情報発信する傾向にある。 東南アジアでは、たぶん意外かも知れないけれど、韓国に一大クラスターみたいなのがあって、韓国情報はとにかく困ることはない。あと多いのはタイとか(「曼谷煩悩通信」とかはめちゃくちゃオススメである。おっとこの人はタイと日本を行き来している人なんですね)。インドネシアもまあまあ。逆にシンガポールは少ないなあと思う。中国はフィード漁りをしたことがないかなあ。 おそらく東南アジアに限らず、あちこちに日本人は散らばっていてブログで頻繁に情報発信をしている。なので、そのフィードをごっそり漁って、google readerにでもぶち込んでおけば、バックグラウンドミュージックのように、世界各国の日本人からの報告が舞い込んでくる環境が作れるのである。 もちろん、それを全部読む必要はなくて、タイトルだけをさーっと流し読みするだけで、十分に楽しい。 とりあえず、500フィードぐらい集めて鑑賞していれば、内向きなどと揶揄されることはなくなるだろう。 ■RSSの収集方法 これは以前書いているので、こっちを参考にしてもらうといいだろう。 ■RSS収集法 30分でプロ以上の事情通になれちゃいますね・・・、これは。 http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200610140000/ うーん、2006年の記事か・・・。 ここでは、テクノクラティをオススメしていますが、今回は海外在住ブロガーを捜す旅なので、Googleブログ検索で十分。 その際のキーワードであるが、これはシンプルに国名または都市名でいい気がする。 わたしの経験でもそれで困ることはあまりなかった。 ■首都の一覧 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 ただ、注意するのは、必ずしも首都に日本人クラスターが形成されているわけではないということ。 たとえば、アメリカならサンフランシスコに多かったり、ニューヨーク在住のセレブブロガーもあるだろう。反対にワシントンDCに住んでいる日本人は報道関係者だけなきがする。 インドではムンバイあたりですかねえ。あとバンガロール。 こうやって、ざくざくとどうも在住邦人っぽいのを集めて、あとで見直してみてどうも違うようだったら切って、そうじゃなかったら保護する、という事を繰り返していくと、あら不思議、にわかインド事情通のできあがり! ほんとインスタント事情通という感じなってしまうのである。 もちろん、世界全土の情報に通じている必要はなくて、自分が知りたい情報だけで十分だろう。たとえばスペイン料理が好きならスペインだけでいいし、南米縦断旅行を夢見ているのであれば、南米だけでいい。 これはやってみると分かるのだが、これをやると、ほんとフィードが空気みたいになっていき、気付いたら、あれ、なんでわたしはこんなにもタイのことを知ってるんだろう(しかもB級グルメとか、ナイトスポットとか、そういう情報ばっか(笑))、という状況になっていることは保証付きである。 そして、どうしても行ってみたくなるだろうし、海外進出してみたくなってしまうだろう。やっぱり、工場はタイかな。タイ料理旨いし、行ってみたい店が大量にあるし、みたいな。こうなれば、パーフェクトな外向き人間のできあがりだ(なんか、ちょっと歪んではいるが(笑))。 ただ、このやり方はフィード収集が慣れないうちはかなり大変だ。 また、わからない事だらけの情報を読むことになるので、たぶん経験してみれば分かるけれど、結構ストレスが大きい。新しい情報の奔流にさらされると、それを処理する負荷が、膨大になるのである。 数十フィードを集めたあたりで、疲れを感じるであろう。 そうしたら、その辺で打ち切って、しばらくその数十フィードでまわしてみることをオススメする。まわしているうちに、何となく不足感を感じるはずだ。そうしたら、またフィードを増やす旅に出ればいい。 2回目は1回目よりは負荷が低いはずだ。 以上、とりあえず、簡単に概略を示した。 というわけで、日本人の内向き思考を解決する特効薬は、面白い海外在住ブロガーのブログを紹介しまくること。もう、ほんとこれしかないなあと、思ってしまう。
(本エントリーは、「情報の差分と、政治」「事実と仮説と、仮説の仮説」で展開した情報リテラシー関連エントリーの第三弾です) 以前会社に妙な電話がかかってきたことがあった。 なんだかよくわからない理由を上げて、電話番号を聞き出そうとする電話だった。 こいつは一体何なのだろうと、小首を傾げていたのだが、あることに気がついて、びっくりした。 これは、ソーシャル・エンジニアリングだと。 世界最強のハッカーとして名高いケビン・ミトニックの本に欺術という本がある。 捕まったミトニックが、釈放の代償として自分の手口を明らかにした本で、その手法は総称してソーシャル・エンジニアリングと呼ばれる。詳しくは該当書を読んでほしいのだが、一見、何でもないような情報を引き出しているようにして、致命的な情報に迫る手法の総称と思えばよい。 この手法はほとんど無敵であり、これに対抗するには、ソーシャル・エンジニアリングのその傾向と対策を熟知していないといけない、という非常に困った手法なのである。 わたしは、この本を読んでいたので分かったのだが、原理的にこれを防ぐ方法はない。 同様に、これも原理的に防げないハッキング方法がある。 名前がなかったので、スペースノイドとわたしが勝手に名付けたのだが、ありふれた手法なので、すぐに理解できるほど簡単なことだ。 このスペースノイドは情報を攪乱する、情報戦の陽動作戦みたいなものである。 例えば、数人でハッキングをするケースを考えてみよう。 まず、陽動部隊であるハッカーが、重要な脆弱性を突こうとする行動をとる。あわてた管理者はこの陽動ハッカーたちを叩こうとするのだが、実際にはこれは陽動であって、目的は管理者のリソースを消耗させることにある。そして手薄になった、本当にどうでも良いように見えるところを、一人のハッカーが確実に突く。 これはルパン三世などをみれば、ありふれた盗みの手段であることは分かるだろう。 そして、これを防ぐ方法はないことも分かるだろう。 しかし、最近この手法が悪用されている光景を見ることが多くなった気がする。 もちろん、それはハッキングではなく、世界中のありとあらゆるところで使われている。 このスペースノイドは、わたしがSFを書いていた時に思いついた手段だ。 地球人から見えれば、ハッカーたちは衛星軌道から致命的な箇所に降下してくるように見えるが、実際には地上にいるハッカーが宇宙を見上げている管理者を尻目に盗みをはたらく。 それが、ガンダムのジオン軍のように思えたのでスペースノイドと名付けたのだが、最近になって、このスペースノイドはありとあらゆるところで使われていることに気づいた。 ライブドア事件は典型的なスペースノイドだと思う。 この手口の傾向は、厳密には実行できないし、何らかの欠点があるのだが、専門家にもその否定をすることは非常に難しく、反論がしにくい事を大量に行うというところにある。 例えば、殺人予告をあちこちで行って警備を攪乱する。 例えば、実現不可能な政権公約をたてる。 例えば、水に毎日言葉をかけた実験結果を示す。 なんか、見たことがあるような気になってこないだろうか(^_^; 以前、堀江被告のインタビューが出て、おっと、これはスペースノイドじゃないか、と気付いたのが、このエントリーを書くきっかけになっている。 ■沈黙を破ったホリエモン,ITを語る http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20080910/314505/ この中でソニー買収などを語っているのだが、実際にはこれをやっていれば致命的な失敗になっていたと、自信を持って指摘することができる。プロであれば、iPhoneと言うのは結局の所、Mac OS Xであって、Mac OS Xと言うのはスティーブ・ジョブスが1985年に設立したNeXTという会社の技術がベースになっているのだから、もうかれこれ20年以上も続けてきた事業の成果であることを知っているからだ。 対してソニーにはそれだけの優秀なソフトウェア資源はなく、人材に厚みがあるのはゲーム関係のソフトウェア開発者で、携帯はエリクソンとの合弁と、あまり見るところはない。 しかしどうだろう? 完全に否定することはかなり難しいのである。 この反論をすることが難しい(が、ほぼ確実に実現しないことは分かっている)点ばかりを突いて、反論できないのだから間違いではないとするのが、この戦術の主な特徴だ。 こうやって情報陽動を連続的に起こしながら、情報を攪乱させ、リソースを奪って正常な判断ができない状況に追い込むのが、このスペースノイドなのである。 目的はなんなのかと言えば、正常な判断ができない状況に追い込むことなのである。 言っている言葉にはほとんど意味がない。 口にしていることが本当の目的ではないからだ。 そういえば、悪質な宗教の勧誘はこういう手法を使うことが多い。 このわたしがスペースノイドと名付けた手法は、アジテーションには極めて有効に働く。 アジテーションはそれほど専門的な知識のない人々を扇動する手法だ。 塩野七生によれば、民主主義の最大の脆弱性は、このアジテーションに対抗するすべを持たないことにあるらしい。 この専門家を黙らせ、民衆を麻痺させる手法がアジテーションの局面において有効であることは少し考えれば分かるのではないだろうか。そしてそれがどんなに恐ろしいことであるかと言うことも。 しかし、民主主義もこれに対抗する機能を備えている。 幾重にも張り巡らされた「手続き」がそれであり、重大な権力が複雑な手続きを経なければ発生しないようにされている所にある。たとえば、アメリカの大統領選で扇動を行うことは難しい。一年以上掛けて行われる大統領選には、厳密なチェック機能が備わっており、混乱させ続けることは極めて困難になっている。それを具体的に言えば、七面倒くさい数々の手続きがこれに当たるのである。 実際に、どのような法律がこれに当たるのかと言えば、六法の二法である、民事訴訟法と刑事訴訟法がそれにあたる。 この七面倒くさい法律は、裁判の公正を担保するためにある手続き法なのである。 こういう七面倒くさい手続きがないところでアジは発生しやすい。 ここまで、悪意ある手口としてのスペースノイドを説明してきた。 しかし、この情報陽動戦術は、ありとあらゆるところで使用されており、一概に詐欺の手口とは言うことはできない。 近しいところでは、小泉さんの政権運営方法は典型的なスペースノイドだった。 国民にわかりやすく、そして意外性があり、実質はあんまり意味がないことで、日本国中を掻き回すのである。政敵のリソースを奪い、国民を麻痺状態にする。小泉改革には全面的には賛成できないのではあるが、何はともあれ、全く身動きが取れない所から日本を救い出すには、あれしかなかっただろうという気もする。 だから、靖国参拝の問題はなんだのかと言われて見ると、はっと気付く。 あれはスペースノイドだ。 靖国参拝自体にはなんの意味もないのだ。中国怒らせてしまってすまん、ぐらいな所はあるかもだが、問題は、情報攪乱を起こすこと自体にあったのだと思う。 そうやって政治を見つめてみると、あちこちでスペースノイドと思わしき現象を発見することができる。 政治は世論誘導であり、情報戦なのであるから、当然その代表的戦術である陽動戦術が使われないはずがないのであるが、こうやってその実態を明らかにして、俯瞰してみると、政治の世界には、本質的にはほとんど意味がない、陽動用の情報があちこちにちりばめられていることに気付く。 これが、政治の情報が混乱気味になる原因である。 また、以前勤めた会社の社長がこれを多用していたことにも気付く。 社長が理不尽な理由で何かを問題にし、社員全員に改善を求めるのだ。問題とされていることは些細であるが、社内がどたばたし、徹夜が発生し、混乱する。実際にあの問題自体を社長が重要視していたのかと言えば、たぶんしていなかったのだ。目的は、社内を暴風雨のような活気のある状態に保っておくことであり、社内が落ち着いてくると、危機感を持って、社内を掻き回していたのだ。 社長としては、正しい判断なのかも知れない。 ただまあ、引っかき回される社員としてはたまったものではないが(笑)。 こういった手法に対抗するには、事前に突かれそうな脆弱性を消しておく以外にあまり手段はない。 もしくは事前にその脆弱性を熟知しておくしかない。 たとえば、以前、分家の方で書いたエンガジェットというブログが突いた、色商標の問題がある。これはパリ条約のテルケル商標の脆弱性なので修正はほとんど不可能に近い。これに対して特許庁の公式見解に近いパリ条約講話は70ページにも渡って、このスペースノイドに対抗する理論武装をしている。 なんと、説明の難しいところを突くのだろう(笑)。 エンガジェットの目的は、色商標を問題化したかったのではなく、知財法なんていくらでも悪用できると言うことを、周知させたかったというところだろう。 特許法にも実は、このスペースノイドに悪用されそうな箇所がある。 重大なところに説明が異様に困難なところがあるのだ。 これは、特許法概説や逐条解説で説明されているので、書いてしまうのだが、出願公開がなぜ特許出願から一年六月後なのかが説明しにくいのである。 特許法は、発明を一般に公開し、その公開の代償として一定期間の独占権を得る制度だ。 発明がブラックボックスになるのを防ぎ、発明の情報をシェアし、重複研究が発生することを防ぎことを目的としている。その代わり、発明者にも実施の独占権を与え、公開のインセンティブを与える。 と言うことはこうならないだろうか? 出願から公開までが短ければ短いほどいいんじゃない? なんで1年6月も秘密にしておくの? これに答えられる人は、あまりいないのではないだろうか。 そして、一般の人に説明できるような人は皆無に違いない。 スペースノイドはこういうところを突くのだ。 「出願公開がなんで一年六月後なんだ! せめて半年にしろ!」 あー、いやねえ・・・(笑)。 非常に筋のいいスペースノイドである。たぶんこれぐらいの精度でつける人は、その理由もたぶん知っているはずである。スペースノイドは主張には全く意味がないことに特徴があるのだ。目的は攪乱であったり、対象を攻撃することであったり、相手のリソースを奪うことに意味がある。 これは陽動なのだ。 1年6月の期間は、パリ優先権経由の出願との公正のため、と説明される。 パリ優先権が1年、方式審査に3ヶ月、公開公報の準備に3ヶ月。 これが1年6月の根拠である。 実際のところは、特許法は最も早く公開できるタイミングで出願公開する制度を取っているのである。 分かります? 分からないですよね(笑)。 説明が極めて困難なのだ。 これ以外にもあらゆる条文が絡んでくる。 別に誤魔化している訳でもなく、わざとわかりにくくしている訳でもない。 ただ、まったく正しいことを説明するのにもの凄いリソースを必要とし、わかりやすく説明することが極めて困難なことなのだ。 特許法は、膨大な特許庁の資料や学者の学説が蓄積されているので、こういった手口にも頑丈にできている。特許法概説に書いてあるよ、でいい。しかし、脆弱な分野もある。 そういったところにスペースノイドを仕掛けられたとき、アジテーションから守るのは、スペースノイドという手口があり、もしかしてこれはそれかも、と思うこと以外にはないのである。 このスペースノイドは防ぐ手立てがないのだ。
2001年のある日、わたしはなにをしていただろうと思い出す。 たぶん、ネット系のマーケティング会社でオペレータをしていた。 入社したのは2000年でドットコムバブルのさなか、わたしは大きな仕事の重要な立場をそうとは知らずにアルバイトでやって、信頼を上げた。 単調で、つまらない仕事であったが、その意義に興奮した。 調査費用も馬鹿でかかった。 数千万円の規模だった。 重大な基礎研究の、データ収集であったのだ。 現在であれば、googleのストリートビューの写真撮影の現場監督みたいな仕事。 2008年である現在において、そのデータを活用した成果は、そのクライアントからは、出ていない、まだ。たとえそのデータを持ったのがgoogleであったとしても、今後さらに十年以上の時間が掛かるだろう。 そのときを、その夏のグロッキーとなった日々を、昼飯に食べた新橋の定食屋のおいしいご飯を、吉野屋で飲んだ味のないお茶を思い出すと、隔世の感を抱く。 わたしは、なんて変わってしまい、そして変わらないのか。 2000年と2008年のわたしはあまりにも違う。 なにも変わっておらず、なにもかもが変わった。 もう戻らない日々が指の間を滑り落ちていく一方、あたらしい日々を掴む手が大きくなったように感じる。 所詮は小さな手なのだが、わたしは月にはしごを掛けようとしているわけでも、星に手を伸ばしているわけでもない。 そこに明確にあるものを、確実に手にしたいだけなのだ。 今日、オバマ大統領候補の当選が確実になり、アメリカはあたらしい未知を選んだ。 積算する金融問題のツケは想像を絶するほどであるが、フロンティアに突入する勇気を持つアメリカ人を、日本人は、いや少なくともわたしは賞賛する。 未曾有の金融危機は、20世紀のパラダイムの放棄を要求しており、これはすなわち、これまでの知識人が全部役に立たないと解雇することを意味する。もちろん、現実はそんなにはドラスティックには進まないので、この変動についていこれる柔軟性を持った人間のみが生き残れることを意味するが、あんまり経済界の寛容さに頼らない方がいいとは思うのだが、どうだろう。もちろん、最善は21世紀に相応しい最新型の理論を打ち立てることに他ならない。 少なくとも、今決まっているのは、20世紀のパラダイムは全く役に立たないということが判明したということで、アメリカ国民があたらしい船出を選択したという、鮮明すぎる事実だけである。 21世紀は8年間のロスタイムを消費した。 ここから、21世紀は始まる。 その世紀の節目にいて、わたしは興奮を収めきれない。 どんな未来が、この先の100年に待っているのだろう。 技術的には、ロボット、クリーンエネルギー、全世界的な情報ネットワーク、宇宙開発、テラフォーミング技術と、わくわくする技術が目白押しだ。 テラフォーミングの主役はアラブ勢だろう。 中東の全く生命のない土地に桃源郷を構築しつつある。 これはアフリカに適応できるし、もしかすると月や火星の主役はアラブ勢かも知れない。 ロボットは日本の独壇場だ。 少子化なんていう些細な問題を解決できるかも知れない。 もちろん、ロボットは月にも火星にも必要だ。 クリーンエネルギーは、どこが主役になるか明確な指標は出ていない。 日本も得意だし、アメリカもすごい、EUもやるし、東アジア経済圏の生産力は絶大だ。 目下の所の主戦場と見られているだけに、激しい競争が世界をよい方向に変えてくれることを望みたいところだ。 もちろん、セグメントが細分化されているので、南米などの伏兵にも目が離せない。 ネット革命はアメリカが中心であるが、若干、2008年現在は停滞気味である。 日本をはじめとする「ネット後進国」の需要に、アメリカの供給が追いついていない気がする。これは日本企業がつけ込む隙なのだけど、誰も言ってないなあ(笑)。馬鹿だなあ(ため息・・・)。 まあ、たとえば、すごい簡単なことを言えば、全国で発行されるスーパーのチラシをデジタル化したら、もの凄い利益になるわけです。価格情報を全部押さえている訳ですからねえ・・・(というか、基本中の基本ですよね)。 これは確実に儲かる。 唾棄したくなる企業は、大量にあるわけで、まあド素人ですなと、ド素人たちが巻き起こす市場を見ていて、はいはい素人素人と、馬鹿にしているというか、ダンスを鑑賞して楽しんでいるわけですが、こんなド素人を持ち上げる市場は、やっぱりド素人だと思うしかないのかなあ・・・。株価は役に立たないということです。 宇宙開発は、ゼネコンが海外需要を取り込めるかがポイント。 日本特有の険しい地形で培った技術がどれだけ優位性を、価格構成力を発揮するかというところ。なので、見るべき所は、地形が険しい、インドネシア、インド、ブラジルと言ったあたり。中国とかは見ても意味がない。 カルフォルニアは技術供与がたぶん鍵になる。 具体的には、中核技術を全部「州と」共有技術とすることが肝。共有特許の全条文と全要件は憶えているよね(笑)。もちろん、金は取れよ(200億円とか)、金の授受のない契約は空文だから。実施に対して、不安を解消する。州内での産業の活性化に対して、全面的に支持する。 ただし、資本をねじ込む余地は残しておく。 現地特有の問題に対して、新たな発明を出願する基盤を整えておく。 結局の所、その技術を他所でどう活用して、どう儲けるかというのが、特許法のありきたりな問題なのだ。 で、結局、2100年の経済情勢はどうなっているのだろうか。 日本は、豊かな国となっているのだろうか。 しかし、今思うのは、この豊かな国という概念がなくなってしまうのではないかと、そういう感慨だ。 これは現在、日本に住んでいる人々が不幸になるというビジョンではない。 2008年に始まり、2009年に確定するであろう、21世紀のあたらしい地球の姿を俯瞰したときに想起される姿である。 日本は戦前の大東亜共栄圏以来の念願を獲得し、東アジアに溶けるように存在する、大ブロック圏の一員としての満足しているだろう。地位は下がったかも知れないが、地域は豊かであり、生活は安定しており、域内の行き来は頻繁で、もう、日本人という感覚は、だいぶ薄れている。 東アジアは溶けている。 緩やかな文化交流が行われ、日本にイスラム教徒が増える。 マニラは、東京と対して変わらない。 シンガポールは、世界の首都である。 しかし、東京はそれでも、ロンドンの地位を失わない。 パリがパリであるように、ベルリンがベルリンであるように、上海が上海であるように、ハノイがハノイであるように。 都市機能とブランドは、たぶん一般が想像している以上に保守的なのである。 その想像をするのに2000年ぐらい歴史を振り返る必要があるだろうか。 鼻で笑うレベルの想像性である。 鉄道の歴史を追えば、アメリカがどのように連結されていったかが分かるし、ヨーロッパのほとんどの都市の起源はローマ時代の軍団基地であることがわかる。シンガポールがなんであんなに戦略上重要な箇所にあるかといえば、英国海軍が築いた衛星都市が起源であることがわかる。 京都は京都で、大阪は大阪で、東京は東京なのだ。 現在、世界は、世紀をまたぐ創造性を要求されている。 この言葉は、本当につまらない言葉として処理される。 21世紀はどう始まったか。 その証人は、たぶん、われわれだけなのである。 21世紀は2008年、もしくは2009年に始まったと主張する人々のみなのである。
名門投資銀行モルガン・スタンレーで、世界最高峰とされる同社リサーチ部門を立ち上げると同時に運用部門の設立にも携わり、30年間にわたって同部門を率いた。 ■そして引用する書籍 ヘッジホッグ ―アブない金融錬金術師たち― ■わたしが書いた書評 プロフェッショナルのメンタリティ - [書評]ヘッジホッグ-アブない金融錬金術師たち http://blog.story-fact.com/?eid=869116 バートン・ビッグスは、この本の中の「第九章 長期サイクルという分水嶺」の中で、バブル崩壊の事例を紹介し、その際どのようになるかを紹介しています。九章の中の表題を並べてみると、 ・一般投資家のお金は最悪のタイミングで出入りする ・長期と短期の下落相場の違い ・上昇相場とバブルにおける日米の違い ・七十年代の長期下落相場から何を学ぶべきか ・やり直せることの喜び こんな感じ。 ちなみにこの方は、アメリカのヘッジファンドの中では強気派の方です。 その辺は割り引いてご参考頂けば幸いです。 さて、あなたはダウが何ドルで下げ止まると思いますか? この文章の最後には、正真正銘のプロ中のプロが何ドルになると考えているかが、明示されています。ちょっと、自分のかんがえを紙にでも書いてみてください。 準備できましたか? それでははじめましょう。 投資があれほど難しく、混乱しているのは、市場には大きな好調・不調の長期サイクルがあるからだ。長期サイクルは一世代に一度くらいしか起きない。好調は少なくとも十年、場合によるとそれ以上続き、不調はもっと短いが、暮らし、財産、ビジネスモデルを破壊してしまう。「シクリカル」という相場用語は「サイクル」から来ていて、これは、ウェブスターの辞書によると「何らかの事象や現象が繰り返し同じ決まりで起こる年月の一巡、あるいは繰り返される期間」という意味である。 ■チャートはこちら。 http://finance.google.com/finance?chdnp=1&chdd=1&chds=1&chdv=1&chvs=maximized&chdeh=0&chdet=1223638997939&chddm=2022469&q=INDEXDJX:.DJI&ntsp=0 えーと、この辺を読んでいて、ちょっとびびったのは、バートン・ビッグスは現在が長期下落相場であることをすでに読んでいたのですね・・・。強気派のヘッジファンドのマネージャーの見解がこうですから、まあ、この辺を理解していない人の声を聞いても馬鹿らしいレベルでして、ダウが10000ドルを割ったぐらいで騒ぐようじゃあ、まったくなんというか相場が分かっていない(<といいつつもわたしも請け売りなのだが・・・)。 えーと、無駄話はやめて引用を続けましょう。 安値はすでにつけたと思うが(注:この方は強気派)、いつも頭に浮かぶのは日本とその長く残酷な下落相場であり、ほとんど十五年もたった今もそんな状態が続いていることである。長期下落相場の間、日本の市場は短く急激な上昇相場を体験したが、毎度毎度だましに終わり、その後はさらなる下落が起きて、そのうち新安値をつけていた。ジェレミー・グランサム、ネッド・ディヴィスといった、わたしが尊敬してやまないプロたちは、アメリカ株式はそのうち2002年秋と2003年春の最安値を下回ると考えている。すべてが終わるまでに、S&P500で600ポイント近辺、ダウ・ジョーンズ工業株平均でおそらく6000といった水準を目指すことになるだろうと言う。これは現在の水準からみればだいたい45%の下落である。 とりあえずダウは6000ドルを目指すとのこと。 この後、現在起こっているデリバティブ周りが悲惨になるだろうという弱気派の見解を紹介し、「世界の終わりがやってくるリスクに、投資家としてどう対処しろと言うのだろうか」と言い、強気派らしく、そんな大崩壊にヘッジをかけられないと言っている。 この方の投資方法はロング・ショートと言って、上がると思う株をロングに、下がると思う株をショートに賭け、上がっても下がってもバランスが取れるようにヘッジする投資方法なので、この下落相場でも、ショートのポジションで儲けてはいると思うのだが・・・。 ちなみにこの弱気派の見解は現状をかなり正鵠に描き出している。 続けよう。 わたしの頭の後ろにいやな感触があるのだが、それはアメリカも他の国も1990年代の株式市場バブルでは、もっと早くに破裂したそれまでのほとんどのバブルに比べて、より幅広く行きすぎがみられたことだ。それでも、これまでのところ1970年代終わりの苦難や日本が経験した苦痛にはまだほど遠い。2005年の急上昇の後でさえ、ン異本の株式市場はまだ最高値から70パーセントも低い水準にある。日本の不動産価格は50パーセントも下がってやっと安定してきたところだし、日本の株式投資信託の運用資産は1990年の史上最高から95パーセントも下落した。長期下落相場が金融サービス産業に与える影響とはそれほどなのである。アメリカでそんなことが起きたら、あの巨大な金融サービス業界がどんなことになるか想像してみればいい! また、主要な商業用不動産の価格が50パーセント下がればどんなことになるだろう。 えーと、つまり、この相場は1982年に始まっているので・・・、ダウが900ドルですか・・・。スゴイデスネ・・・。念のために言っておくと、これはバートン・ビッグスが書いていることに忠実に、数字を当てはめているだけですから。わたしが予想している訳ではありません。しかし、900ドルか・・・。10000ドルを切ったぐらいでピーピー騒ぐなボケというカンジですね・・・。 この後、バートン・ビッグスは日米を比較して、 日本の商業不動産の上昇が異常すぎたこと(皇居の地面だけでカルフォルニア全体の不動産の価値を上回っていたと紹介。確かに異常すぎ・・・。)、 アメリカの投資は新産業(ネットなど。現在は新エネルギーに流れている。これは西海岸のマネーが健全な流れをしていると言うこと。東がこけても西が隆盛するというのは、確かにアメリカの強さ。GEもグーグルとぐるになって新エネルギーやるらしいので、金融部門を切り捨てれば、案外簡単に復活するかも)に流れていて無駄なものには流れていないこと、 日本の金融政策が致命的な間違いを犯したこと(これはよく言われる)を挙げて、こう締めくくる。 対照的に、アメリカでは連邦政府がほとんど即座に所得と投資の両方に対して減税を行った。実際、アメリカ経済は財政・金融による過去に例のない景気刺激策の恩恵を受けたのであり、そうした政策のおかげで不況がさらに深刻になる事態が避けられたのは疑いようもない――今のところは。完全に回避できたのか、それとも避けられない天罰を少し先延ばしにしただけなのかはまだわからない。 うむ。極めて正確である・・・。 実力が圧倒的すぎて、唖然としてしまう・・・。 続ける。 アメリカと日本の経験の違いを注意深く指摘したつもりだが、だからといって、アメリカでは株式市場バブルが起きなかったとか、膨大な投機や詐欺が行われていなかったとか主張するつもりはない。アメリカは間違いなく長期下落相場に入っており、三年続けて市場は下がっている。わたしが心配しているのは、今回の下落相場が1969年から1974年にこの国が経験した長期下落相場ほど深刻であるように見えないし、当時ほど長期にわたってはいないようである点だ。つまり、まだ完全に終わったわけではないのではないかという気がする。間違いなく1930年代の相場の苦痛にはほど遠い。 この後、細かな事例と数字を丁寧に挙げていかにすさまじい下落であったかを紹介している。この辺は分離して紹介することができないので、この辺にしておこう。 こうやってみてみると、正真正銘のプロのヘッジファンドマネージャーは、ほとんど今の状況を読み切っているのである。そして、かれらがみているのはダウ900ドルであって、もちろんこの下落相場でもうけようとしているのである。 本書は、この章のレベルの、圧倒的な実力をひしひしと感じる内容ばかりが詰まった本ですので、読んでみて損はないですよ。実力差というものに打ちのめされます(笑) ■わたしが書いた書評 プロフェッショナルのメンタリティ - [書評]ヘッジホッグ-アブない金融錬金術師たち http://blog.story-fact.com/?eid=869116 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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