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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.02.15
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カテゴリ:綾瀬市歴史散歩
【綾瀬市歴史散歩 目次】​👈リンク

「神崎遺跡」を後にして「御岳神社」に向かう。
吉岡交差点角にあった神社。
綾瀬市吉岡東5丁目5-33。
鳥居の奥に社殿が見えた。



鳥居横にあったのが、ネットフェンスに囲まれた安政3年(西暦1856年)建立の
「不動明王像」とその隣に「庚申塔」。



「不動明王像」。長年この場所に鎮座しているのであろうか?
道路脇であるために排ガスの影響があるのだろうか、像の腐食・劣化が激しいのであった。



「不動明王像」の台座部。「不動明王」と刻まれていたのであろうか。



「庚申塔」。
造立は天保九年(一八三八)で、
「東江戸道・南ふしさハ(藤沢)道・西大山道・北ほしのや(星谷)道」という文字が
刻まれていると。



「社殿」の前に「御神木」。



小さな「社殿」と「境内社」。



「御岳神社」の「社殿」。



「境内社」。



「御即位紀年樹 楠五本 大正四年十一月十日」と刻まれていた。



「御岳神社
祭神は大己責命(おおなむちのみこと)ら六柱で、明治ニ十七年(一八九四)に
遷宮・造営されました。
鳥居の右にある不動明王は、安政三年(一八五六)の造立です。
その手前には庚申塔があり、造立は天保九年(一八三八)で、
「東江戸道・南ふしさハ(藤沢)道・西大山道・北ほしのや(星谷)道」という文字が
刻まれています。」



そして吉岡交差点角の反対側奥にあった「妙法稲荷大明神」へ。
綾瀬市吉岡東2丁目11付近。
覆い屋正面から。



鞘堂の中の「妙法稲荷大明神」
御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたま)。



隣の境内社。



そして「落合稲著社(おちあいいなつきしゃ)」を訪ねた。
一の鳥居の石鳥居の扁額は「稲著社」。
ここ下落合には、1662年寛文2年5月大吉に建設され、約350年に渡り地域の守り神である
「稲著社 (いなつきしゃ)」が鎮座。



「落合稲著社」への石段から境内を見る。
綾瀬市落合南5。



右手に「手水舎」。



社号標「落合稲著社」。



細かい文字の書かれた石碑。



「鳥居保存之碑
一八五四年、嘉永七年九月吉日参道先端に鳥居として当時の氏子中にて奏献せられたる
ものなり。何時の日か倒れ永年に亘り放置されていたるを天皇御即位を記念してここに
保存する。平成二年十一月 氏子中」



これが先代の鳥居。



「稲著社
祭神は蒼稲魂命(うかのみたまのみこと)で、穀物の神とされています。
ほかに猿田彦命・大宮売命が祭られています。
棟札には、寛文ニ年(一六六ニ)比留川左近と山田ハ左衛門によって造立されたと
書かれています。
昔は古道がこの地を東西に通っていたといわれ、また中世の在地領主渋谷重国の孫、
落合六郎重貞の居館は、このあたりにあったと伝えられています。」



境内の横には「キツツキの森」が拡がっていた。



「落合キツツキの森」案内板。



「明治百年ヲ祝福 御即位記念植木」碑。



正面に「社殿」。



近づいて。



扁額「稲著社」。



「神楽殿」。



そして神社の横の林にあった「綾瀬市の貴重な野草」案内板。



「希少野草の開花予想時期」案内。



そして次に訪ねたのが坂の途中に鎮座していた「正一位稲荷大明神」。
綾瀬市上土棚中1丁目9。



「内陣」。



石碑「正一位稲荷大明神」。



そして次に「熊野社」を訪ねた。
綾瀬市上土棚中5丁目11-18。
石鳥居の扁額は「熊野社」。



石鳥居の下には多くの石碑が。



「庚申塔」。
造立:天保八丁酉(1837)年林吉日(右面)
正面:文字庚申塔 庚申塔
台座正面:講中



「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」。



「青面金剛」。
造立:寛政五癸丑(1793)天(正面右面)
正面:文字庚申塔 青面金剛
正面左側:十二月吉日



弁財天か…?合掌した天女のように見える。
右側面:文政九戌(1826)十一月吉日とある。
左側面には廣田治郎エ門



「拝殿」への石段を進む。



正面の拝殿。



狛犬(阿形像)。
享保六年(1721)の銘があった。このあたりでは、かなり古いものだ。



狛犬(吽形像)。



「手水舎」



「鐘楼」。



「銅鐘」。



「拝殿」は、茅葺であった。
御祭神は
・伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
・黄泉津事解男命 ( よもつことさかのおのみこと )
・速玉男命 ( はやたまおのみこと )



頭貫 上の彫刻も見事。



扁額「熊野社」。



「賽銭箱」には三色の団子、お神酒が奉納されていた。



内陣。



境内社「豊川だ枳尼眞天」。



扁額「奉納 正一位神寿」。



「社務所」。



「神輿殿」であろうか?



「神楽殿」。



境内の眺め。



「熊野社概要」。



「御祭神
 ・速玉男命 ( はやたまおのみこと )
 ・伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
 ・黄泉津事解男命 ( よもつことさかのおのみこと )
 御神紋 丸ニ左三ッ巴
 御社殿 御本殿 神明造り
     幣殿 拝殿 神楽殿
 境内地 四八〇九平方米
 境内社 八坂神社 祭神 須佐之男命
               稲荷社 祭神稲葵魂命
 由緒
  当社は天文八年に当地の鈴木内匠たるもの発起して和歌山県本宮町熊野本宮大社より
  御合霊をこの地にお祀り申し上げ、御社殿をご造営したと伝えられている。
  その後、寛文十一年に再建があり、現在の御社殿は文政十三年の九月にご造営なった
  ものでありまた昭和五十七年に拝殿の改築があり、昭和五十九年には御本殿、社殿の
  増改築を幣殿の屋根の葺変りがなされている。
  鐘楼は昭和四十一年に、鳥居は昭和四十六年にそれぞれ再建されている。
  相模風土記依れば上土棚鎮守とあり、地頭遠山清右ェ門 先祖佐左衛門一門の寄進の
  灯籠があり、他狛犬の石像もある。
  明治六年に村社に列せられ、現在は神社本庁傘下の宗教法人の神社である。
  新年祭 二月十八日
  新穀感謝祭 十二月三日 大祭九月二十七日
  七五三祝祭 十一月十五日」



そして「丸山大神宮」を訪ねた。
綾瀬市上土棚南5丁目1付近。



境内左の石碑群。



奥羽出羽三山の供養塔。



「享保十七年(一七三二)造立の青面金剛像(庚申塔)」。



その隣の石碑。



更に右にも台座のみが。



「社殿」。



「丸山大神宮
恵比須大明神とも呼ばれ、祭神は恵比須神てす。
昭和九年(一九三四)、上土棚の現やぶね公園付近にあった丸山の大神宮をここに
移築したものてす。
境内には享保十七年(一七三二)造立の青面金剛像(庚申塔)や、奥羽出羽三山の供養塔があります。」




                              ・・・​もどる​・・・

                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.09.05 07:24:03
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