|
カテゴリ:横浜市泉区歴史散歩
この日は2月24日(水)、「横浜市泉区の古道を巡る」の3回目のスタート。
横浜市泉区の最北近くにある「南万騎が原駅」から横浜市営地下鉄「中田駅」まで 南下して行くルートを計画して進む。 相鉄いずみ野線「南万騎が原駅」東口に出る。 ![]() そして駅前の道路を西に進む。 ![]() 「南万騎が原駅」前の商店街。 「そうてつローゼン」、「ダイソー相鉄ライフ南まきが原店」、「ハースブラウン 南万騎が原」 等の店舗が確認できた。その先には集合住宅「KNOCKS みなまきみらい」が見えた。 ![]() 「南万騎が原駅前」交差点を左折し坂道を上り南下する。 ![]() 横浜市泉区と旭区の区境の道を進む。 ![]() 民家の横の河津桜も咲き終わり新芽が増えて来ていた。 ![]() 運動場「柏町グラウンド」の横を進む。 ![]() そして、民家の門の前に立つ「相武(そうぶ)国境之道碑」前の路地に到着。 横浜市泉区緑園6丁目53-7。 ![]() 「相武国境の道の碑」は泉区と旭区の境である緑園六丁目の角地に、昭和49年(1974)、 地域の人が建てた武相国境の道の道標。 ![]() この道標には「相武国境之道 南 相州鎌倉郡岡津村 北 武州都筑郡二俣川村」と刻まれていた。 この国境に沿って、古代より国境(くにざかい)の道と呼ばれる道があり、細いながらも 海と内陸部を結ぶ重要な道となっていたのだと。 ![]() 相州とは相模国(神奈川県)、武州とは武蔵国で現在の東京都、埼玉県のほとんどの地域、 および神奈川県の川崎市、横浜市の大部分を含む。 ![]() 更に詳しく「現在地」を。 「旧武蔵国都筑郡」と「旧相模国鎌倉郡」との国境の道。 ![]() そして「旧武蔵国都筑郡」と「旧相模国鎌倉郡」との国境の道を東に進むと 塀沿いにも石碑があった。 ![]() 「道しるべ」碑。 「相模武蔵乃境 道しるべ 相模国鎌倉郡中川村 岡津字須郷谷しんたく」と刻まれていた。 ここは「相模国鎌倉郡中川村 岡津字須郷谷しんたく」」 武蔵は東京、相模は神奈川で境界は多摩川との思い込みがあったので、なぜここに国境碑が あるのか解らなかった。帰宅してネットで調べてみると、相模もののふたち(永井路子著)に よれば、北から武蔵系の豪族が南下し、海老名、二俣川あたりまで進出していたようだ、と。 現在は旭区柏町の須郷谷(すごうやと)公園、泉区緑園の須郷台公園として名が残っている、と。 ![]() そしてその「緑園須郷台公園」に向かって「池の谷」の丘の裾野沿いを進み 途中左折し住宅街を進む。 この周辺はアップダウンの多い場所であった。 ![]() そして「緑園須郷台公園」に到着する。 緑園六丁目にあリ、四季の径沿いに設けられている公園。 ![]() 「緑園須郷台公園」銘板。 公園内には、つたのからまるアーチ、古代ギリシャ風の円柱の立つ広場、絵タイルで星座の位置が 表示された円形広場等があった。緑園都市駅までは遊歩道が続いておリ、安心して歩くことが できた。公園から駅に向かっていくと、高台から電車が眺められるのであった。 ![]() 星座のマークが敷き詰められているスペースがあり、自分の星座や家族の星座を探して楽しめる ようであった。 星の観察の宿題や星座の勉強にはもってこいの場所であると。 ![]() 真ん中には東西南北の方角が描かれていた。その周りにわし座などの星座の絵があった。 ![]() 「四季の道」を歩く。 緑園都市駅からこども自然公園に続く歩行者専用道路。 全体を春・夏・秋・冬のゾーンに分け、季節を彩る樹木を植え、四季にちなんだ絵タイルも 施されていた。各ゾーンのポイントには、三角広場、レンガタイル貼リの洒落たアーチ形陸橋、 公園などが配置されていた。 平成元年度に横浜市まちなみ景観賞を受賞し、緑園のシンボル的存在となっている、と。 ![]() そして次に訪ねた「山王神社」の姿が現れた。 ![]() 「山王神社」入口。 横浜市泉区緑園3丁目23。 緑園3丁目にある地元の鎮守さま。 ![]() 石鳥居の扁額「山王神社」。 ![]() 境内には庚申塔、道祖神塔がひっそりと残っていた。 ![]() 7基の庚申塔、道祖神塔を正面から。 ![]() 左側の4基。 左から隅丸形文字道祖神、双体道祖神、共に昭和57年(1982)10月吉日の銘が後ろに。 両方とも古いものの再建であろうか? その隣に法輪塔が。 一番右は下記に。 ![]() 右側の4基。 一番左には庚申塔。阿弥陀如来立像は元禄13年(1700)のもの。 隣の笠塔婆の付いたものは貞享4年(1687)の建立。三猿、「庚申」の文字もあるので、庚申塔。 その隣は宝暦13年( 1763)の文字庚申塔。 一番右の大きなものは、笠塔婆型の文字庚申塔。建立年は寛文2年と書かれているのであろうか。 ![]() そして「社殿」。 この神社の本社は比叡山山麓にある日吉大社で大山咋神(おおやすくいのかみ)が祀られている。 神社の周辺の地形は宅地開発により、すっかリ変わってしまったが、神社は開発前から今と 全く同し場所、同し高さに社があるとのこと。 ![]() 「社殿」前から境内を振り返る。 ![]() 狛犬とその後ろでモクレンの蕾が膨らんでいた。 台座には昭和五十七年十月の文字が刻まれていた。 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[横浜市泉区歴史散歩] カテゴリの最新記事
|