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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.03.20
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「山王神社」を後にし、相鉄いずみ野線のトンネル上部の「四季の径」に戻る。



下に見えたのが相鉄いずみ野線の「緑園都市駅」。



「四季の径」の絵タイルにはイチョウの葉の模様が。



坂道を下っていくと左手にあったのが「セントラルフィットネスクラブ緑園都市」。



「緑園都市」案内図。
1986年(昭和61年)には戸塚区(当時)岡津町の一部が駅名を採って
南から北へと緑園一丁目 - 七丁目となったと。



相鉄「緑園都市駅」東口。
相鉄いずみ野線「緑園都市駅」は、昭和62年( 1987 )、新しい駅作リを推進するため、
全国から「これからの駅」というキャッチフレーズて募集したアイデアをもとにつくられた駅舎。
多くの緑、明るい採光、現代建築ながら利用者をホッとさせる配慮を忘れないユニークな駅。
平成9年に「関東の駅百選」(国土交通省関東運輸局)に選ばれている と。
横浜市泉区緑園3丁目。



東口のロータリーには河津桜が3本、8分咲きか。



そして、駅前広場の群像。
緑園都市駅を中心とした、土地区画整理事業 の完成を記念して、駅の東口広場に
昭和 62 年(1987)に建てられた記念碑であると。



「緑園都市駅を中心とするこの広域にわたる街つくりは、相模鉄道株式会社の地域開発にかける
情熱と関係地権者等の多大な協力の下に、中川第一土地区画整理組合事業として、十有余年の
歳月と約三七三億円の巨費を投じ完成したものである。
この事業推進の過程においては、多くの困難に遭遇したが、役員及び組合員の努力と監督官庁の
適切な指導並びに業務に関係された方々の協力によって住みよい新住宅の誕生を見たものである。
この地域の町名は緑豊かな街の発展を念じ「緑園(一丁目~七丁目)」と命名された。
そして、緑と澄み切った空気に包まれた美しく輝かしいこの街が永遠に繁栄するように祈念して
これを建立する。
中川第一土地区画整理組合
付記
一、組合設立 昭和四十九年十一月五日
一、組合解散 昭和六十ニ年四月十五日
一、施行地区 岡津町、名瀬町、新橋町、の各一部
一、施行面積 一ニニ万ニ七三八平方メートル
一、総事業費 三七三億五ニ三五万円
一、組合員名簿はこの下に収める。
組合事業代行者   相模鉄道株式会社
工事設計・施工業者 相鉄建設株式会社」
なんとか転写しました・・・・。



この記念碑は、台座部分が地区内の旧町名岡津町、新橋町、名瀬町の三町を表しているのだと。
人物像は、そこに住んでいた戸数46戸、約200名を表現しておリ、過去から現在、さらに未来へと
続く都市と個人の歴史を「一筋の列」として作られたものである と。



近づいて。



反対方向から。



そして再び河津桜をズームで。



更に。



駅舎を再び。



「緑園都市駅」の駅前大通リ沿いにある商業街区を東に進む。
建物間や内部に通リ抜けの通路を作ることをルールとして造られた、ユニークな8つの建物から
構成されていると。いすれのビルも、吹き抜けや通路等を設け、光と風のふれあいのある開放感
あふれる設計となっていた。平成8年に横浜市まちなみ景観賞を受賞しているのだと。



「緑園都市駅入口」交差点を渡る。



正面に「緑園都市噴水広場」が見えた。
横浜市泉区緑園4丁目3−1。



入口左には「サン・ステージ緑園都市 東の街」の銘板が。



「噴水広場」(東の街入口)。



コロナ禍で多くの噴水が止まっているが、この噴水広場には水の姿が。



別の角度から。



「フェリス女学院大学 緑園キャンパス」の正門が道を隔てた反対側に。
横浜市泉区緑園4丁目5−3。



「フェリス女学院大学」。
文学部、国際交流学部、音楽学部1・2年次があるようだ。



「「フェリス女学院」は、キリスト教の信仰に基づく女子教育を行うことを建学の精神と
しています。フェリス女学院大学の学則第1条にも、「キリスト教を教育の基本方針となし、
学問研究及び教育の機関として、女子に高度の教育を授け、専門の学問を教授研究し、
もって真理と平和を愛し、人類の福祉に寄与する人物を養成することを目的とする」
と明記されています。」と「フェリス女学院大学」のページに。



そして、来た商店街の道を戻り、「緑園都市駅」横のガードを潜り西に向かう。



ここも急な坂道。



右手にあった建物は?



民家なのであろうか?



ここ「緑園3丁目」交差点を左折する。



途中、民家の塀の上、民家の庭先に石碑が。



「道祖神」の文字が刻まれた石碑等が3基並んでいた。
右側から双体道祖神?
中央は駒型文字道祖神 
左に駒型文字道祖神   
いずれも年代は不明であった。



「新橋神明谷第二公園」前を通過。



そして「神明社」を訪ねた。
横浜市泉区 新橋町1377。



左手に手水舎。



境内参道から社殿を見る。



「神明社氏子会館 新橋上自治会館」の表札が掲げられていた。



掲示板には「神明社」のお祀りや湯立神事等の様子の写真が掲載されていた。



境内にある大ヒノキは幹の周囲が3.2 mもあリ、昭和49年( 1974 )に市の名木古木に
指定された。



むかし、神明谷戸といわれたこの地域の鎮守さまで、
祭神は天照大神(あまてらすおおみ)と国常立神(くにとこだちのみ)のニ柱を
祀っておリ、鎌倉時代末期嘉元年間( 1303 ~ 6 )の創建と伝えられている。



扁額「神明社」。



境内のピンクの枝垂れ(しだれ)梅。


 
「神明社」を後にして、「阿久和川」に向かって進む。
途中、左手に折れ坂道を上がって行った場所にあったのが「新橋天満宮」。
横浜市泉区新橋町1335-6。



「社殿」。
創建年代等は不詳ですが、泉区新橋町・瀬谷区阿久和にある阿久和熊野神社、新橋五靈社、
新橋神明社などと共に旧阿久和村の鎮守社であったといいます。



扁額「天満宮」。



社殿の内陣の御本殿。
坐像は、菅原道真公であろう。



境内には、「天満宮改築記念碑」が。
碑題のほか草書で刻まれた文字があり、おそらく、「昭和三十一年三月 □□相澤長三郎」と
刻まれていた。
他に、昭和五十四年九月吉日の灯籠、天保三年壬辰年(と思はれる)灯籠、昭和五十四年九月の
手水鉢があった。
新編相模国風土記稿の阿久和村の条には天神社の名があり他五社とともに村内の鎮守で
村持ちとされている と。



そして更に進むと「新神明橋」手前の右角にあった「庚申塔」。



そして前方に「新神明橋」。



「しんめいはし」。



下を流れる川は「阿久和川」。





                             ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.05.25 16:20:43
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