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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.11.23
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カテゴリ:海老名市歴史散歩
【海老名市歴史散歩】 目次

「三島社」を後にして「宇治山」交差点を左折して北東に進む。



150m近く進むと右手にあったのが「常在寺」の「山門」。



「本興山 常在寺
正和年間(西暦一三一ニ年頃)鎌倉小町に日蓮大聖人の法孫了性房日乗上人が開創しました。
本尊 十界曼荼羅
佛寶 久遠之釈迦牟尼佛
法寶 妙法蓮華経
僧寶 日蓮大聖人」



「アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)」であろうか。



釣鐘状の花は 大きいもので10㎝くらいに。



境内の「宗祖 日蓮大聖人」像。



近づいて。



お顔をズームで。



右手に「鐘楼」と「堂宇」。



樟・楠(クスノキ)の大木。



「海老名市自然緑地保存樹木
第205号 平成20年2月13日指定
樹木名  クスノキ
幹の周囲 2.80メートル
所有者又は管理者
住所   海老名市社家3746
氏名   常在寺」



「妙音院誌 南無妙法蓮華経」碑。



「鐘楼」に近づいて。



「梵鐘」。



「手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)」。
参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。
水盤舎(すいばんしゃ)、御水屋(おみずや)とも呼ばれる。
作法は一般的には次の通り。
  1. 右手で柄杓(ひしゃく)を取り、手水を掬(すく)う。
  2. その手水で最初に左手を清める。
  3. 次に柄杓を左手に持ち替え、同様の動作で右手を清める。
  4. 次に口をゆすぐためもう一度右手に柄杓を持ち替え、左の手のひらに手水を溜めて口に含む(柄杓の椀に直接口をつけない)。
  5. 音を立てずに口をゆすいで清め、そっと吐き出す。
  6. 先の動作で左手をもう一度清める。
  7. 最後に柄杓の柄を片手で持ち、椀部が上になるよう傾け、柄に手水をしたたらせて洗い流す。
  8. 柄杓を元の位置に静かに戻す。




「寺務所」。



「本堂」。
日蓮宗駿州富士郡北山本門寺末。
「風土記稿」によれば、創建は文保年間(1317~18)とされています。江戸時代には
慶安2(1649)年に、土地9石1斗について朱印地(将軍名の「朱印状」発給による
寺社領地で、年貢や課役の免除が保証される)とされていました。
海老名市社家3746。



扁額「常在寺」。



「内陣」。
本尊は十界勧請大曼荼羅。
また延宝7(1679)年に奉納されたと思われる木造子安鬼子母神立像
(像高49センチメートル)、日蓮宗大荒行堂にて感得された木造大黒尊天神
(像高36センチメートル)等が祀られていると。



木造日蓮聖人坐像(像高35.7センチメートル)が最奥に。



内陣にも「立正安国」の扁額が。



本堂内の「日蓮聖人一代記」の欄間彫刻。
富士市本市場住の彫師「板倉聖峯」師の作品であると。
立教開宗・・・建長5年(1253)初めて清澄山頂にてお題目を唱える。



伊豆流罪・・・弘長元年(1261)法華経の辻説法で鎌倉幕府により流罪となる。



伊豆法難・・・弘長元年(1261)前年の松葉ヶ谷法難に続く四大法難の2番目。



星降之梅・・・文永8年(1271)佐渡流罪の前に厚木で星が降ってきて梅の木に架かったと
                いう逸話。



御入滅・・・弘安5年(1282)10月お題目を唱えながら61才の生涯を閉じる。



こちらも見事な龍の彫刻。

伝左甚五郎作の龍の彫刻であると。この龍が池の弁天様と遊んで参詣人を驚かせたため
目に釘を打たれて釘付けとなり、後改心して、お寺や客人を守ってきたとの言い伝えが残って
いるのだと。



「天水桶」。



鶴をあしらった紋・鶴丸紋が。
日蓮宗といえば「井桁に橘」だが、宗派や寺によっては鶴丸紋を使用しているようであった。



「本堂」前の老木。



「柏の樹
この柏の樹は、常在寺が今よりおよそ四八〇年前、大永三年(西暦一五ニ三)に開創地である
鎌倉小町より、当海老名社家に復興移転したおり、時の住職日在上人が法華題目の流布記念と
してお手植えされた樹と伝えられているものです。」
日蓮聖人が富士宮黒田存の本光寺に来て説教されたとき、村人が柏餅をこしらえて供したところ、
聖人が大層喜んで食したという故事に因んで植えられたともいわれています。



「海老名市自然緑地保樹木
第58号  昭和62年8月1日指定
樹下名  カシワ
幹の周囲 2.80メートル
所有者文は管理者
住所   海老名市社3746
氏名   常在寺」



「鐘楼」を正面から。



白のシュウメイギク。



狸像も。



樹木葬墓地とのこと。



道路沿いにあった「永代供養墓」。



そして次の目的地の「浄光寺」に向かって進む。
産業道路の「宜山南(むべやまみなみ)」交差点を右折する。



次の目的地の「浄光寺」にIphonesのGoogleマップをセットし進むが、「浄光寺」の東の道で
「目的地に到着しました」とのメッセージが流れたが入口はなし。
ストリートビューで確認すると、入口は反対側の道路であることが判明。
案内に従って進むと右手にあったのが「十王堂」。
海老名市社家1198。



「十王堂」の祠。



中には、頭に“王”と記された冠(?)をかぶり、厳めしい顔つきの石仏が鎮座。
「閻魔大王」であろう。
両側には石碑が。



そして南西に向かって進むと左手にあったのが「浄光寺」。



「浄土真宗 本願寺派」。



「浄光寺」。



正面に「本堂」。



浄光寺は、歸命山遍照院と号す。浄光寺は、足利義晴に仕えていた日野三郎信忠が義晴没後仏門に
入り浄觀と改め、天文元年(1532)鎌倉扇谷に創建、その後寛永年間(1624-1645)に
今里村へ移転、さらに万治年間(1658-1661)ここ海老名の当地へ移転したと。
海老名市社家3873。



扁額「浄光寺」。



内陣。
本尊は阿弥陀如来像。



境内の太い欅の木。



親鸞聖人像。



境内墓地。



多くの墓碑が並ぶ。



無縁仏塚。



境内のピンクのシュウメイギク
シュウメイギクは漢字で書くと「秋明菊」となり、菊に似た白やピンクの花を咲かせる宿根草。
キンポウゲ科の植物で、花の形はアネモネに似ているのだ。



こちらは白。
名前にキクが付くが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間であると。



「アネモネなどと同様、プロトアネモニンを含み有毒。乳液に触れるとかぶれを引き起こす」と
ネットから。民家の庭に余り咲いていないのはこれが理由なのであろうか。

                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.18 19:09:23
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