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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.05.30
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「成就院」を後にして、ゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」の前の道への坂道を
上って行った。
道路脇には紫の菖蒲(しょうぶ)の花が。



近づいて。



ゴルフ場の入口に向かって坂を上って行った。
相模川方面の街並みを見下ろす。



そして左側にあったのがゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」の入口。
神奈川県茅ヶ崎市甘沼441。
ここスリーハンドレッドクラブは日本の政財界の超一流人300人だけが会員になることが
許されている超が付く名門コース。歴史を紐解けば昭和37年、東急電鉄が造成した
メンバークラブで、当時の入会基準は、政治家は首相か外相の経験者のみ。
財界人は東証一部上場企業で50歳以上という狭き門であったと聞くが現在でも?



アメリカのトランプ大統領が来日した際に安倍首相が埼玉県・川越市にある
『霞ヶ関カンツリークラブ』でゴルフ外交をしたのは有名だが、その直前に“コソ練”をしたのが、
ここスリーハンドレッドクラブだったのだと。



さすがに、多くの高級車が駐車していた。



その先、左にあったのが「茅ヶ崎配水池」。



「茅ヶ崎配水池
災害用指定配水池
概要
構造 鉄筋コンクリート造
大きさ   12m☓12m☓1池
      48m☓48m☓1池
有効水深  4.0m
満水時水位 標高50.0m
容量    5184m3
この配水池は、寒川浄水場から送られてきた水を貯えて、茅ヶ崎市の皆様に
供給するために築造されたものです。
また、この配水池は、地震など災害が発生した場合に応急給水に必要な飲料水を
確保する配水池に指定されています。」



配水池の平・断面図。



そして坂道を下って行くと右手に小高い山への上り口があった。



そこを上って進むと、次の目的地の「甘沼 八幡大神」の社殿境内への裏道が続いていた。
前方に「新湘南バイパス」、その先に「江の島」の姿が。



「江の島」をズームして。



裏道を下り、「甘沼 八幡大神」の境内に入り、正式な入口まで進む。
石段の先に石鳥居そしてその奥に拝殿の姿が見えた。



社号標石「甘沼 八幡大神」。



石段横の老木の内部には空洞部も。



石灯籠と石鳥居。



「甘沼八幡大神と甘沼村の由来
八幡大神
社 格 相模国高座郡甘沼村明治六年十二月披列村社候事
祭 神 八幡大神は誉田別命(注応神天皇)軍の神様境内に末社あり殿山稲荷と云う祭神に倉魂神
    農業の神様
創 立 明暦二年丙甲(西暦1656年)今から参百弐拾六年前である。
現建物 奥殿は昭和二十六年十月に再建された。本殿は昭和四十八年九月に村有志により再建
    されたものである。
甘沼村の由来
由 来 昔より高座郡に属す起源詳ならず口碑に今の本村の田地震にて概て一円沼地にして其辺
    甘草の生茂せしを漸々開墾したるを以って甘沼村と云い懐島郷(旧大庭の庄)の一つで
    あったが冠稱を廃して現今は単に村名のみを用う。
沿 革 往古詳ならず永禄年間北条氏の臣近藤孫三郎来地たり天正十八年庚寅徳川氏に代り
    承応三年甲午旗下堀順三郎の知行所となり明治元年戊辰八月韮山県に属し同年九月に
    神奈川の所轄となる。」



石鳥居の下を進む。



右手にあったのが「鐘楼」。



「八幡大神拝殿新築記念」と。



「昭和四十八年九月吉日再建」と。



「平和の鐘」と。



その先に「庚申塔」。



青面金剛像をその表に彫りつけた形式の庚申塔の出現期のものである。
4臂の像で、2猿を従えている。
この形式の庚申塔は今までに7基が知られており、内1基は年号が分からないが、他は
承応2年(1653年)から明暦4年(1658年)の間の年号銘をもつ。
しかもそのいずれもが、相模川下流域に集中している。
この庚申塔は、この7基の内の2番目に古い年号銘をもっている。



「八幡神社の庚申塔
     平成十八年二月十四日
     神奈川県指定有形民俗文化財
庚申塔は、庚申信仰に基づいて江戸時代に盛んに造られるようになったもので、人の延命招福を
願ったものである。
この塔は青面金剛像を彫った庚申塔の出現期のもので、承応三年(1654)の年号が見える。
基部には造立者十人の名が刻まれている。
四臂(よんび)(うで)で二猿を従えるこの形式の塔はこれまで七基が見つかっており、いずれも
相模川下流域(茅ヶ崎三、平塚二、寒川一、藤沢一)に分布している。初期の青面金剛像の庚申塔
として貴重なものである。」



石碑群。左から
●舟形光背型「廿三夜塔」・明治三十七年一月吉日、
●山状角柱型「道祖神」・「丙安政三年/辰正月吉日」(1856)、
●山状角柱型「道祖神」・「安政二乙卯正月吉日」(1855)



石段を上り終えると正面に「拝殿」。



狛犬「阿形像」。



狛犬「吽形像」。



太い丸太で蓋をしてあったのは手水場であっただろうか。



「拝殿」
御祭神 誉田別命( ほむだわけのみこと )
祭礼
 1月1日  元旦祭(がんたんさい)
 7月15日  浜降祭(はまおりさい) 
 8月4日  例祭(れいさい)


屋根の鬼瓦とその下の彫刻。



頭貫の彫刻。裏に 木彫師 渡辺豊雲 と。



木鼻(右)。



木鼻(左)。



扁額「八幡大神」。



「境内社」。



「神輿殿」。



扁額「神輿殿」。



「甘沼 八幡大神」の神輿。


   【https://ameblo.jp/syounan0211/entry-10016796571.html】より

「神楽殿」。



この境内社の名前は??



「甘沼八幡大神」を後にして小出県道に出て南西に進み暫くして左折した場所にあった
「小祠」。
神奈川県茅ヶ崎市甘沼594。



                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.30 05:02:32
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