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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.26
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

所狭しと境内に石碑・石像が並んでいた「神明大神宮」を訪ねた後は、
ポツンと「本堂」と墓石群が並ぶ「了覚院」を訪ねた。
神奈川県茅ヶ崎市円蔵2170。



トタン屋根の上に宝珠(ほうじゅ)を載せた小さな「本堂」。
ネットによると「昭和20年以降無住寺となり廃寺になっていて空き地の中に小さな堂と
位牌型墓碑が二基。一つには「太田善太夫吉次之墓」
吉次は家光に仕え2260石、御先手弓頭などを務め延宝八(1680)年相模国高座郡円蔵村に
葬られたとある。江戸時代初期、円蔵村は旗本三家の分給支給地で大田家はその一つ。」と。



「本堂」の隣には墓石群が。



「高野山真言宗 輪光寺末寺
了覚院 御本尊 阿弥陀如来像
江戸時代の円蔵村地頭知行高二百三十石(総知行高は二千二百六十石)太田善太夫吉次が
菩提の為に元和五年(一六一九)に創建。吉次は法名を了覚院と云。延宝八年(一六八〇)没。
太田氏一族及歴代僧侶之墓」



大きな墓石が二基。



右が「太田善太夫吉次之墓」。



左が「◯住院殿◯義空了禪居士正定聚位」
「正定聚(しょうじょうじゅ)」とは必ず仏となることの決まった聖者。不退転の菩薩たち。
真宗では、他力真実の信心を得た者 をいうのだと。



「三十三度」碑。
正面 : 淺草観世音 相州圓蔵邑 三十三度 大山不動尊 行者了察
右  : 寛政七乙卯暦
左  : 十一月日造立之
大山不動尊に三十三回登拝した記念にたてられた石碑なのであろうか。



ここにも「茅ヶ崎市広報板」が。



そして「了覚院」の後方に同様の「御堂」が見えたので訪ねてみた。
「円蔵祇園社」。
所在地:神奈川県茅ヶ崎市円蔵2163-2




御堂を正面から。
「了覚院」の御堂の一つであったのだろうか。



小さな社も横に。



道祖神であったのだろうか。注連縄が奉納されていた。



寺院の御堂のようであったが。



御堂の前から「了覚院」を見る。
この畑の場所は、「了覚院」の境内であったのだろうか。



そして次に訪ねたのが5分ほどの場所にあった「輪光寺」。



「高野山真言宗天慶山輪光寺」。



掲示板。



二宮尊徳の少年時代(金次郎)の像。



境内左側には「庚申塔・石碑群」が。



近づいて。



「輪光寺の庚申塔(こうしんとう)
昭和四十四年八月十五日
茅ヶ崎市指定重要文化財
庚申塔は、庚申信仰に基づいて江戸時代に盛んに造られるようになったもので、人の延命招福を
願ったものである。
この塔は寛永十七年(一六四〇)の年号が刻まれ市内に所在する九十基余りの庚申塔の中で
最も古いものである。舟形光背で、頭上に烏帽子をのせ、しやがんだ姿の三猿(上に聞かざる、
下に向かって右に言わざる、左に見ざる)がニ段に浮き彫りにされている。
このような形は同時期のものに他に類例を見ず塔の移り変わりからはやや異質であるが、
年号からは全国的にも古い三猿塔である。」



上記案内板の「庚申塔」はこれであろう。
舟形光背型庚申塔
寛永17年(1640)5月
ケン?・バン・バン(梵字)・三猿
正面右側「當六具供養勧功徳伴成佛
     寛永拾七年
     庚」
 〃左側「辰
     五月吉日
     相州宅良郡圓像人殺嶋村天□岩戸久右衛門 」
「人殺」は「人殿」????



頭上に烏帽子をのせ、しやがんだ姿の三猿(上に聞かざる、下に向かって右に言わざる、
左に見ざる)がニ段に浮き彫りにされていた。



唐破風笠付角柱型庚申塔
元文4年(1739)9月
月日(手持)・青面金剛像(合掌・六臂)・三猿
右側面「元文四己未年」・5人の名
左側面「九月吉祥日」・5人の名



「廿三夜供𫝥塔」。



以下、六地蔵を右から。
「栖蓮院殿俊譽妙順大姉 霊位 亨保十五戌天(1730)十二月上十日」。
右手に錫杖、左手に宝珠(欠損)を持っ。
年銘は没年日と思われる。


「華香院殿夏屋清月信女  寛文十年戌四月十一日」
両手で香炉を持っ。
年銘は没年日と思われる。



「智教院隋譽清順大姉 元文三午天八月十四日」



「一乗院妙喜日理 正徳二壬辰天四月十五日」と。



「雲庵心晴信女 寛文十一年亥十二月廿四日」と。



「随源院順譽教哲居士 元文五申年十月廿九日」と。



「弘法大師修行像」。



「弘法大師修行像」碑。



「大師堂」。



「弘法大師像」。



「本堂」前の石庭。



                              ・・・​もどる​・・・



                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2023.03.11 15:34:20
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