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カテゴリ:国内旅行
「奥武島観音堂」を後にして島の南東方向にある「龍宮神」に向かって進む。
早朝の光る海・太平洋を見る。 ![]() 前方に案内板があったのでその先で車を駐める。 ![]() 下りの石段の場所に「竜宮神(りゅうぐうしん)」。 ![]() 石段を下って行った。 ![]() 石段の下の岩場に辿り着くと、前方には逆三角形の岩が。 ![]() こちらが「龍座」と呼ばれる岩。 大きな龍が天から降りて来て休む場所と言われているとのこと。 そして、その手前にあったのが、 石灰岩上にいくつかの霊石が積まれた拝所・「竜宮神」。 海の神様を祀った拝所で、旧暦3月3日等に航海安全と豊漁等を祈願する場所。 海に接し周辺は巨岩に囲まれ、神秘的な雰囲気が。 ![]() 近づいて。 ![]() 右側にも似たような形の大きい岩が2つあり、「母岩」と「子岩」と言われていると。 ![]() 蟹の姿が。しかし動きはなかったが。 「竜神宮」の周囲は、自然が作り出した変わった形の岩、そして沢山の海の生物がいる やはり神秘的な場所なのであった。 ![]() 「母岩」と「子岩」を別の場所から。 ![]() 「龍座」岩と「光る海」。 ![]() そして石段に向かって引き返す。 ![]() 次に訪ねたのが「天仁子乙女王御神」。 ![]() 手前の道路沿いには石獅子・シーサーが(右)。 ![]() シーサー(左)。 ![]() 石碑と案内柱そして中央の頂にも石柱があった。 ![]() 左側に 「天川神(てんかわしん) 天仁子乙女王(てんじんしおとめおお) 中龍宮母神(ちゅうりゅうぐうぼしん)』碑のある拝所(うがんじゅ)。 ![]() 右側に「ヒータチー(灯台)」柱。 ![]() そして雑木に覆われていたが、尖った石垣の頂部にある「ヒータチー(灯台)」。 夜間の航海安全のために石油ランプを灯していた場所。 周辺は「火立て毛(ヒータチモー)」という原野でモーアシビー(毛遊び)の場であった。 1912(明治45)年以前には既にあったと。かつては村落祭祀が行われていたが、現在は なくなっており、手前にある石碑は島外の人が建てたとのこと。 現在は、周辺に民家が建ち、石積みにその名残を留めていた。 ![]() 「奥武島」を一周して戻る事にし、「奥武海道」を時計廻りに進む。 海の向こうに「沖縄平和祈念堂」が見えた。 ![]() 奥武島の南西部にある岩場「オーガマー」を車窓から。 ![]() この場所にあるという「海上遭難者慰霊之塔」をネットから。 ![]() そしてほぼ一周すると前方に「奥武橋」が姿を現した。 ![]() 「奥武橋」の袂の駐車場に車を停める。 橋を渡った所には、石碑が三つあった。 「奥武區」と刻まれた石碑。 ![]() 「玉城村奥武区 姉妹部落 米海軍警備隊第四」と刻まれた石碑。 特別な石碑ではないのだが、この真中の石碑は米海軍第四警備隊から贈られたもので 「姉妹部落」とある。この地に駐屯していたのだろうか? 石碑には "Okutake Village Tamasiro" とある。沖縄本土復帰前には「おう」「たまぐすく」 ではなく、「Okutake (おくたけ)」「Tamasiro(たましろ)」と呼ばれていたのだろうか? 現在でも奥武島と米軍の交流は続いており、ハーリーの際には米軍も参加しているとのこと。 ![]() 「新沖縄観光名所 奥武島 1964年1月 琉球新報社」碑。 ![]() 正面に「奥武島」で「沖縄てんぷら」の行列ができる人気の店・「中本鮮魚店」があった。 「沖縄のてんぷらは衣が厚いのが特長。何もつけずに食べるのがおいしい。 沖縄ではお菓子代わりに食べたりします。奥武島のきれいな海を見ながらてんぷらを食べるのが おすすめ。てんぷらの種類:さかな、もずく、アーサー、イカ、その他」と。 ![]() 「奥武橋」を渡り引き返す。 橋の欄干にあったサバニ(鱶舟)のオブジェ。 「サバニとは、海人が使っていた舟のことを指します。沖縄県の言葉で「舟・ふね」のことは 「ンニ」「ブニ」と発音されますが、「サバニ」の語源としては「サバ(沖縄でサメのこと)漁に 使うンニ(舟)」が「サバンニ」「サバニ」になったとされるのが有力な説。 帆を掛けて風を利用し、ウェークと呼ばれる櫂(かい)で水をかき進む「帆掛サバニ」で、かつて 海人たちは漁に出ていました」 とネットから。 その先の欄干には 「離れ奥武の島や 観音堂崇め 互に肝合わち 栄ていかな 中村一男」と。 ![]() 南城市玉城方向を見る。 ![]() 「奥武橋」は1936年に木造の橋が架けられて以来、架け替え工事が何度か行われていると。 ![]() 渡り終えると「奥武海道」は左にカーブ。 ![]() さらに進み「雄樋川(ゆうひがわ)」を渡る。 左手に見えたのが「国道331号」の「雄樋川橋」。 ![]() 「雄樋川」の堤防近くにあった「唐の船御嶽(とうのふにうたき)」を訪ねた。 島尻郡八重瀬町長毛290−13。 ![]() かつての長毛(ながも)集落の中心地に建てられている航海・漁業の守護神。 ![]() かつてこの地に難破した中国の貿易船の船員が建てた祠であり、媽祖(まそ)がまつられている。 媽祖は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神だが、 日本在来の船玉信仰や神火霊験譚と結び付くなどして、各地で信仰されるようになった と。 ![]() 「唐の船御嶽 昔、中国の貿易船が難破し、船が使用不能になったのて、船員はこの地に上陸し仮小屋を建てて 住んていた。彼等は食糧に窮し、附近の甘藷、野菜はもちろん、にわとり、豚等まても盗んで 食べるようになった。住民は、これを公事(間切の番所)に訴え出た。公事では遭難した不運の 船員に深く同情し、間切の公費てもって食糧を供給した。当地滞在中彼等中国の船員は、この地に 祠を設け中国に於いて深く崇信している、航海の安全を守護する「媽祖(まそ)」と称する女神を 祀り、故郷中国へ帰る航海の安全と、健康を祈願した。願いがかなって中国へ帰ることが出来た。 帰るに際し、彼等はこの地の住民に、ここに祀られている神様は、海上安泰、豊漁、豊穰、 子孫繁昌、健康を御守りする守護神である。ひとしくこの神の庇護を受けるようにと伝えた。 人々はこの神を崇信し、この祠を「唐の船御嶽」と呼ぶようになった。当時、沖縄の人々は 中国のことを「唐」と呼ぶ習であった。」 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.11 00:00:17
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