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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.12.26
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カテゴリ:国内旅行
「神橋」の手前右側にあったのが「西域」。
天徳寺丸ともいい、涼やかな音色の水琴窟を楽しめます。
南方に堀切等が続きます。



これが「水琴窟」・「天慶夢」。
日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、
その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。



ツワブキ(石蕗)の花。



「四つ目堀」に架かる「神橋」を横から。



「神橋」手前の「四つ目堀」に沿った「避来矢(ひらいし)山」に向かう小路。



右手にあった「明治天皇御製(ぎょせい)」
「あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きを おのが 心ともがな」
(浅緑色に晴れて澄み渡った大空のように、清らかな心、大らかで、広い心で日々の生活に
励みたいものだ)」と。



「唐沢山城跡案内図」。



「神橋」を渡る。



「四つ目堀」の北側。



「四つ目堀」の南側。



「四つ目堀
西城域と帯曲輪以東とを大きく分断する堀切。
かつては曳橋で、いざという時には、橋を引き払って通行を遮断することができた。」



石段を上って行った。



左手にあったのが「和合稲荷神社」。



朱の鳥居の扁額も「和合稲荷神社」。



「和合稲荷神社」の社殿。
宇迦之御魂(うかのみたま)が祀られている境内社(穀物・食物の神様)。



参道への山の法面には石碑が。



「献燈 唐澤山神社創建壱百年 敬神婦人会創立二十周年 記念」碑。



更に落葉の石段を「三の丸」に向かって上って行った。



三の丸・四つ目堀の間にある「帯曲輪」が前方下に見えた。。
急な切岸と土塁が残るこの地形は、本丸側における最前線の防御拠点だったと。



そして石段の先に「三の丸」が現れた。



「三の丸」。



奥にはモニュメントが設置されていた。



「佐野人形協会」の「人形供養塔」。



近づいて。
ひな人形や五月人形といった節句品を供養する「佐野人形感謝祭(人形供養)」の催しは、
毎年10月の第2日曜日に開かれている。



「この人形供養塔は、昭和、六十一年より佐野節句品製作組合の事業として9年間実施された
「佐野人形まつり」において皆様より供養のご芳志としていただいた浄財にて建立いたしました。
阪神淡路大震災に寄せて一度は、中止といたしました人形供養事業ですが、平成十六年より
この唐沢山神社の地て佐野人形協会主催の「佐野人形感謝祭」と名称を変更し実施しております。
かねてよりの懸案でありました供養塔建立につきまして、唐沢山神社様のこ厚意より、お許しを
いただきましたので、佐野在住の陶芸家和田真紀氏に制作を依頼、ここに除幕式を迎えました。
                               平成二十年九月二十七日
                                    佐野人形協会」



「三の丸」からの紅葉。





下に「大手道」を見る。



「本丸」下の「高石垣」が姿を現した。



右側にあった案内板。



長さ40m・高さ8mのド迫力な石垣。この石垣は関東では珍しいもので、
佐野氏と豊臣秀吉が深い関係にあったことから、西日本の技術の導入によって築かれたものだと。



「二の丸」への道はその先の「石垣積直し工事」のため全面通行止めとなっていた。



「二の丸」跡の奥に「神楽殿」が見えた。



「大手道」を「南城」に向かって進む。



石垣の下に石碑があった。



「櫻記」と。



近くの山も雲海に霞んで。



「唐沢山神社 手水舎」。



正面から「唐沢山神社 手水舎」。



幟の立つ「大手道」を見る。



「唐澤山神社 授与所 社務所」。



「授与所」。



「唐澤山神社
当神社は御祭神藤原秀郷公の流れをくむ佐野氏により戦国時代初期に築城された本丸跡に
建てられています。公は「むかで退治」の伝説や「天慶の乱」の鎮定等から武勇に優れていた
ことが知られています。また、この乱の鎮定の功により鎮守府将軍に任ぜられました。その後
700年の間、多少の変遷はありましたが、江戸時代初期に廃城となりました。明治16(1883 )年、
佐野氏の一族旧臣等が公の遺徳を偲び唐澤山を建てました。」。



「社務所」と「南城館」を見る。



「唐澤山神社社務所」と。



「続日本百名城」スタンプの押印場所が「社務所」前にあった。



「続日本100名城」の「114  唐沢山城」のスタンプをいただきました。



そして御城印「唐沢山城」も。
築城主・藤原秀郷公の家紋「揚羽蝶紋」が中央に大きくあしらわれたデザインに。




                               ・・・​もどる​・・・


                 ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.12.26 16:39:05
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