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カテゴリ:国内旅行
「南城館」
「南城跡 南城といわれるこの第所には、かって蔵屋敷や武者詰めがあったとされ、周囲に石垣が めぐり、特に東南の石垣は見応えがある。」 南城館西側にある展望台。 石庭の如くに巨石が並ぶ。 展望台からは深い霧の中、ほとんど見えなかった。 万葉集東歌の歌碑。 「万葉集東歌(下野二首の一首) 下毛野(しもつけの) 美可母(みかも)の山の 小楢(こなら)のす ま麓(ぐは)し兒(こ)ろは 誰(た(か))が筒(け)か持たむ」 ≪左前方の山・三毳山を詠み≫(栃木県史より) コナラの葉のようにみずみずしく美しい乙女は誰の食器を持つのだろう。」 ・「下つ毛野」は、今の栃木県。「みかもの山」は栃木県佐野市と岩舟町の堺にある山。 かつては大田和山(おおだわやま)とも呼ばれていた。 ・「笥(け)」は食器。「笥(け)を持つ」というのは、お嫁さんになること。 「ひでさと君のいちごいちえ・ぬり絵コンテスト」作品が並ぶ。 入賞作品。 「南城跡について 本丸より南方向にある所から南城と呼ばれる。 城はいくつかの曲輪(一定の地域を限り、その周囲と区別する為に設けた囲い)により構成されて います。その呼び名には一般的に人名、方向等によって呼ばれることが多い。 この南城跡は南北18メートル東西3 6メートルあり、 周囲は石垣をめぐらし東側には堀を設けてあります。 天気のよい時には、こから東京の高層ビルが眺められます。 環境省・栃木県」真っ赤に染まったカエデ?の紅葉。 「南城館碑」。 そして「本丸」、「唐澤山神社」への石段を上って行った。 石段の上に「唐澤山神社」の石鳥居が立つ。 その先に大きな石灯籠。 石灯籠(右)、獻塔(けんとう)と。 石灯籠(左)、獻塔(けんとう)と。 この傾いたように見えた石碑は? 「明治十六年御鎮座 御祭神 贈正二位 藤原秀郷公 元別格官幣社 唐澤山神社 例祭 春 四月二十五日 秋 十月二十五日」 「山門」に向かって進む。 「山門」。 山門下には樽酒が並ぶ。 左手には「古札納所」。 そして正面に「唐澤山神社」の「拝殿」。 「拝殿」手前に狛犬(右)。 狛犬(左)。 今年の虎の絵馬。 「唐澤山神社参拝記念」撮影用の顔出しパネル。 「拝殿」前から、上って来た参道を振り返る。 そして「本丸跡 現在は藤原秀郷公を祀る唐澤山神社の社殿が所在するこの場所には、かつては奥御殿が建ち、 西側が大手虎ロであった。」 この建物は? 石鳥居の先に「二の丸」を見下ろす。奥には「神楽殿」が見えた。 「神楽殿」をズームして。 その脇には大きな石碑があった。 「二の丸」からはこの様に見えたのであろう。 こちらは虎口(こぐち)といわれていた出入口で、二の丸から本丸へのぼる通路。 この写真の左側の石垣が修復工事中のため「二の丸」へは立入禁止になっていたのであった。 「拝殿」横から「唐澤山神社」の「本殿」を」見る。 「拝殿」の右側から。 柵に近づいて。 「本殿」入口。 「拝殿」右側からも「本殿」を見る。 ズームして。 「唐澤山神社」の拝殿手前・左側の野面積みの石垣。 南城へ戻る石段の手前にあった案内板。 「南局跡 古地図によっては「二の丸」とも記されている場所で、かつては奥女中の詰め所で あったともいう。」 そして「南城」への石段を下って行ったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.27 13:32:23
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