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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.08.25
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カテゴリ:JINさんの農園
「銀座三越」で開催中の「アートアクアリウム美術館 GINZA」を楽しんだ後は、晴海通り
出て、「銀座四丁目」交差点から「セイコーハウス銀座 時計塔」を見る。
中央区銀座4丁目5−11。



現在の建物は2代目で、関東大震災からの復興の証として1932年に完成したもの。
火災や地震を考慮して頑丈な天然石が施され、屋上には時計塔が作られた。
この時計塔は4面に向けられた時計があり、正時のたびにチャイムを鳴らし、街を往来される
方々に時を知らせる役目をしてきた。当時はまだ時計を持ち歩く習慣がない人も多かったため、
暮らしの中に時間という概念が浸透することにも貢献してきたのだと。
竣工から91周年を迎えたが、これまで外観はほとんど変わることなく、一方で銀座の街は
どんどん変化を重ねてきた。時計の会社にある時計塔ですから、高い頻度で丁寧にメンテナンスを
行い、常にずれることなく、現在も時を知らせていると。
文字通り、銀座の街と共に過ごしてきた建物。
時間は13:30前。



その対角線上にあったのが、「GINZA PLACE(銀座プレイス)」。
地上11階・地下2階の複合商業施設。建物は透かし彫りをモチーフに、日本の伝統工芸の美しさを
表現した存在感ある外観デザインが特徴的。
まるでフルーツキャップとして使われる緩衝材で覆われているが如し。
中央区銀座5丁目8−1。



再び「セイコーハウス銀座 時計塔」を見る。



「中央通り」を新橋駅方向に進むと、右手にあったのが「ユニクロ銀座店」。
イチロー​POST​
はじまりました。
きみの声がイチローに届く、
特別なポストです。
「きみが好きなこと、向き合いたいことってなんですか?」小学生・中学生のみなさんに質問です。
きみのこたえやイチローさんに伝えたいことを、ユニクロのポストや、WEBサイトから届けて
ください。答えてくれたきみのことを、ユニクロはイチローさんと応援したい。会いに行きたい。
自分の言葉で伝えて欲しい。きっとそれがきみの新しい一歩になる。」
中央区銀座6丁目9−5 1-12F ギンザコマツ東館。



「ユニクロ銀座店」の店内。



そして訪ねたのが「岩稲荷神社」。
東京都中央区銀座7丁目8。



豐岩稲荷神社



銀座七丁目 豐岩稲荷神社」と書かれた幟が並ぶ。



ビルの狭間の1m程の細い路地にまつられた神社は、ちょっと不思議な異空間。
手前左に石碑と手水場。



この石碑には「寄進者芳名」と。



「参拝者のみなさまへ
1.御守り(令和5年)と御朱印書き置きがあります。
  
     お渡し場所は当神社地下1階 社務所

  〇参道入り口左にある階段を下りてください。
  〇社務所は毎週月曜日・火曜日・金曜日が開いております。
   時間は10時30分~ 15時30分 ※12時~ 13時は昼食休憩
   社務所の都合で曜日を変更する場合があります。

  当神社についてのご質問・照会等は電話またはメールをご利用ください。
  定休日に頂いた電話・メールは出勤日に返信いたします。
                        豊岩稲荷神社社務所
                        TEL 03-6264-5639
                        E-mail:ginnana77@yahoo.co.jp」



左手に拝殿が。



「狛犬」。



右(阿形)。



左(吽形)。



扁額「豐岩稲荷大神」。



豐岩稲荷神社
御祭神 稲荷大神、宇気母智神(うけもちのかみ)」
例祭日 四月十五日
由緒  当社は、江戸初期からこの地(銀座7-8-14)に火防(ひぶせ)神・縁結神として
    信仰を集め、銀座7丁目町会の守護神として篤い信仰を集めてきた。
    稲荷の神は、保食(うけもち)神(宇気母智神)あるいは倉稲魂(うがのみたま)神と
    称し、稲のみ魂、また人間の生活に最も必要な食物を守護し給う神として、伊勢神宮の
    外宮、京都の伏見稲荷大社始め、全国の稲荷の御祭神として、広く信仰されている。
    当社は、明智光秀の家臣 安田作兵衛により祀られ、昭和の初めには歌舞伎の名優 
    市川羽左衛門(いちかわうざえもん)丈を始め、芸能関係者の崇敬が厚かった明治3年
    (1870年)以降、当銀座の氏神である山王日枝神社(元官幣大社)の神職により
    祭祀はとり行われ、永年の宿望であった御社殿以下の御造営事業及び境内地の保全が
    平成5年(1993年)秋、地元町会関係者及び特別崇敬者 中塚成紀氏等の奉賛により
    なされたのである。
                     平成五年十一月 銀座七丁目自治会」



そして新橋駅方向に進むと、右手にあったのが「金春湯(こんぱるゆ)」。
文久3年(1863年)、金春湯は銀座に開業。
当初は木造建てであったが、昭和32年に改築し、ビル内に銭湯を構える現在の形に。
改築当時はビル内に銭湯を構えることは珍しいことであった。また、周囲に高い建物がなく、
このビルが一番高い建物であった。
江戸時代、この界隈に金春流の能役者の屋敷があったことからの店名と。
昭和43年の時点では銀座だけでも8軒の銭湯が存在したが、現在では1丁目の公設「銀座湯」と、
こちら8丁目の「金春湯」を残すのみとなってしまった と。
中央区銀座8丁目7−5。



その先「御門通り」との角の手前にあったのが「金春通 煉瓦遺構の碑」
中央区銀座8丁目7−11。



正面から。



金春通 煉瓦遺構の碑
平成五年九月吉日
銀座金春通会建之



「銀座は日本に二箇所しか建設されなかったきわめて貴重な煉瓦街の一つです。もう一つは
丸の内の煉瓦街でした。しかし今日では残されたこうした遺構から明治時代の煉瓦街を
窺い知るほかはありません。
設計者はトーマス・ジェイムス・ウォートルスというイギリス人です。
フランス積みで、明治五年から十年にかけて当時の国家予算の四%弱を費やし、
延べ一万メートル余もあったといわれています。
この煉瓦は銀座八丁目八番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたものでゆかりの金春通りに
記念碑として保存される事になりました。
下の絵は、明治初期のガス灯や張り板、提灯など当時の金春通り煉瓦街を偲ばせる古い写真を
元に銅板に彫金したもので、見る角度により昼夜の陰影が出るよう微妙な細工が施されております。
銅板画制作 第十一代 銅昭」。



金春屋敷跡
所在地 中央区銀座八丁目六~八番地域
江戸時代、幕府直属の能役者として知行・配当米・扶持を与えられていた家柄に、金春(こんぱる)
・観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)の四家がありました。
能楽は室町時代に足利幕府の保護奨励を受けて発達し、安土桃山時代には熱心な愛好者であった
豊臣秀吉の保護を受け大いに興隆しました。
特に、金春家は秀吉の強力な保護を受け、能楽の筆頭として召しかかえられました。江戸幕府も
秀吉の方針を踏襲して能楽を保護し、金春・観世・宝生・金剛の四座を幕府の儀礼に深く関わる
式楽と定めました。
元禄六年(一六九三)頃の江戸市中の状況を記した「国花万葉記」によると、金春大夫は山王町
(現在の銀座八丁目)・観世大夫は弓町(現在の銀座ニ丁目)・宝生大夫は大鋸町(現在の京橋
一丁目)・金剛大夫は滝山町(現在の銀座六丁目)に屋敷を拝領していたとあります。
金春家は、寛永四年(一六二七)に屋敷を拝領したといわれ、寛永江戸図『武州豊島郡江戸庄図』
には「金春七郎」の名を確認でき、現在の銀座八丁目六・七・八番辺りに図示されています。
後に屋敷は麹町(現在の千代田区)に移りましたが、跡地には芸者が集り花街として発展しました。
金春の名は、「金春湯」・「金春通り」などと、今もこの地に残っています。
 平成二十一年三月    中央区教育委員会」


第39回 能楽今春祭り」案内。



そして首都高速道路をくぐりると左手にあったのが「新橋親柱」。
港区新橋1丁目6。



港区の文化財 新橋親柱」。



「新橋親柱は、かつて新橋と銀座の間を流れていた汐留川に架けられていた橋で、昭和38年
(1963年)、川の埋め立て工事とともになくなりました。
現存する新橋親柱は、大正14年(1925年)に長さ20m、幅27mの鉄筋コンクリートで
作られた橋の一部です。
地域名の由来を今に残す貴重な遺構です。
平成30年(2018年)1月15日 港区文化財総合目録登録 港区教育委員会」



そして「銀座柳の碑」。
~銀座煉瓦街を美しく彩った柳の記念碑~
銀座煉瓦街の完成時、街路樹として松・楓(かえで)・桜などを植えたがすぐに枯れてしまった。
代わりに柳を植えたところ、それが根づいた。
その後、道路拡張や大火により何度か柳が銀座から姿を消したが、地元の人々の尽力により
よみがえり、柳の緑が一面を覆うようになった。
記念碑には『銀座の柳』の歌詞と譜面が刻まれている。
港区新橋1丁目6−9。



「銀座柳の碑

西条八十 : 作詞
中山晋平 : 作曲
植えてうれしい 銀座の柳
江戸の名残りの うすみどり
吹けよ春風 紅傘日傘
今日もくるくる 人通り

 (その先の歌詞です。)

巴里(パリ)のマロニエ 銀座の柳
西と東の 恋の宿
誰を待つやら あの子の肩を
撫でてやさしい 糸柳


恋はくれない 柳は緑
染める都の 春模様
銀座うれしや 柳が招く
招く昭和の 人通り」



銀座の柳 二世」。



銀座の柳 二世」の案内板の上には、鳩の姿が。



そして次に訪ねたのが「日テレタワーゼロスタ広場」。
この先に「日本テレビタワー」があったが、次回に。
港区東新橋1丁目6−1。



シオタマ」が並ぶ。
シオタマは、日本テレビが本社屋を東京都千代田区二番町(日本テレビ放送網麹町分室)から
東京都港区東新橋(汐留シオサイト地区・日本テレビタワー)に移転する際、新キャラクター
として位置づけられたものである。
初登場は2003年8月2日に日本テレビ系列で放送されたスペシャル番組
「ダウンタウンのバラエティ50年史」。
水玉模様の人型オブジェが沢山!四つん這いになって一列に並んでいたり、円になって並んで
いたりと一度見たら忘れられないオブジェ。



日テレタワー」を見上げる。



「カレッタ汐留」の「亀の噴水・Turtle Fountain 」[B2F]
作者:蔡國強(ツァイグォチャン)
港区東新橋1丁目8。



10:00~22:00の間、毎時1回・ 20分間の​ショー​👈リンクを行っているとのこと。



現在位置はここ!!



ここに陸蒸気の新橋停車場がありました
明治5年(1872年) 10月14日に新橋停車場が開業し、新橋~横浜間(現在の桜木町駅)に日本で
最初の鉄道が開業しました。
開業当時は総延長28.8kmを約53分で結び、陸蒸気と呼ばれたその列車の速度は時速35kmで
「風のごとく火竜のごとし」と驚き恐られました。
大正3年(1914年) 12月に新橋停車場は汐留駅と名前を変え、貨物専用駅として昭和61年(1986年)
まで活躍しました。
日本テレビブラザの中に当時の新橋停車場のホーム先端があり、その位置と線路跡をLED
(発光ダイオード)で表示しています。」




                                                                                                      ・・・​もどる​・・・



                 ・・・​つづく​・・・
                  








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Last updated  2023.09.28 15:44:21
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