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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.09.17
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カテゴリ:JINさんの農園
この日は8月10日(木)、仕事の応援で滋賀県彦根市に前夜泊で向かいました。
小田原駅から新幹線ひかりを利用して、米原駅に向かう。
米原駅の手前の車窓からは、緑あふれる稲作水田が拡がっていた。



そして彦根駅東口近くにあるホテルにチェックイン。
ホテルの我が部屋から山の上に建つ「彦根城(ひこね じょう)」が見えた。



ズームして。
彦根城は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)にある城。
江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ
琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである
(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。彦根八景・琵琶湖八景に選定されている。
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝
(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。
佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ
彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた
彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の
名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、
と言われています。国指定の特別史跡です。



JR彦根駅を見下ろす。



彦根から6km、琵琶湖の真ん中に浮かぶ「多景島(たけしま・たけいしま)」が見えた。
元は島内に竹が多く自生していることから「竹島」といっていたが江戸時代に荒神山から
土を運び植林。木が成育すると島を眺める方向によって多様な景色に見えることから
多景島と呼ばれるとのこと。1655年(明暦元年)に長浜・妙法寺僧慈雲院 日請上人が
島内に日蓮宗見塔寺を開寺。島内全域が見塔寺の敷地になっているとのこと。
島の一番高い場所にある誓いの御柱が見えた。
五角形の柱の五面それぞれに明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれているとのこと。



夕焼けを背にした彦根城。



ズームして。



近江鉄道、土山サービスエリアのラッピング電車が走っていた。



城山に立つ彦根城。
城山は湖と東の山々の間の中にポッコリと盛り上がった高さ140メートルほどの小さな山。



天守閣とその下に天秤櫓が見えた。
彦根城と城下町の建設は、今からおよそ410年前の慶長(けいちょう)9年(1604)に始まり、
20年近い歳月を経て完成した。その中心をなしたのが、天守のある本丸。現在の本丸には
天守の建物しか残っていないが、かつては藩主の御殿である「御広間(おんひろま)」や「宝蔵」、
そして「着見櫓(つきみやぐら)」なども建っていた。
天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根で構成。規模は比較的小ぶりだが、屋根は
「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を
多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど) 」、3階には高欄付きの「廻縁
(まわりえん)」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せているのだ。
城の表門や大手門から入ると、鐘の丸を経て太鼓丸を通らないと、本丸にはたどりつけない。
その入り口に設けられたのが、天秤櫓である。櫓門の左右に二重の隅櫓が置かれ、その後方にも
短い続櫓がある。中央部に廊下橋がかけられており、いざというときには橋を落とし、
鐘の丸からの侵入を防ぐようになっていたという。



西の空が、さらに赤く染まって来た。



天守閣をズームして。



ビルの間に見えた多景島の先に夕日が沈む。



京都方向の山に沈む夕日。




夕飯を食べに、JR彦根駅の西口に向かう。
中央通路にあった「国宝「彦根屏風」ジャンボ複製」。



「彦根屏風(ひこねびょうぶ)は、江戸時代初期に描かれた風俗画。紙本金地著色、六曲一隻、
縦94.0cm横271.0 cm(本紙のみ)の中屏風画である。1955年に国宝に指定。
国宝指定名称は「紙本金地著色風俗図(彦根屏風)」。
滋賀県・彦根市所蔵、彦根城博物館保管。近世初期風俗画の代表作の1つで、浮世絵の源流とも
言われる。
描かれた場面は近世初期、京都六条柳町(通称三筋町)の遊里である。当時、六条柳町の太夫は
同時に四条河原町で演じられる遊女歌舞伎の演者でもあった。こうした遊里や歌舞伎といった
享楽的で華やかな題材にもかかわらず、絵にはどこか冷たく寂しげな雰囲気が漂う。
制作年代は、類品との比較や金地の使い方などから、寛永年間、特に寛永6年(1629年)
前後から11年(1634年)の間だと推測される。この時代、風紀の取り締まりが厳しくなっていき、
絵のような情景は急速に失われつつあった。この絵の発注者及び絵師は、かつて自分たちが楽しみ、
今無くなりつつある情景を追憶するために制作されたとも推測できる。
画中の形式を観察すると、中国の文人たちの「雅」な遊び「琴棋書画」を、当世日本の「俗」な
物に置き換えられている事が指摘できる。即ち、琴は三味線、棋(囲碁)はすごろく、書は艶文、
画は画中屏風の山水画、にそれぞれ見立てられている。こうした趣向は近世絵画では珍しいこと
ではないが、彦根屏風はその最初期の作例であり、後の浮世絵にも受け継がれている。」
とウィキペディアより。



「風俗画(彦根屏風)(国宝)
彦根藩主井伊家に伝えられるため、「彦根屏風」の名があり、寛永期(1624~44)を代表する
風俗図として知られる。
現在は彦根城博物館に所蔵され、年1回公開されている。
原寸は縦94.5cm横278.8 cm(絵が描かれている本◯部)



もともと六曲一隻の屏風であったが、現在は保存に便利な六面の額装に改装。
遊里の一室にくつろぎ遊ぶ男女15人の姿を、全面金箔(きんぱく)地の画面に描いている。
彦根屏風(第5・6扇)
左から、水墨画の山水図屏風の前で三味線を弾く人々、その隣では男女で「双六」遊びをして
楽しんでいたりする様子が繊細な筆づかいで表現されている。


彦根屏風(第3・4扇)
中央には恋文を書いていると思われる女性の姿が。



彦根屏風(第1・2扇)
右には阿国歌舞伎のような姿で、太刀にもたれたポーズで立っている若衆や犬を連れた
女性などが描かれていた。



そして中央通路からJR彦根駅ホームを見下ろす。



食事を済ませ、ホテルへの帰路へ。
駅前からライトアップされた、以前に訪ねたことのある「​彦根城​」👈リンク  を見る。



佐和山城跡」案内板。
彦根駅の北側、佐和山(232.5m)にある城跡。
不破(ふわ)の関があった関ケ原(せきがはら)に近く、交通の要衝であった。
近江守護佐々木氏によって築城され、天正18年(1590)石田三成(いしだみつなり)
(1560-1600)が、佐和山城主となってから、5層の天守を構え、鳥居本(とりいもと)を
大手とする立派な城だったと。三成が関ケ原の戦いで破れた後、井伊直政(なおまさ)が
新しい城主になったが、慶長11年(1606)、彦根城築城にともない廃城になった。
建築物の多くは彦根城や麓にある清凉寺(せいりょうじ)、龍潭寺(りょうたんじ)に移築
転用され、現在では佐和山城を偲ぶものは、わずかに残った石垣と、後の時代に建てられた
石碑だけとなっている。また、山頂からは琵琶湖や比良山系が一望のもとに見わたせるのだ。



JR彦根駅改札口。



彦根の物産。



「石田三成の城 佐和山城」



そして、この日のホテルの部屋に到着。



久しぶりのホテル宿泊。



部屋の壁には。



そして窓から彦根城の天守閣を再びズーム。



そして翌朝にも。



井伊家三十五万石の礎として築城された彦根城は、昭和27年に国宝指定された現存天守の
美しい城。三層白亜の天守も見事。



近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、
丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、
姫路、松江のわずか5城。そのうちの一つである彦根城は、規模こそ小さいが、天下の名城とも
名高く、琵琶湖八景の1つにも数えられているのだ。



天守は、大津城から移築したものだが、入母屋破風に唐破風や切妻破風など他の天守閣にはない、
変化に富んだ美しさを見せているのだ。1番上の窓枠も、寺院建築に使われていた美しい曲線で
かたどられた花頭窓になっているのが確認できたのであった。



そして朝食を済ませ、JR彦根駅からタクシーにて、この日のお客様の工場に向かったのであった。



                 ・・・END・・・







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Last updated  2023.09.17 00:00:23
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