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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.09.18
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カテゴリ:JINさんの農園
この日は8月16日(水)、自宅から車で5分程の場所にある「曹洞禅宗 西嶺山 花應院」を訪ねた。
この花應院は、小栗判官と照手姫の伝説が残された寺。
「小栗判官照手姫縁起絵巻」と「地獄変相十王図」が永く保存されており、毎年1月と8月の
16日の閻魔祭で開帳され住職による複製11幅による「地獄変相十王絵図」の「絵解き」解説が
行われて
いるのであった。
花應院は、曹洞宗の寺で、慶長年間(1596年~1625年)の創建と伝えられている。
最初は自転車で向かうつもりであったが、家を出る直前に激しい雨が降り出したので、急遽
車で向かうこととし、境内に車を駐めさせていただき、雨も止んだので山門に向かう。
藤沢市西俣野866。



小栗判官・照手姫 縁起の寺 花應院」と。



「不許葷酒入山門」碑
【くんしゅ【葷酒】 山門(さんもん)に入(い)るを許(ゆる)さず】
「葷」は韮(にら)・葱(ねぎ)・大蒜(にんにく)などの香りの強い野菜のこと。
多く禅宗の寺の門前に立つ結戒の一つ。「不許葷酒入山門」とあり、臭気の強い野菜は他人を
苦しめるとともに自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これを口にしたものは清浄な寺内に
はいることを許さないということ。



「曹洞禅宗 西嶺山 花應院」碑
側面には「奉祈 馬頭観世音菩薩」と。



案内板」が2種類。



小栗判官・照手姫、縁起の寺
小栗判官と照手姫の物語は、中世以降から伝承されてきた物語です。説経節として端を発し、
浄瑠璃や歌舞伎などの題材にもなり世に広まりました。物語の大筋は、照手姫を見初めた小栗が、
姫の父兄に殺され、閻魔大王によって娑婆に戻され、藤沢の遊行上人の助けを得て蘇生し、
姫と再会し復讐するというストーリーです。
ここ花應院には、小栗判官照手姫縁起絵と地獄変相十王図(地獄絵)が伝来し、例年一月・八月
二回の閻魔祭りでは、縁起絵並びに十王図の開帳と共に、伝説の小栗判官・照手姫の奇想天外な
物語と、地獄のさまざまな姿の絵解きが行われます。西俣野には「小栗・照手ゆかりの地」
として、多くの史跡・地名が残されています。
  平成三○年(ニ〇一八年) 二月
         藤沢市教育委員会」



市指定重要文化財(彫刻)   昭和四十一年(一九六六) 一月十七日指定
  石造閻魔大王像
    像高 24.0cm 袖張 25.0cm
小像ながら力強さと大きさを感じさせます。安山岩製の硬質な石材を巧みに彫りあげ、閻魔大王の
風貌をよくとらえています。造立年代は近世初期と推定されています。以前は村内の閻魔堂
(現、西俣野八〇五)の本尊の「前立ち」として安置されていましたが、天保十一年(一八四〇)の
お堂の火災の際に、村の若者の手によって危うく難を免れ、花應院に移されたものです。
木造彩色の閻魔大王像は、像高104cm、袖張104cmと大型像ながら丁寧な彫刻が施されており、
『新編相模国風土記稿』には「小野篁(たかむら)彫刻せしと云う」と記されています。背後から
石像閻魔大王像を胎内に納める作りとなっています。
  平成三○年(ニ〇一八年) 二月
         藤沢市教育委員会」



そして山門の前には、ジェラート・アイスクリームが人気の店「飯田牧場」があった。



参道を進んで行くと右手には「六地蔵」が。



正面から。



「本堂」に向かい合う位置には様々な石仏が。



近づいて。
右手に錫杖(しやくしよう=頭部に数個の輪が付いている杖)、左手に宝珠(ほうしゅ=宝の玉)を
もつ地蔵菩薩像。



こちらも手に何かを持たれていたのであろうか?



こちらも同様に。



その先右手にも石碑群が。
一番右側には馬頭観世音菩薩碑



本堂手前の右側には九重石塔と水子地蔵

DSC00419_R.jpg

本堂」。



扁額「花應院」。



「本堂再建記念」碑。

昭和五十七年五月十六日落慶
花應法地二世  大法逸巖代
建設委員長   渋谷彦三 謹書  と。



藤沢市指定重要文(彫刻)
石造閻魔大王坐像
本像はもと閻魔堂(正しくは法王院十三堂といい、花応院の北方100mに「閻魔堂跡」として保存)
の本尊である木造閻魔大王坐像の”おまいだち”として安置されていたが、天保十一年(一八四〇)の
お堂の火災の際に、村の若者の手によって危うく難を免れ、花応院に移されたものである。
本尊の閻魔大王像は、木造彩色坐像で像高一〇四.〇cm 袖張一〇四.五cm と大型像ながら、
丁寧な彫刻が施されており、一説には、平安時代の漢学者、歌人である小野篁(おののたかむら)の
作と伝えられている。
他方、市指定重要文化財の石造閻魔大王坐像は、前記の木造閻魔大王坐像の胎内仏で、像高
ニ四.〇cm 袖張ニ五.〇cmと小像ながら、安山岩製の硬質な石材を巧みに彫りこなして、大王の
風貌を遺憾なく表現した秀作で、造立年代は室町後期か桃山期と推定されている。
昭和四十一年一月十七日 指定
                  藤沢市教育委員会」




                                                         ・・・​つづく​・・・








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Last updated  2023.09.18 18:52:40
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