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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.10.13
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カテゴリ:JINさんの農園
そしてこの日の待ち合わせ場所であった「JR飯田橋駅」改札に向かう。



時間があったので、「JR飯田橋駅」
牛込門枡形石垣の構造」案内板。



牛込門枡形石垣の構造
牛込門枡形石垣は、門の左右の石垣が当時のままに残り、その規模や雰囲気が感じ取れる貴重な
遺構となっています。また、目の前に見える北側の石垣は、2013 (平成25)年に解体・調査が
行われ、コンクリートを使用せず、在来工法で修復されたものです。
これらの石垣は、両脇の石と両面端に密着させる切り込みハギという積み方と、ほぼ横目地が
通る布積みが用いられ、整然とした印象をもたらしています。一方、石垣の下部や土塁と接する
部分は、石の間に間詰め石を入れる打ち込みハギという積み方です。石材としては伊豆半島に
分布する安山岩を主とし、角石には瀬戸内海から運ばれた花崗岩(御影石)の巨石が利用されて
います。
石垣の積み方
外堀に面したB面(西面)は、大きさが異なる石により切り込みハギで積まれていますが、土手に
埋められた下段は打ち込みハギによる乱雑な積み方となっています。土塁に続くA面(北面)は、
突出部は整然とした切り込みハギですが、土塁に接する部分では間詰石(まづめいし)の打ち込み
ハギ状で、やや乱雑な印象を受けます。
一方、枡形内のC面(南面)は長方形、方形の石が隙間なく積まれた美しい切り込みハギで、全面で
横目地が通る布積になっています。枡形の内側であり、常に通行人の目に触れる場所であることが、
その理由であると考えられます。
石垣の内部構造
石垣の内部には、握りこぶしほどの河原石や砕石で構成されるぐり石が、石垣の裏込めとして
詰め込まれていました。道路に面するC面では、石垣一段積むごとに平坦な石を背面に敷き並べる
丁寧な裏込め(Ⅳ層)が構築されていますが、下層部のⅢ層では大形のぐり石、上層部のⅢ層では
玉石状で握りこぶしほどのぐり石と、その様相が異なっています。この特徴から、この石垣は
今までに何度も改修されていたことが判明しました。」



牛込神楽坂の図」。
江戸の神楽坂は、牛込御門を後に西北に早稲田に向かって登る坂道で、現在は飯田橋駅西口から
早稲田通り方面へ登る坂道です。
絵では正面に外堀を隔てて牛込御門が見え、神楽坂から見下した光景が描かれています。
坂の東側(絵の左側)は武家屋敷地で、西側(絵の右側)が坂に沿って町屋地域でした。
神楽坂の名の由来は『江戸名所図会』(1836)によると、坂の途中にある高田穴八幡の
旅所で、祭礼の時に神輿(みこし)が神楽を奏するからとも、近くの若宮八幡の神楽の音が
聞こえるからなど諸説あるようです。



江戸城御外殻御門絵図 牛込御門



牛込門跡石垣立面・断面・平面図



外堀の土塁」案内板。



外堀の土塁
外堀土塁の構造
牛込門から赤坂門までの江戸城外堀は、谷地形を利用し、
広い堀幅の水面と、水面から高い土塁を持つ江戸城防御のための空間で構成されています。
目の前に見える土手もその土塁の一部であり、2013 (平成25 )年から始まった石垣修復工事、
その後のJR飯田橋駅西口駅舎等の工事に併せ調査が行われ、桝形石垣付近は江戸時代当時の
規模を目安とした土塁の復元をしています。
外堀の土塁は、厚さ5 ~ 10cm程度ごとに土や粘土、砂など様々な種類の土を積み重ねて
突き固められた版築と呼ばれる技法で作られています。地層断面をみると、土手の斜面方向とは
逆に、水面の方に向かって地層が上がっています。
これは、土砂崩れを防ぐためと考えられています。土塁の道路端には土留めの石垣が築かれて
いましたが、現在では土手に沿って通る道路の端に確認できる通り、コンクリートの小型擁壁に
代わっています。」



外堀土塁の水際部分(発見された「水際石垣)
2015 (平成27)年に行われた発掘調査の結果、外堀の水際には、土手が崩れないようにする
ための低い石垣が作られていたことが判明しました。発見された場所は、牛込橋から140m程度
市谷方向に進む地点の線路の間で、石垣の基礎部分と考えられる1 ~ 2段の石積みが、外堀で
初めて確認されました。この石垣は、明治期に甲武鉄道が敷設された際に、上段部分が撤去され、
基礎部分はそのまま埋められたものと考えられます。」



外堀土塁の植栽
1636 (寛永13)年、外堀土塁が完成すると、幕府は翌年、堀方七組の東国大名に命じて、
土塁上部から2.7m程下がった位置に、一間(約1.8m )間隔で大きめの松杉を、その内側には
小さめの苗木を、ニ筋にわたって植樹させました。植木奉行(のち普請奉行)の管理下に置かれた
牛込土橋~筋違橋の土手と御堀は、近辺に屋敷を拝領する武家に割振り、植木の手入れと草刈りを
担当させました。幕末に日本を訪れたオイレンブルクの「日本遠征記』によれば、「城型天端の
平坦部とその内側にはモミなどの針葉樹がぎっしりと並び、水面には何千という野鴨が住み着いて
いる」と記されています。なお、真田濠(現上智大学グラウンド)の土塁上には、往時の姿を思い
浮かべることができるような松の植生がみられます。」



牛込御門(江戸風景上)」。



外堀断面図」。



現在の土塁」。



土手の小擁壁(左)、戦後直後の牛込門付近の土塁(右)」。



案内板が2枚。


左に「史跡 江戸城外堀跡 周辺案内図」。



「飯田橋駅周辺案内図」。



江戸城外堀跡散策案内図」。



江戸城外堀跡散策案内図
この2枚の散策図は、飯田橋駅から四ツ谷駅周辺に残る江戸城外堀跡を中心とした文化財を示した
ものです。これらは、近世から近代までの東京の歴史を示しています。
また、日本橋を起点とする五街道が四方に延び、江戸出入口の大木戸や宿場の位置を左の図に
示しました。
さらに江戸御府内を示した「墨引図(町奉行支配の町範囲)」は、概ね現在の山手線を中心として、
東は隅田川を越えて錦糸町駅までの広い地域であったことが分かります。」



江戸城外堀跡散策案内図」-1。



江戸城外堀跡散策案内図」-2。



そしてこちらには4枚の案内板。



右側から
外堀の変遷」案内板。。



外堀の変遷
外堀は江戸城防御の役割だけではなく、豊かな水辺空間として当時から江戸市民に親しまれ、
名所絵などの浮世絵にも多く描かれました。
「名所江戸百景」(広重・1856(安政3)年-1858(安政5)年)には、 市ヶ谷八幡の門前町が堀端に
広がり賑わう景色が、 外堀とともに描かれています。
また、 「富士三十六景」 (広重・1858(安政5)年)には、御茶の水の懸樋下を、 荷物を載せた船が
往来する様子が描かれ、 外堀が物資輸送路としても使われていたことがわかります。
明治期以降も外堀は景勝地として受け継がれました。 1893(明治26)年、地域有志者からの寄付金
により、 四番町より市谷田町に通じる新道 (現・新見附) 開設願いが出され、 甲武鉄道の
延伸工事と一体で建設されることとなりました。
1894(明治27)年に開通した甲武鉄道と外堀の風景は絵葉書などに多く取り入れられました。
1911 (明治44)年には、 牛込から喰違までの土手遊歩道を江戸城外堀として永久に保存するため
公園とすることが計画され、 1927 (昭和2)年に牛込橋から新見附橋までの区域が「東京市立
土手公園」として開設されました。 なお、 甲武鉄道や近代の牛込濠周辺の変遷については、
駅舎2階に解説板を設置しています。



写真左上:土手公園  右:市谷濠
写真左下:現在の旧土手公園  下中央:四ツ谷御門外  右下:市ヶ谷八幡(名所江戸百景)。
牛込見附の堰に用いられた石
この解説板の横に置いてある石は、牛込見附土橋に構築されていた堰の水路面に使用されていた
もので、駅舎工事にあたり発掘されました。発掘結果や当時の堰の様子をうかがい知れる史料
などを、JR飯田橋駅ホーム上(実際に堰が発見された位置となる牛込橋の真下付近)で
解説しています。」



牛込見附土橋に構築されていた堰の水路面に使用されていた石。



牛込・赤坂間の江戸城外堀の工事方法」案内板。



牛込・赤坂間の江戸城外堀の工事方法
牛込から赤坂にかけての外堀のうち、牛込~市谷までは、 神田川支谷の地形を利用して造られ
ました。 次に四谷・麹町付近は、もともと台地の尾根が横切っている地形であったため、台地を
掘り込み、 赤坂側の溜池の谷へと結ぶ大工事となりました。 この区間の工事は、普請を担う
各大名が組を編成し、 組毎の掘削土量が一定となるように分担されました。
外堀は、喰違見附が最も標高が高く、真田濠より神田川に向かって堀毎に順に水位が低く
なりました。そのため、牛込門 (飯田橋駅西口) のように外堀を渡る土橋には堰が設けられ、
堀の水位を調整していました。 また、自然の谷地形を活かしながらも、城郭としての防御効果を
高めるため、現在の千代田区側の台地に土を盛って高い土塁を築き、急峻な土手が形成
されました。
江戸城外堀は総延長約14kmを誇り、このうち牛込門から赤坂門までの約4km、面積約38haの
堀が国史跡指定されています。 史跡区域には、地形を巧みに利用して築かれた外堀が水を
たたえる姿や、外郭門の石垣、土塁の形態を見ることができます。」



上:「江戸城外堀縦断面模式図」。
左下:外堀掘方模式図  右下写真:喰違から弁慶濠を見る。



江戸城外堀」案内図。



江戸城外堀
江戸城は、本丸・二の丸・三の丸西の丸・北の丸・吹上からなる内郭を内堀が囲み、その表門が
大手門でした。 外堀は、雉子橋門から時計回りに、 一橋門、神田橋門、 常盤橋門など諸門を
めぐり、呉服橋門から虎ノ門、溜池から四谷門、市谷門、牛込門を経て、現在の神田川に入り、
小石川門から浅草門で、隅田川に至る堀でした。 外堀工事は、 1606 (慶長11) 年に雉子橋から
溜池までの堀を構築後、 1618 (元和4)年に駿河台が掘削されて平川 (現日本橋川) の流路に
付け替えられ、神田川が誕生しました。この工事で、平川は堀留橋で締め切られ、独立した堀と
なりました。
1636(寛永13)年には、天下普請で外堀が構築され、江戸の総構が完成します。 この工事は、
雉子橋から虎ノ門に至る外堀の総石垣化と枡形築造を前田・細川・池田・黒田家など
西国外様大名(石垣方六組)、牛込土橋から赤坂土橋にかけての外堀掘削と土塁の構築を東国大名
(堀方七組)が行いました。
その後も幕府は、外堀を維持するために大名の手伝普請による堀さらいをしました。
牛込~市谷間の堀は、 市谷~四谷間より水位が下がり、土砂が堆積し、蓮が繁ったため、
普請奉行の管理下で頻繁にさらいが行われました。 また、町人にも堀にゴミを捨てないよう
町触も出され、 外堀の維持・管理が行われました。」



左:江戸城の門一覧
右上:江戸城全体図
右下:神田川の地形



江戸城」案内板。



江戸城
江戸城は、平安時代末の江戸氏居館、室町時代の太田道灌、戦国時代の小田原北条氏の支城として
受け継がれました。豊臣秀吉は、北条氏を滅ぼすと、徳川家康を関東に移封しました。1590
(天正18)年、徳川家康は江戸城に入城し、江戸城と城下町の建設を始めました。家康入城時の
江戸城には石垣はなく土塁のみで、日比谷も入り江で日本橋・京橋辺りも海面と同じ高さの
湿地でした。
家康は、まず城内の寺を出し本丸を拡張し、城下町の武家地、町人地を整えました。次に、
本丸の南の台地を削り西の丸を造成し、その残土で日比谷入り江を埋め立てました。1603
(慶長8 )年、幕府を開き実権を握った家康は、天下普請として、城と城下町建設に諸大名を
動員しました。同じ年に、神田山を崩して日本橋南の地域を埋め立て、市街地の造成と日本橋の
架橋を行い、翌年には日本橋を起点とする五街道を整備しました。1606 (慶長11)年には
ニの丸・三の丸と城郭の整備、石垣築造を進め、翌年には天守を完成しました。なお、天守は
1657(明暦3)年に大火で焼失した後、再建されませんでした。
1868 (明治元)年、明治天皇が江戸城に入り皇居となり、1960 (昭和35)年、江
戸城内郭の堀が「江戸城跡」として国の特別史跡に指定されました。このほか、「江戸城外堀跡」
と「常盤橋門跡」が史跡に、外桜田門、田安門、清水門とそれぞれの櫓門が重要文化財に指定
されています。」



左上:大手門          右:江戸城跡
左中:蓮池三重櫓
左下:半蔵門



そして、「飯田橋西口」を後にして、「牛込橋」を渡る。



右手にあったのが「みやこ橋」。
入口の橋柱には鳥(ハト?)の像が。



そして右手に「飯田濠跡」を見ながら、外堀通り「神楽坂下」交差点を右折。



そして左に折れ坂を上がって行くとあったのが
軽子坂(かるこざか)
この坂名は『新編江戸志』や『新撰東京名所図会』などにもみられる。
軽子とは軽籠持の略称である。 今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠
(縄で編んだもっこ)に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいた
ことからその名がつけられた。
        平成十五年三月  新宿区教育委員会」



そして目的の店、お好み焼き店『春波』に到着したのであった。



20年以上続いている老舗の関西風お好み焼き店で、久しぶりに再会した旅友5人で
大いに食べて&飲んだのであった。





                                   ・・・​もどる​・・・



                ・・・​つづく​・・・



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Last updated  2023.10.19 06:48:20
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