残暑+河岸の思い出(5)~河岸の花・喧嘩その1~
平成28年9月27日(火) 午前4時半起床。曇り時々雨。このところ、湿りが続いています。未だ蒸し暑く、気温は30℃近くになります。今日もそうでした。この空模様、週末まで続きそう。 早朝出勤。終日、ミーティングやお客様の相手でした。投資計画案件は昨夜で終わりました。今日は早く返ることが出来ると思いきや、懸案事項の会議が長引きました。結局、午後8時をまわりました。帰り道にNHKFM。ゲルギエフ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管をバックにニコライ・ズナイダーがベーヤンのコンチェルトをやっていました。続いてBWV1002からサラバンド。聴き終えて車を降りたら、会社のあれこれを忘れることが出来ました。 妻は出かけて不在。テーブルに作り置きがありました。鯖の塩焼き、牛肉のニンニクの芽炒め。今日も酒に手をつけませんでした。別にどこの悪いということではありませんが、飲んで腹一杯、直ぐにバタンキューして、翌日未明の早起きにはあまりにも芸がないです。でも、朝も晩も本を読むのは芸がありません。ラジオでロッテの応援をしたあと、GYAOで「深夜食堂」を2話見ました。昨夜の3話に続いてです。ほのぼの系。いい感じの番組でした。ipadを手に転がって楽しみました。今日の一句和蘭のオケの響きの木霊する今日の写真はバッタです。先週末、居間の網戸に留まっていました。残暑の残り、まだ元気です。もう1枚、散歩途中に写しました。どうのこうのということはありませんが、こんな雄蘂の微細をして、毎日の路傍も悪くありません。河岸の思い出(5)~河岸の花・喧嘩その1~ 小揚に赤沢さんという人がいました。荷役をする子会社の社員です。築地に着いたトラックからセリ場に魚箱を降ろすのが仕事でした。年齢は50を過ぎていたと思います。生きているとしたら、もう90近い歳です。 小揚は、体力勝負です。腰が命です。傷めてコルセットをし、痛みを騙し瞞しの人が多かったです。中にあって赤沢さんは最年長でした。特別の役目がありました。重いものを持つ必要のない倹貫でした。箱の中身を秤を使って確かめる仕事でした。計った結果を紙に書いて、荷の横に表示しました。その数字は言わずもがな、荷の信用を表します。それはそれとして、彼、数字がとても下手くそだったことを覚えています。 さて、年齢のせいで少し動作が緩慢でした。人相は痩せた蛭子能収が眼鏡をかけるの図。加えて市場は水場でもあります。濡れても構わぬ襤褸を着ていました。小柄なこともあって貧相この上無しでした。しかし、優しさは一等。セリ人見習いの私を可愛がってくれました。 こんなことがありました。先輩の一人、Kはハマチ(養殖ブリ)のセリ人でした。押し出しがよかったです。自意識過剰の大酒飲み。何時もぎらついた顔をしていました。なんでもN大の応援団だったとか。年齢は30代後半かな。ある日の未明でした。赤沢さんの倹貫は、ハマチを何本計っても、どれも100~200g軽いのです。出荷の折、養殖業者が1本一本目方を計測。その数字を発泡スチロールの横にマジックで大きく書いていました。明らかに目方不足でした。正直な赤沢さんはそれを紙に書いて表示しました。遅れてやってきたKがそれを見て怒り出しました。K「足りねーじゃーねーか!」赤沢さん「だって仕方ねーんだよ、後で仲買から文句言われるのは俺だからね」K「てめー、何様の分際で言っているんだ。荷主の信用に関わる。いいから丁度の目方に書き換えろ、このやろう」赤沢さん「いやだね、できねーな。Kさん、あんたそれでもせりにんかい?」K「書かねーんなら書かせてやろうじゃないの、てめー、このやろー!」 Kは赤沢さんの首根っこを掴みました。喧嘩が始まりました。彼は固太りの威丈夫。腕っぷしが強そうでした。赤沢さんは鉄拳を顔に見舞われ、濡れたコンクリートに腹ばいました。小揚の仲間が飛んできて、助け起こしました。セリ人たちもKを後ろから羽交い締めしました。赤沢さんはKに毒づきました。「今日のことを仲買にばらしてやるからな」と。 こんなことを仲買にしゃべられたら,Kだけでなく、荷主の名は地に落ち、会社の信用も失います。セリの終わって、課長が見ていた人たちを一人ひとり別室に呼びました。私も招き入れられました。入る際、Kにじろり、睨まれました。見たままを正直に話しました。最後にKが呼ばれました。後で、赤沢さんに形ばかりのわびを入れたことを聞きました。 後日談がありました。Kが何処ぞのお触りバーで暴力沙汰を起こし、1週間、豚箱に入ったのですクビになるものと思い、喜びました。しかし、しばらくして出社してきました。何もなかったかの如く、あっけらかんとしていました。喧嘩は江戸の華といいますが、今から思えば、河岸には猶その空気の残っていたこともあってのことでした。結局、不問に付されたようでした。 後から、親分にあたる鮮魚部長のAが会社の首脳を言いくるめたと聞きました。Kが築地一番のハマチ売りだったからでした。仕事の出来る部下を失いたくなかったのだそうです。彼は荷の集荷、販売量とも河岸一だったのでした。いつぞや「俺は築地で一番のハマチ売りだ。築地で一番と言うことは日本で一番、日本で一番とは世界一と言うことだ」豪語していました。血走ったぎょろ目、厚い唇。今もよく覚えています。 余談ですが、若手社員は彼に目を付けられないよう、恨まれないよう、媚びたり避けたりでした。私は、赤沢さんの暴力事件以来、告げ口を睨まれました。でも、私自身が大柄だったせいか、彼からのいじめはありませんでした。