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2008年07月17日
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ヤマトタケルの物語は、古事記・日本書紀・風土記に書かれているが、

表記はそれぞれで、古事記が倭建命、日本書紀では日本武尊、風土記

では天皇という呼び名がほどこされている


さて、ここでは、古事記と日本書紀を比べてみたい


古事記の成立年号が和銅五年(712)、書記が養老七年(720)とされており

タケルのお話は成立年からさかのぼること四百年、約四世紀頃の大和

朝廷が西国を統制し、東国を支配する様子をもとにしたお話である


以前にも書いたが、タケルのお話は、地方豪族が朝廷に征服され

従属した後、大王の命により、あちこちに派遣され戦い、そして

また違う地に派遣され戦い続けていく様子を盛り込んだ章だと思っ

ている


日本書紀では、タケルは天皇のためにと、東征を続け、そのタケルの身を

案じる天皇という図式により、朝廷こそが柱として書かれている

まあ、当然であろう、国史として大和政権の正当性を後の世に伝えていか

なければならぬのだから


これが、古事記では、景行天皇に疎まれ、ニシヘヒガシエと休む間もなく

派遣され、戦い疲れ果てて死んでいくという悲劇性の強い、まさにタケル

のカリスマ性を助長する物語として書かれてある


朝廷は豪族を従えるごとに、その中でも伝承を伝え、巫女としての能力を

持つ猿女たちを召抱えていく、彼女たちは、自分たち地方豪族たちに

伝わる伝承を大和朝廷の統一事業のなかに盛り込み、自分たちの存在を

後世に残そうとしたのだ、それはあるときは英雄になり、あるときは女神

として・・・


被征服者の精一杯の抵抗として書かれた地方伝承記である古事記は、

それゆえに、様々な地方の伝統や文化や風習が隠されている


ヤマトタケルノミコトの終焉の地は、能褒野(のぼの)とされており、

足が三重に曲がるほどの状態になったタケルの様子から命名された

三重県に存在している

様々な説に振り回されながら、明治12年、内務省はタケルの御陵は

白鳥塚ではなく、能褒野王塚古墳(日本武尊御陵)であるとして、

発表後、整備した


さてさて、どんなところだろうか・・・スマイルスマイルぺろり



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ということで、次回は能褒野神社をご紹介します



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最終更新日  2008年07月18日 18時04分26秒
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