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テーマ:ニュース(99487)
カテゴリ:国内政治
少し前の話題であるが、これからのわが国の社会で問題となる
高齢化と介護、そして人間の生きる意味を含む話題ゆえ、 知っている人も知らなかった人も、少しの間、おつきあい願いたい 06年にとある母と息子が無理心中を図った、息子は一命をとりとめた 無職片桐康晴は、95年に父親を亡くし、その頃から母親に認知症の 症状が出始め、仕事と併用して、ひとりで介護をするようになった 05年、母は徘徊の症状まですすみ、警察に度々、補導されるようになった 康晴は仕事を休職し、デイケアを利用したが介護負担は軽減せず、会社を 退職する 同時に、生活保護を申請したが失業給付金期間であったため、認められず 介護と両立できる仕事を探すも難航し、失業給付金もストップ カードローンも限度額に達し、ここに心中を決意する 心中当日の06年2月1日、車椅子の母を連れて京都市内を観光した そして伏見区桂川河川敷の遊歩道で母にこう告げた 康晴「もう生きられへん ここで終わりやで」 母親「そうか、あかんか 康晴、一緒やで」 康晴「すまんな」 母親「康晴はわしの子や わしがやったる」 母は、康晴のおでこに額をくっつけ、そう言った そして、片桐康晴は母親の首を絞めて殺害、その後自分の首を包丁で 切り自殺を図るが、発見が早く、一命をとりとめた 京都市内観光は、母への最後の親孝行のつもりであった この裁判の意見陳述中、傍聴席からはすすり泣く声が多く聞かれ、 東尾裁判官も目を真っ赤にし、刑務官までもが涙を流していた 康晴が最後に述べた、「今度生まれ変わるときも母の子に生まれたい」 という言葉は、それまでの献身的な介護の過程を考えれば、決して 嘘ではないであろう 判決は、懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年) 06年公判当時の記事として、産経新聞を載せておきます
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近くの人でも、少子化、過疎化の波を受けて
同居している家庭の数は少なく、まだ夫婦でいる 分にはよいのですが、独りになってしまい 体が悪くても、認知が出てきても公的なケアなど 望むことも出来ず、遠方の息子や、娘が週末 などに買い物をしたり、身の回りのことをします それが原因かわかりませんが、嫁は嫁の親の介護 本人は自分の親の介護をそれぞれにするうちに 離婚した方もいます。大家族や、お金があって ゴージャスな施設を保障されている人と違い 大半が、老人の単身世帯。嫁はもはや他人であり あてにならず それに見合ったケアが出来なければ (2008年07月22日 19時18分55秒)
>「人に迷惑をかけずに生きようと思った」という片桐被告の信条さえも“裏目”に出た。
涙が出ます。 主人の祖父は、祖母が痴呆になり家族全員で介護していた最中、嫁である主人の母親が癌を宣告されました。 三世代の家族であっても、こうなると生活は一変したようです。 祖母の痴呆が進み、祖父は、下の世話から何から率先して誰にも迷惑をかけずに愚痴もこぼさずに献身的だったそうです。 ところが、自らがリウマチを患い、体調の異変を感じた時に、祖母の面倒が見れないと悩んだあげくに、県外の土手で車に火をつけて一人で焼身自殺をしてしまいました。 県外であれば死亡記事が新聞に掲載されないであろうと・・・ 「人に迷惑をかけずに生きようと思った」 この思いが深く胸につきささります。 (2008年07月22日 20時30分06秒)
辛いです。
脳溢血で伯母が倒れ 手術をしても全身麻痺になると言われつつも 手術を頼んだ従姉妹 伯父は介護して自分も倒れたら嫌だと 何もせず…病院も今は長く入院できず ご主人の理解もあり 伯母を引き取り介護していた従姉妹はくも膜下で伯母とご主人と小学生の男の子と中学生の女の子を残して逝きました。 伯母は病院に移され1年後 従姉妹に呼ばれるように亡くなりました。。。 介護本当に大きな問題です。年のせいか余計に現実的な心配がつきません。。。 (2008年07月22日 22時54分56秒)
父が自由に動けなくなった頃(寝たきりにはなっていませんが)介護認定の手続きを取りました。
・・・って取るまでどれだけ煩雑で複雑で解り難い手続きだった事か! 申請しても認可が下りるまでにまた色々な書類を書いたり人が来たり。 何回聞いても解りません! 理解出来るような簡素化した手続きにしなければ、本当に必要な時に間に合いません! (2008年07月23日 00時18分27秒)
医者が寝たきりになりそうな人には注射をして安楽死させたとも言います。
また、少し前までは兄弟も多く、家族の広がりも大きかったのですが、戦後の家族制度の崩壊で、家族といえば同居の家族だけを指すようになりました。 いま、日本政府は人手不足から介護の現場にも外国人を入れようとしています。 しかし、介護を他人に頼む、まして外国人にまで頼むのはまともでしょうか? 考えてしまいます。 (2008年07月24日 21時12分50秒)
核家族化が進み、老老介護など特に大変な状況であるのだろうと思われます。例えば80歳の認知症を患っている親を介護しているのは60歳の息子や娘などというのは戦中戦後の親子ではさほど珍しくないのでしょう。
知り合いに姑が倒れたとき、息子が近くにいながらもお嫁さんは一切介護をしようとしない、その息子も嫌がるのを無理にさせないという家族がいました。(夢穂さんと同じく)その家庭自体が崩壊しましたが・・・。 有料老人ホームでさえ、何十人待ちというのを聞きます。そういった中、自分自身の生活の安定を継続させながら親の介護も100%というのは、今の世の中では厳しいのでしょうね。 実際、そういった事件が起こるたびに自分たちの両親や自分の将来まで不安になることがあります。 高齢化社会に向けて、数年前に介護の資格を取る人が溢れていたにも関わらず、賃金が低すぎて職離れが増えているようですね。 私の友人に施設ヘルパー(社会福祉士資格あり)をしている人が何人かいますが、そういった施設にいても一人ひとりに充分なケアを行うことは、限界があると言います。 素人での限界が死に繋がることは避けたいです。 (2008年07月24日 23時58分19秒)
このような社会の到来は予測されていたとはいえ
対処法がおくれてしまっていることは残念です 正直、元気なうちに死ぬということも 人として大切なことかなあと思えてしまいます (2008年07月26日 00時53分22秒)
頭関係は、血筋もありますが
一般生活でのストレスがかなり大きく影響を およぼすそうです ストレスのない社会など考えられないので ストレスを減らす環境を考えなくてはなりませんな (2008年07月26日 00時57分33秒)
私の友人が二人、長期間の介護に疲れ果てて『うつ病』になってしまっています。
一人は長年の祖母の介護の疲れで、もう一人は母親はいたものの病院への送り迎えも含め20年間にわたる父親の介護の手伝いの疲れから。二人とも抗うつ剤がだんだん効かなくなり、さらに強い薬をつかって身も心もぼろぼろになっているようです。 私も家内はいるものの87の義母との二世帯同居、他人事ではありません。 (2008年07月27日 23時18分48秒) |