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2010.01.03
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テーマ:戦争反対(1185)
カテゴリ:戦争と平和
特別高等警察(特高警察、あるいは特高)という組織をご存じでしょうか。戦前の日本に猛威を振るっていた思想取り締まり警察です。1945年10月にGHQの指令によって解散させられています。その特高警察が、「特高外事月報」(特高月報)と呼ばれる報告書を毎月発行していました。当時は極秘資料でしたが、戦後内容が表沙汰になっています。

私自身は特高月報の現物を持っているわけではありませんが、いくつかの書籍に、その内容が紹介されています。それを読むと、思想取り締まり警察が私人間の会話にまで介入して、「犯人」を逮捕する社会の恐ろしさ、そしてそれにも関わらず「流言飛語」を根絶することなど不可能な現実がよく分かります。

そもそも、どのような法的根拠で、私人間の会話を特高警察が取り締まれるのかというと、陸軍刑法第99条に「戦時又ハ事変ニ際シ、軍事ニ関シ造言飛語ヲ為シタル者ハ7年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス」という条文があります。「陸軍刑法」なのですから、本来この条文は陸軍軍人に対して適用するものですが、これが1937年以降、民間人に対しても適用できることになった。むしろ逆に陸軍軍人に対しては、憲兵が取り締まりを行うため、特高は手出しができず、特高はひたすら民間人だけを標的に取り締まりを行っていたのです。「軍事ニ関シ造言飛語」が、いかに拡大解釈され、恣意的に逮捕の口実とされていたかは、以下に示す、特高月報に記載された実例を見ると分かります。

福島県62歳主婦「一人息子を招集され、生活に困るから税金は納めない」(1937.7)この発言が、「左翼分子等の反戦的策動」として「犯人」が検挙されているのです。(「戦争動員と抵抗-戦時下愛知の民衆」佐藤明夫・同時代社P217)

岡山県32歳売薬行商人「最近の支那兵は仲々強く日本兵が相当殺されている。それに今度の戦争はロシヤ、アメリカ等も支那を援助するから戦争は大きくなるばかりだ。日本は半年位の戦争で金は無くなってしまう、大和魂があっても金がなければ戦争は負ける敗戦になると敵の飛行機が来て爆弾で老人も女も死んでしまう。大蔵大臣は開戦に反対したが、陸軍大臣が10円の税金が20円になっても搾り取って戦争をするといって遂に開戦となってしまった。戦争の時の決死隊は志願のようにいっているが願い出るものは1人もなく、皆命令だ爆弾三勇士も命令で死んだのだ」(1937.7、犯人検挙、懲役3ヶ月執行猶予3年)
(「戦争ができなかった日本-総力戦体制の内側」山中恒・角川書店P55)

後者の発言は、発言の内容としてはかなり思い切っていますが(1937年の時点で、一行商人がここまで先を見通していたとは)、それを知人に話しただけで懲役3ヶ月というのですから、恐ろしい。

豊橋市47歳青物商「今度の戦争は大資本家擁護の戦争だ。貧乏人の我々はどうでもよい戦争だ。それなのに戦争に出るのは貧乏人ばかりだ」(1937.9検挙)(「戦争動員と抵抗」P223)

名古屋市57歳米穀商「今日では、債券は6割から7割ならいくらでも売手ばかりだ、しまいにはわやだ」(1941.7刑法第105条「人心惑乱罪」で送検)(「戦争動員と抵抗」P218)

名古屋市40歳靴職人「天皇陛下は俺たちから高い税金を取って、盆正月がきても下駄一足も買ってくれたことがないじやないか」「日本はアメリカと大きな戦争をぶっ初めやがったが、小さな国がなんで勝てるものか」(1942.1「不敬造言飛語罪」で検挙)(「戦争動員と抵抗」P224)

豊橋市23歳工員「戦争で国民は苦しんでいるが、戦争などに負けても国民は亡びるわけではない」「天皇は偉いといふけれど、国民の中には天皇より偉い人物はいくらでもある」「今、政府と吾われとは喰ふか喰はれるかの戦いであって、天皇を倒すぐらいのことは訳はない」(1943.1検挙)(「戦争動員と抵抗」P224)

名古屋市無職(元新聞記者)と幼稚園経営の夫妻、長男の戦病死に際し、親戚・知人十数人に送った死亡通知に「拝啓御無沙汰致し候、予て出征中の愚息小尾正事去る12月11日、南支広東省沙頭方面に於て所謂名誉の戦死否犬死を致し申候。ああ24歳の若桜、人生の春にも逢はで無理に散らされ申候、家庭共は経をあぐる代わりに写真を前にして泣いてばかりをり候。今更戦争の大罪悪なることを心より痛感致し候、ああ」と記載(1943.10検挙、ただし釈放)(「戦争動員と抵抗」P227)

これらの発言はいずれも市井の一般市民の間の会話です。そのようなところにまで特高警察が目を光らせて、「反軍的」な会話を取り締まる。そのことも恐ろしいですが、これらの会話がどうやって検挙されたのかと考えると、結局は告発(密告)であろうと考えられます。つまり、こういう発言をいちいち特高警察に「御注進」に及ぶ市民も少なからずいた、ということです。まさしく、物言えば唇寒し、です。

ところが、それだけ厳しい取り締まりを行っても、この主の発言は根絶するどころか、逆にどんどん増えていきます。「戦争動員と抵抗」には、愛知県内の軍需工場で、度々反戦的な内容の落書きがあったことが記されています。落書きすら、特高警察が捜査するのですから、怖い時代です。ただし、さすがに落書きは多くの場合犯人不明で終わったようですが。戦争末期には、そのような落書きばかりではなく、各軍需工場ともかなり高率の欠勤率を抱えていたと言われています。もう、どうやっても厭戦気分の高まりは、阻止することが出来なかったわけです。ただしそれでも、表向きはっきりと「戦争反対」と主張することはできなかった。もし、それが出来ていたら、あと何ヶ月かでも早く戦争は終わったかも知れません。たった10日早く戦争が終わっただけでも、戦争の犠牲者は何十万人か少なかったはずです。広島・長崎の原爆はなかったし、ソ連の参戦もなかったかも知れないですから。
そう考えると、自由にものが言えない体制が、いかに国の進路を誤らせるか、ということを痛感します。
ところで、特高警察は1945年10月に解体され、その構成員の多くは一時公職追放となりますが、冷戦のはじまりとともにほとんどが追放解除され、公安調査庁や公安警察などに再就職して、結局元のさやに戻ってしまっています。現在の公安警察は、こういうことをやってきた特高警察が原型になっている、これが現実です。





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最終更新日  2010.01.03 13:46:20
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