カテゴリ:My舞Life
先週は、休みをいただいて実家に帰り、仕事と、家事の日常に戻った。時々今日父はどんな治療をうけているのだろうか?と心配になる。
昨日の電話では,回診以外特に治療はなかったようで,今日は,27日に抜歯した部分の傷口の治療をすると言っていた。 また,歯を抜かれていたら,,,と思うと,こちらもストレスがたまる。 夜は, 医者との会話が一つ一つ思い出されると,,,,眠れない。 冷静に考えるとなんてひどいことを言う医者だろうと思う。 ”放射線をやると死に際がきれいだ,癌の腫瘍から血がにじんで,口から血を垂らさなくてすむ(吐くといったのか?)。”まともな言葉では”大きくなるにつれ気道をふさぐので苦しくなる,食べ物が通りにくくなる” 医師の話が国立がんセンターのマニュアルを読んでいるように味気ないものだったし,そういえば,私が病室にいたときの看護士の対応も忙しいのかひどく事務的に思えた。彼女たちのキャラなのかも知れないけれど・ ”@@さん検温ですよ。”一人一人体温計を渡す。笑顔はない・ 病室で聞いた言葉はそのくらい。 前回日赤病院に入院したときは,年寄り相手でも若い看護士さんが,,@@さんどう?げんきかい_良かったねえ家族の人たちがきてくれた今日は楽しいね?,,と絶えずにこにこして応対していたように記憶している。こちらまで恐縮したくらい話しかけてくれた。 ”癌との共存はあり得ません。確実に死にます” ”ぼけられたら,癌の患者は治療できないんですよ。放射線治 療の台に自分で登ってもらわなきゃねぇ。何分かじっとして てもらわないと治療ができないんですよ。だからぼけた患者 の治療は出来ません” ”気休めにあけて閉じるという手術もできますがね。ちょっ と体力いるんで。” 私が,,し残したことがあると思うので,家で整理する時間をほしい。と 言ったら ”あの年くらいになったらそんなことないですよ” ”もう充分いろんなことしていますからね” 私は身辺整理という意味で言ったのですがね。アドレス帳を持ってきているわけでもなく,し残した老人会の仕事だってあるはずだから。(釧路市の老人会の会長を引き受けていた) 返す言葉がなかったです。 これは父のミスであるが,父が太股の付け根?から点滴をしていたときの点滴針が残されていると勘違いしていたことも, ”ぼけ”と決めつけ,”確かめたのですか?ちゃんと見て確かめなきゃ” ,,と医師と,看護士で高ぴしゃに言う。 素人の私だって,痛みのトラウマと考え,哀れに思胃,勘違いしたってしょうがないと思うのに,医療を二携わっている人(たち)の言葉じゃないと思った。看護士も二人同席していたので。それとも介護は教わっていないのか? ”,,,,そうですか。。。そうだったのですか” ,,というごくふつうの言葉で十分救われる。 柔らかい言葉って結構救いになったりするんですよね。 老いている人間に対しての彼らたちの歩んできた人生は見えないのかと思った。 お迎えのおじいさんも歯を抜かれたらしい。 酪農を営んでこられたおじいさん。 笑ったしわくちゃの顔に,彼の優しい人柄が浮かばれる。 そんなことを思い出しているうちに1時をすぎ,先週の疲れで10時にはベッドに入ったが(お風呂にも入らず),,お風呂を沸かし,入浴。ぬるめの豆乳でほっとして床に入る。 みぞおちがきりきり痛む。たぶんストレス。 これ以上に父はもっとストレスを感じていると思う。 いや,父の事だから事務的に,これからのことを書き記しているに違いない。 声もか細くなってきているが,”元気”の元は,”気” 何とか心の体制を整えて乗り切ってほしい。一日一日が勝負だと思うから。 負けないで! 今日のいいこと日記は 私もつよくなったモンだ。。。。と思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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