カテゴリ:おつきあい・マナー・ともだちとか
2002年6月よりブログを初めて当時からブログでおつきあいしていただいているのは決して多くはないです。でも お会いした事ないのに私の事を家族より知っているかもしれません!
途中でブログを閉鎖してしまった方。 休まれてるけどたまに覗いてくれる人。ときどきメッセージを残してくださる人。たまにどうしているかなって思う気持ちが伝わるのでしょうか。。 久しぶりの連絡はとてもうれしいです。 最近 懐かしい故郷のかおりを運んでくれた人がいます。介護関係のお仕事をされていて 私が お世話になった ケアマネさんと 今月お会いになっているようです。 当時を思い出します。。。平成15~18年 父が末期がんで それでも体力はあったので普通に生活をしていました。 母は、認知症が始まっていました。母に対して父の看護と主婦としての毎日は無理と 介護サービスを勧めた時も両親とも難色を示しました。私と喧嘩もしました。 自分たちは出来てる。完全と思うのです。父も治るものだと信じていたようです。この時期は。 その後、母の入浴拒否、着替えに無頓着、外出拒否。必要以上に警戒心が強くなる。玄関に鍵が4個も。泥棒が入るという。外出をしないので近所の人に不信感を抱く。おそらく潜在意識の中にヘルパーさんという他人が入って来た事、父の病状を受け入れられない事、不自然に私が毎月帰宅する事により不安をさらにあおったのかも、財布、印鑑、通帳を(隠す)→その場所の忘れるの繰り返し。その度に私も母をせめていた時期がありましら。 それでも従姉妹夫婦と ケアマネさんの連係プレイで4年間 最後の釧路を過ごす事ができました。私だけが月に一度顔をだし、あれこれと注文をするやりにくい人だったかも。 買物サービスと談話から初めてそれでもお願いするのは当たり障りのないものばかり。肝心の食材は病人の父が買いに行ってました。人に頼む事に慣れてなかったのです。 台所を許すまで半年から1年かかりました。 おんなにとって台所をとられるというのは 相当抵抗があるのかも。 母が活躍できる場もつくりました。 おいしい珈琲をいれてもらい(ドリップで) みんなで母の入れた珈琲はおいしいと褒めちぎりました。。。。 お風呂は拒む、体を拭いてもらうのがやっと。 足を洗ってもらうのがやっと。やがてそれが楽しみに。。。 ある年の春。 私が入浴したあと、良い香りの入浴剤に誘われて 母がお風呂に入った事から 初めてヘルパーさんに心許して全て任せる事ができました。 男女の中でもそうだけど、人は 裸になって 心を許すのかもしれませんね。 それから比較的 良い関係を築けたと思いますが、父の命は残り1年もありませんでした。 お世話になったケアマネさん、ヘルパーさんに改めて感謝です。 母を素敵に持ち上げてくださり、優しく接してくださり、地震がくれば真っ先に様子を見に来てくださり、近所まで来ましたと 様子を見に行ってくださったり。何かあれば従姉妹と相談してその時の決断で対処していただいていました。 本当に感謝です。 新しい年が始まったこの時期に 当時の事を感謝できる事に喜びを感じます。 介護全てに携わっている方尊敬します。 素晴らしい事を職業にされている事に誇りを持たれてこれからも頑張ってほしいと思います。 医療現場に介護のサービスの方は入れないですね。ここが辛かったですね。 私は仕事があるので茨城にいました。 病室でひとりぼっちの時間が長過ぎました。 なんとか融通がきかないものかと 思いました。 母はちゃんと覚えています。冬に咲く花の名前の ケアマネさんのこと。。。 本日の感謝日記でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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