044711 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

いただき繕@UK

いただき繕@UK

Calendar

2011.12.18
XML
カテゴリ:in OBAN


食べ物(自分の体に入れたイノチ)で自分が構成されている、
そしてその食べ物の性格によって自分の性格もどちらかというと
その傾向を示すようになる。

例えば、
一番簡単な例として、
肉を食べ続けると攻撃的になる。

また、
動物性のものを食べたり、飲んだりすると
性欲が増す。(特に牛乳)

油っこいものを食べ続けると、
性格も油っこくなる。

なんでもかんでも混ぜた料理ばかり食べていると
性格もぐちゃぐちゃになる。

納豆みたいなものを好んで食べると
粘り強くなる。
くっついて離れない性格になるかもしれないが…。

シンプルな野生に近いものをずっと食べていれば
シンプルで一本気になる。
しかし、今のこの世とは迎合しにくくなる可能性も出てくる。


今の体・意識を形成している大部分にとっての「異物」が入ると
それに反発する力が働く。
例えば、僕が今、肉を食べようものなら、
すぐさま腹痛を起こすだろう。

だいぶ前の話だが、チーズを食べた翌日に
急激な腹痛が起こり、トイレに駆け込んだ。
その後は何事もなかったかのような
いやにスッキリした自分がいた。

そういえば、子供の頃、
牛乳を飲んで、よく腹痛を起こしていたが、
学校給食だったから飲まざるを得ず、
半ば、我慢して飲んでいたら、
そのうち気にもならなくなり、
むしろ、大好きになったということもあった。


ここで問題なのは、自分の体が何を「異物」ととらえるかだ。


おそらく、肉ばかりを食べて、肉で構成されている人ならば、
いくら肉を食べても、それを「異物」と感じないだろう。

逆も全く同じで、野菜ばかりを食べて、
野菜で構成されている人ならば、
いくら野菜を食べても、それを「異物」と感じないだろう。

そして、そのイノチが持っている性格に
知らず知らず、自分がなっていく。

この「異物」を感じる、いわば、体のセンサーみたいなものが
人間本来持っているセンサーに近ければ良いのだが、
そうでないならば、違った方向に人間が
導かれてしまうことになりかねない。

「パンドラの箱をあけた」
というのはおそらく「食べる」
という行動から始まったのだと思う。

「食べる」
という行為が単なるモノを入れる行動ではない。

毎回毎回の食事が、真剣勝負になってくる。



また、センサーを構成するのも口に入れたイノチなので
一つのモノばかり食べていると、あまりにも一体化しすぎて
他に対する拒絶反応を起こしてしまうことにもつながる。
例え、世間でいう良いモノをたべていたとしても。

極端な例でいえば、
100人村人がいるとして、その100人全員が賛成している中で、
ちょっとでも反対する人がそこに入ろうとするならば、
全員の反発を買うことになり
まず、その中に入ることは不可能だろう。
もしその村人が攻撃的ならば、
下手をすれば、命すら落としかねない。

「拒否」する力があまりにも強すぎると
これもこれで
この世の中で暮らしていくにはあまりにも不都合が多い。

そこに「受け入れるスペース」
というのを残しておきたいものだ。
例えば、その村に入ろうとした、
反対している人が
何で反対なのかを聞いてみようという姿勢。
まあ、こういう人もいてもいいんじゃないかな
と思えるような姿勢。

もちろん、
そこにはそう思わせる
今まで口に入れた「食べモノ」の性格にも
よるのだろうが。

ここが根本的に重要なことだと思う。

何事も感謝と謙虚で受けとめることができること。
変化を認める姿勢。

それこそがいただき繕の実践で求められることなのだろう。


「拒否をする」
ということが、ほんとに申し訳なく思えてくる。

そして、その食べモノの存在意義を
十分に認めて、同じ仲間として
受けいれることの方が
しっくりくる。

変な例かもしれないが、
コーヒーは、たしかに体によくないのかもしれない。
ある意味、明らかに麻薬だと思う。
でも、僕にとって、時と場合によりけりだが
長距離を運転する時や、そしてどうしても元気がでない時は
飲むこともある。

重要なのは飲むときの姿勢だ。

この世にコーヒーという存在が身近にある以上、
別に必要以上にとることもないが、
そう体が要求する時には、とってもいいかなと思っている。

そして、それはある意味、
彼らに助けを求めている面もあって、
そんな思いで摂取すれば、
彼らも、やはり役に立とうと
必死に自分の能力を発揮しようとして
くれるような気がするのだ。

人間についても同じことがいえる。
役割が与えられると、人間は輝きだし、生き生きとし、
その持っている能力を十分引き出すことが可能になるだろう。


この視点がどうも世間では欠けている、
というより避けようとしている。
まぎれもない事実だと思うのだが。



食べ物が容易に手に入る時代、
(もちろん、ごく限られているが)
というのは幸せなようで実は全くの逆。

いろんなものを入れすぎてしまうから、
自分の性格もぐちゃぐちゃになる。
自分の意思統一が図れなくなる。
だからこそ、今はこんな混沌とした世の中になっているのだ。

「食」がきちんとなっていれば、
自然と落ち着くところに落ち着くだろう。

自分の体のことがわかれば、
地球規模、宇宙規模のことがわかってくるはず。
基本的におなじだから。

だからこそ「食」というのは
最重要(という言葉ではとても形容しがたいけど)なのだ。

すべての人が考えて実践すべき最優先事項であるのは
間違いないと思う。


By Yasu





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.12.19 05:06:41
コメント(0) | コメントを書く
[in OBAN] カテゴリの最新記事


Freepage List

Favorite Blog

農哲学院@貊mya… 農哲@福井さん
農哲学院@Scotland… 雲と水さん
農哲学院@貊meak美… ノウテツさん
農哲学院@貊イタリ… 農哲@イタリアさん
フランス農哲学院海… 農哲@フランスさん

Comments

マム@ ありがとう 遠い遠い外国で娘が暮らしています。 学…
マム@ ありがとう 遠い遠い外国で娘が暮らしています。 学…
いただき繕@UK@ Re:なるほど そうそう、もう無駄な抵抗はやめることに…
農哲@福井@ なるほど  ふにゃふにゃになって自分の闇にも 相…
いただき繕@LONDON@ Re:いい時間をお過ごしください!(08/28) お久しぶりです、コメントありがとうござ…

© Rakuten Group, Inc.