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カテゴリ:民俗学
一夢庵 怪しい話 第3シーズン 第146話「デンデラ野」
柳田圀男の遠野物語の中に、いわゆる”姥捨て山”の話があるのですが、要約すると、遠野地方では60歳になると家から追い出す風習があったということになります。 もっとも、日本人にとって”人生50年”というのはそれほど極端な話ではない時代の方が長いわけで、公的年金の制度が運用され始めた頃は60歳から年金が支給されていた事を考えると、遠野の風習がそれほど極端だったとは言い切れないところがあります。 それどころか、生活保護の認定条件が厳しくなった21世紀の日本でも、公的年金の受給資格を持たず、十分な預貯金も無く、働く先も無い人が60歳を越えて生きていく事はかなり難しかったりします。 ちなみに、デンデラ野というのは家から追い出された老人達がまとまって住んでいた場所の通称で、特定の一カ所の固有名称ではなく、どこの集落でも近くにデンデラ野と呼ばれる場所があったようです。 話によっては、集落からかなり離れた山の中に年寄りを置き去りにする場所があり、そこに年老いた母親を背負って向かっていると、時折、背中の母親が道端の木の枝を折って目印をこさえていたりします。 息子は、”家に帰りたい母親が、自分が帰るときの目印をこさえているのか?”と思いながらも目的の場所まで運ぶのですが、目的地に着いたとき母親から「帰りは私が折った木の枝を目印にして迷わず帰れ。お前がここに送られてくるときは、同じように目印をこさえてやれ。」と言われる話もあります。 このあたり、今日は背負って運んだ息子も、母親と同じ年齢まで生きていれば同じようにここに運ばれてくるという現実にその時思い至ったとか、子は親を見捨てようとしているのに、捨てられる親の方はまだ子のことを心配している事にほだされてしまうとかいった解説がされることもあります。 物語では、この後、集落の掟というか慣習に背いて年老いた母親を再び背負って家に戻り、家の中に匿って住まわせ、老人ならではの智恵で難事を解決することで報酬を手にしてめでたしめでたしと終わるパターンが多いのですが、実際には、親も子も納得の上でその場に置き去りにしたようです。 特定の山の中に捨てていく場合は、戻ってこられないように脚を石などを使って折ってしまう習慣があった地域もあるようで、事実上、親殺しが行われていたと解釈できるケースもあります。 * 山に捨てられた親達が、後に意思が挫けて帰りたくなっても物理的に帰れないように、自ら脚を石で砕いていたという話もあります。 もっとも、遠野に限らず、姥捨ての風習があるような地域では、臨月の胎児や産まれたばかりの子供を殺す間引きの風習があることも珍しくなく、子殺しもまた恒常化していたりします。 いわゆる”臼殺し”で、子供の口に蒟蒻をねじ込んで声を止めておいて頭に石臼を落として殺し、屋敷内の土間の特定の場所や家への上がり口の石の下、家の側の特定の畑などに遺体を埋めていたようで、この風習もかなり長く続いていたようです。 ただ、生きている人達も、自然条件が少し乱れると飢饉に襲われ、飢饉が深刻になると人の肉が売り買いされたり、家と家とで死体を交換して食べたりした記録も残されています。 戦後生まれの日本人から見れば、まさに生きながら地獄に落とされているような風景が日常だった時代からそれほど時間は経過していないわけですが、戦後の高度経済成長期以降の日本の社会状況の方がよほど特殊な時代だったりします。 殺したくなくても共倒れして全員が死ぬのを防ぐには、働けない親や子を殺すしかなく、飢饉ともなれば人の肉を喰わないと生き残れなかった地域は、ある意味で日本中の至るところに実在していたと言えます。 もちろん、大阪や江戸(東京)を中心に商業活動が活発になり、貨幣経済が発達した結果として、商人に富が集中するようになり、土地持ち百姓から合法的に土地を巻き上げた商人達が地主や大地主になっていった事も地方の”貧しさ”を加速させていった要因だったりします。 水飲み百姓でも自作農ならばまだましなのですが、貨幣経済の浸透と交易範囲の拡大は、商人と比べれば計算や利に疎い農民の多くを自作農から自分の土地を持たない小作農へ追い落とすこととなり、農村は徐々に変質し疲弊していったわけです。 こうした社会変化の構図は、20世紀末頃から叫ばれるようになった”経済のグローバル化”と共通するところが多く、いわゆる小泉改革に私が一貫して反対していたのも、その行き着く先が既に江戸時代の日本において実証されていたからだったりします。 遠野のあたりで、老人をデンデラ野に追いやる習慣は明治の初め頃まで続いていたそうですが、遠野に限らず他の地域でも同様の行為は行われていたようですし、明治以降でも不景気になれば、実の娘を牛や馬を売るように女郎屋などに公然と売る光景というのは昭和の初め頃まで珍しくなかったりします。 ただし、田舎に残るのと女郎屋に売られるのと、どちらがマシだったのかと聞かれると、なんとも言えないところがあります。 ところで、集落の近くにあったデンデラ野の場合は、朝になれば”墓立ち”といってデンデラ野から出て集落の畑仕事を手伝い、夕方になれば”墓帰り”ということでデンデラ野に戻り、死ねば近くの森の中などに埋められていたようです。 かってデンデラ野であったとされる場所には、老人達が寝床にしていたとされる平たい石が幾つか残っている事があるのですが、これは、開墾するのが難しいような場所がデンデラ野になっていたということかなと。 ある意味で、積極的に死なせる姥捨て山と異なり、集落の近くのデンデラ野の場合は、集落全体で養えるだけは養う特殊な老人ホームだったという理解でもいいのかもしれません。 が、飢饉ともなれば最初にしわ寄せが行ったのはデンデラ野で暮らす年寄り達だったのではないかと思われます。 まあ、そういったデンデラ野の風趣が消えて100年ほど経過し、かってデンデラ野であった場所が新興住宅地となっていたりするケースもあるそうですが、開発業者や地元の人は口をつぐんでいるでしょうし、他から移って来る人がその辺りのことを気にするかどうかは微妙な話かもしれません。 かって処刑場があったような場所で怪奇現象が頻発するといった話は、これまでに何度かしているのですが、その集落で産まれ育った皆が納得ずくの制度だったデンデラ野のような場所ではどうなるのか? いずれにしても、少子高齢化が急速に進行し、温暖化などの影響で食糧供給が逼迫してくる事が予測されている21世紀の日本というのは、世界の中で日本全体がデンデラ野と化していく過程にあるのではないかと私には思われます。 逆に言えば、この後、日本がどうなっていくのか?という質問への一つの解答は、既に百数十年前に出ているわけで、他の道を選ぶだけの時間的な余裕や意思があるかどうかで、別の回答が導かれることもあるのかなと。 そういえば、”世界が最後を迎える時には、生き残った者が先に死んだ者達を羨むようになる”とでもいった内容を含む預言が幾つか存在するのですが、長生きしてもろくな事がないんじゃないかと思い始めた日本人は意外と多くなっているかもしれません。 初出:一夢庵 怪しい話 第3シーズン 第146話(2008/04/01) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.07 02:22:18
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