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2010.01.24
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カテゴリ:昔話・物語
マは漫画のマ 第51回 「みゆき」(あだち充:あだち・みつる)

 1970年代の少年少女を対象とした漫画に関して言えば、勢いの少年漫画、緻密な少女漫画という差が明確にあり、少年漫画の絵は少女漫画の絵に比べると稚拙な作品が多く、その一つの頂点が勢いとノリを重視した作品が多い週刊少年ジャンプの作品群だったのではないかと。

 そんな中、振り返ってみて、ターニングポイントとなった事件が、光瀬龍先生が原作の(伝奇SFかハードSFかは意見が分かれるところですが)「百億の昼と千億の夜」が週刊チャンピオン誌上で、少女漫画のカリスマである萩尾望都先生の絵で連載(1977~1978)されるという、現在でも不可能に近いコラボが実現したことではなかったかと。

 実際、当時は、トップクラスの少女漫画の作品を読み慣れてしまうと、少年漫画の特に画力のレベルの低さに気がついてしまい、”なんで、少年漫画はこんな下手くそな絵でかまわないんだ?”という疑問を少なくとも当時の私が抱くには十分な差がそこにはあったと言えます。

 そんな時代に、週刊少年サンデー増刊号で”ナイン(1978~1980)”の連載が始まり、少女漫画業界から”あだち充”が少年漫画業界へと戻ってきた事で、後に漫画業界全体が地殻変動を起こすことになっていったのですが、もちろん、当時は誰もそんなことを予想もせず、単純に”従来の野球漫画と違って絵が綺麗だし面白いストーリーだなあ”で終わっていたのでした(大笑)。

 この”ナイン”という作品は、”タッチ”や”クロスゲーム”など、後の”あだち充の野球漫画”の母胎といってもいい要素をあれこれ含んでいる事でも知られているのですが、”ナイン”を読んで、他のあだち充の作品を読んでみたいと思った当時の男の子達が、結果的に、少女漫画時代のあだち充作品に行き当たり、後に”陽あたり良好!(1980~1981)”などを中高生の男の子まで購入する現象に繋がった事でも知られています。

 といっても、当時、比較的容易に手に入った少女漫画家時代のあだち充の作品といえば、”夕陽よのぼれ”とか”泣き虫甲子園”といった原作付きの少女漫画時代の作品で、一つの特徴として、少年漫画ではそれほど描かれていなかった”主要な登場人物が死ぬ”作品が多かったりするのですが、ある意味で、後のあだち充作品で登場人物が死ぬ事が珍しくない原因をこのあたりに求める説もあります。

 いずれにしても、少女漫画業界で飯を食べた経験は、あだち充作品に少女漫画の文法や作画ノウハウを習得させたようで、やたらと効果線が多用され巨大な吹き出しが乱舞する傾向が顕著だった当時の少年漫画業界の中で、ちゃんと絵でも見せる少女漫画系作品の連載が始まったと言っても過言ではない状況だったと言えます。

 もっとも、少女漫画を執筆していた女性漫画家と少年漫画を執筆していた男性漫画家が結婚した場合など、旦那さんの画風が変わり、明らかに奥さんの構図や絵が散見されるようになった事例も次第に増加していった時代でもあり、少年漫画業界の画力革命とでもいった時代に突入していったとも言えます。

 というか、少年ビックコミックで連載された”みゆき(1980~1984)”と同時期に週刊少女コミックで連載が始まった”陽あたり良好!(1980~1981)”は、かなり読者が重複し、少年漫画しか読んだことが無かった少年達が少女漫画に本格的に接触することとなり、一種の黒船現象がそこで発生した結果、少年漫画の稚拙な絵の革命が始まったとも言えるのではないかと。

 この傾向を決定付けたのは、週刊少年サンデーで連載された”タッチ(1981~1986)”がTVアニメとの相乗効果もあって社会現象となったことと無縁ではないのではないか?と邪推しているのですが、見ていてイライラするほど下手な絵は次第に減少していったと言えます(偏見)。

 実際、1980年代中頃あたりから、少年漫画でも”1枚の絵だけでも鑑賞に耐える”画力の漫画家が増加し、劇画の要素も持ち込まれ、絵の幅というか間口が広くなっていったのですが、漫画業界全体のハードルが高くなった反面、今度は次第に多様性が無くなっていった事で少女漫画業界の地盤沈下が始まっていくこととなったのですが、その辺りの話はまた別の機会に別の作品で。

 話を”みゆき”に戻すと、少女漫画では定番だったラブコメの要素を本格的に少年漫画に持ち込んだ作品であり、あだち充作品では定番の”三角関係”を多重展開した作品であると同時に、主要なキャラクターを誰も死なせずに多重三角関係を清算して破綻せずに完結した物語になっています。

 あだち充作品には、野球やボクシング、水泳などのスポーツを軸に展開する作品が多く、その意味では、スポーツの要素がほとんど無い”みゆき”は異端の作品ということになるのですが、考えてみれば、少年漫画に”主人公と同世代の女の子”を持ち込んで、きちんと”恋愛”させたあたりが一つの特徴なのかもしれません。

 妹に甘いくらいで他は特に特徴が無い主人公の”若松真人(わかまつ・まさと)”と、その(義理の)妹にして帰国子女という設定の”みゆき”、真人の同級生で学年のアイドルにして(若松みゆきに言わせると)性格は良いが男の趣味が悪い”鹿島みゆき(かしま)”の間の(当時の少女漫画では珍しく無かった)リアルなHシーンが皆無な上に温い三角関係は、実の(あるいは義理の)姉妹を持たない男の子達の一部に”妹が欲しい”と思わせるのに十分だったようで、後の”妹萌え~”の元祖的な作品なのかもしれません。

* ただし、”みゆき”のモデルになった(当時)女子中学生が実在した事は一部では有名な話。

 正直なところ、連載された少年ビックコミックが隔週のマイナーな少年漫画雑誌だったこともあって、連載が開始された当初は人気が無いというよりも認知されていなかった作品だったのですが、単行本になったあたりから口コミの”布教活動”などによってファンが広がっていったのは有名な話。

 このあたり、少年ビックコミックがマイナー少年漫画誌だったからこそ、当時は海の物とも山の物ともわからなかった本格的なラブコメ漫画の連載が可能だった側面もあり、他にもラブコメ作品が他誌に比べて多かったことから、”軟弱路線”と評されていたのですが、まあ、”勝てば官軍”ということで(笑)。

* しかしながら、看板作品であった”みゆき”や”エリア88(1979~1986:新谷かおる)”の人気を有効活用できなかったためか読者が固定化し、後に読者の平均年齢の上昇を根拠に主にヤングサンデーへ改変され姿を消したのでした。

 ”みゆき”の映像化も当然のように期待され、TVアニメ化(1983~1984)やドラマ化1986・月曜ドラマランド、2007・フジテレビ721)、映画化(1983)もされたのですが、なぜか不思議なくらい原作を改変したり、独自解釈が加えられた結果として破綻する傾向が顕著で、TVアニメは内容的に迷走した末に視聴率が低迷したためか事実上の打ち切りとなった事で知られています。

 というか、TVアニメの主題歌の”思い出がいっぱい(H2O)”は歴史に残る大ヒット曲となったものの、明らかに原作とは異なる展開にコアな原作ファンほど早々とTVアニメの視聴から撤退した事で知られ、その後の実写TV版も、”みゆき”風でさえない怪作としてファンの間では語り継がれているのでした。

 もっとも、最大の不幸は映画版で、ラブコメの極北に位置するピンクとバイオレンスな作風で知られる井筒和幸を監督にしたあたりで破綻は必然で、何より監督本人が”内容のなさに呆れた”と後日公言した事で、”原作をけなすくらい嫌なら監督を受けるな”と私なんぞにまで未だに根に持たれているのでした。

 逆に言えば、自分が内容が無いとしか思えなかった”みゆき”が、なぜ作品中の主人公達と同世代の若い衆達を中心に熱烈に支持されたのか?が理解も分析もできなかったというあたりがクリエーターとしての井筒和幸の限界だったことを如実に示しているとも言えるわけです。

 実際、”みゆき”も、その後の作品群も、膨大な数の漫画やラノベなどに基本設定や話の展開などがパクられたり踏襲される形で支持され続けているわけで、”あだち充が少年漫画に復帰する以前と以後”という線が漫画の歴史の中で引けて、前述したような急激な地殻変動を生じさせる原因となったのではないかと。

 時代の変化ということでは、”ナイン”の連載がはじまった頃のあだち充の知名度はお世辞にも高かったとは言えず、”みゆき”あたりで人気に火が点き、”タッチ”あたりから加速度的に人気が上昇していった感があるのですが、1990年には単行本発行部数が累計で1億部を突破し、やはり同時期に累計1億部を突破した高橋留美子と並んで、未だに週刊少年サンデーの看板漫画家として君臨しているのは御存知の通り ・・・

 ・・・ ただし、絵の完成度が元々高かったこともありますが、主要なヒロインを含めて登場人物達のデザインが”みゆき”の頃からほとんど変化していないあたりで、その本質が”希代のストーリーテラー”にある事を示しているのではなかろうかとも私は思っています。

(2010/01/24):マは漫画のマ 第51回 「みゆき」:書き下ろし。





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Last updated  2010.01.24 05:20:57
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あだち充   背番号のないエース0829 さん
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(2019.12.14 21:22:59)


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