「鈍感で悪かったですね。俺あなたみたいに人の癇に障るような性格じゃないんで。」
「・・嫌味ばかり言うんだな、わたしには。」
「嫌味を言いだしたのはそちらの方でしょう?」
「本題に戻ろうか。単刀直入に言うが、わたしは君がこの家に滞在することを快く思っていない。それだけは覚えておいて欲しい。あと、妹にはあまり親しくしないようにしてくれ。」
「シスコンですねぇ、鷹城警部補って。あんなミーハー女、相手にいたしませんからご心配なく。押しが強いのはタイプじゃないので。」
聖良はそう言って溪檎をベッドから押し退けた。
「お話はもうお済みになりましたか?」
「ああ、お休み。」
溪檎は眉間に皺を寄せながら、部屋を出て行った。
その頃、リヒャルトは鷹城のレッスン室でピアノを弾いていた。
曲名はショパンの「革命」。ピアノを習い始めた頃すぐにマスターした曲だ。
目を閉じて弾きながら、リヒャルトは故国のことを思った。
自分が生まれ育った国は、かつては山の緑と海の青が美しい国だった。
だが内戦により、豊かだった国土は荒れ果て、民は飢餓や病気に苦しんで次々に死んでいった。
何としてでも故国をあの独裁者の手から救い出さなくてはならない。
そしてかつて欧州一風光明媚と謳われた故国の美しさを、必ず取り戻さなくては・・。
ピアノを弾き終わり、レッスン室を出ようとした時、人の気配がして振り向いた。
だが薄暗い廊下には誰もいなかった。
「気の所為か・・」
リヒャルトはそう呟いて廊下を歩き始めた。
数秒後、暁人が遠ざかるリヒャルトの背中をじっと見ていた。
(あいつが、聖良の好きな人・・)
あの舞踏会の夜、聖良と楽しそうにワルツを踊っていたあの男。
艶やかな黒髪に、ラピスラズリのような美しい瞳。
そして、自分にはない、逞しく引き締まった肉体。
聖良はあの男に惚れている。
自分といる時よりも、聖良はあの男と楽しそうに笑っていた。
松久邸で自分とあの男以外人質を解放しろと彼が言いだしたのは、あの男と一緒にいたかったからだ。
暁人はベッドサイドに置いている1枚の写真を見つめた。
そこには高校2年の時の文化祭に撮ったもので、十二単衣姿の聖良と束帯姿の自分が写っていた。
たった一度だけ、自分が舞台の上で輝いた劇だった。
あの時、周囲は自分に優しくしてくれた。
いつもクラスの中心的存在だった聖良も、あの時は完全に独占できた。
もうあんなチャンスは二度と来ないと思ったが、再び自分にチャンスと幸運が巡ってきた。
あんな男に聖良を奪われて堪るものか。
(聖良は俺のものだもん・・絶対にあいつなんかに渡さないんだから!)
翌朝、暁人が台所へ行くと、聖良が昨夜の約束を守ってくれていた。
「おにぎり、本当に作ってくれたんだぁ、嬉しいなぁ。」
「お前との約束は守らないとな、友達だし。具は何がいい?鮭がいい、おかかがいい?」
「ツナマヨがいいなぁ。」
「わかった。じゃあ向こうで待ってろ。」
「ねぇ、聖良。」
「何だ?」
聖良が振り向くと、暁人が昨夜見せたあの表情を浮かべながら、自分を見ていた。
「聖良は、ずぅっと一緒に俺と暮らすんだよね?」
「・・まだ、解らないけど、そういうことになるかな。」
「そう・・聖良は何処にも行かないよね?俺の傍にずっと居てくれるよね?」
「も、勿論だよ。」
「そう、よかったぁ・・」
そう呟いた暁人の瞳には、狂気の色が少し滲んでいた。
◇―第1章:完―◇
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