「はぁい、どちら様ですやろうか?」
数日後、近藤と歳三は吉田拓人から見せられた年賀状の住所を頼りに、荻野千尋の嫁ぎ先である鹿児島県南九州市にある農家を訪れた。
「すいません、こちらに荻野千尋さんという方、おりませんかねぇ?」
「ああ、嫁でしたら今息子と買い物に行っちょります。」
玄関先で近藤と歳三に応対した老女は、そう言うと家の奥へと消えていった。
「やっぱり、突然来て怪しまれたんだろうか?」
「まぁ、そうだろうな・・」
そんな会話を二人がしていると、老女が一冊のアルバムを持って玄関先に戻ってきた。
「すいませんねぇ、今うちの中が散らかっていて、お客様を中に入れる訳にはいかんのですよ。」
「こちらこそ、突然ご連絡もせずに伺ってしまってすいません。それ、アルバムですか?」
「ええ。これが、息子の結婚式の時に撮った写真です。」
老女はそう言ってアルバムを捲ると、一枚の写真を近藤と歳三に見せた。
そこには白無垢姿で夫の隣で微笑んでいる荻野千尋の姿があった。
「わたくし、千尋さんの弟さんの知り合いなのですが、一昨年千尋さんお子さんをお産みになったとか・・」
「ああ、雅夫のことですね。あの子を産むとき、千尋は生死の境を彷徨ってねぇ。あたしらは毎日、豊玉姫神社にお参りに行ったもんですよぉ。」
老女はエプロンの裾で涙を拭った。
「あの子はねぇ、凄く良い子ですよ。普通、農家の仕事なんて若い子は嫌がるもんでしょう?でも千尋は、率先して農作業を手伝うし、組合の集まりにもちゃんと顔を出すしねぇ・・あの子が来て、家の中が明るくなりましたよ。」
「そうですか。」
もうここに長居する必要はないだろう―そう思った歳三は、老女にアルバムを返すと、近藤とともに野崎家を出た。
「荻野千尋は、幸せに暮らしているんだな。」
「ああ。」
駅へとタクシーで向かいながら、近藤と歳三がそんな話をしていると、向こうから一台のワゴン車がやって来るのが見えた。
その車の中の運転席には若い男が座っており、その隣には荻野千尋が座っていた。
彼女は夫と何かを話しているようで、時折夫に笑顔を浮かべていた。
その笑顔を見た時、歳三の脳裏に、吉田拓人の言葉が甦った。
“姉は漸く過去の苦しみから解放されて、新しい家族と共に幸せな未来に向かって生きているんです。”
実母と祖父母を義理の父親に殺され、実父から性的虐待を受けていた荻野千尋。
その壮絶な過去の呪縛や苦しみという鎖から、彼女は漸く解放され、新しい家族に囲まれて毎日笑顔を浮かべながら暮らしている。
もう、彼女を追うのはやめよう―歳三がそう思った時、不意に助手席に座っていた千尋が歳三の視線に気づいた。
彼女は、歳三に向かって会釈した。
「さっきすれ違ったタクシーに乗ってた男、知り合いか?」
「ううん・・でも、昔お世話になった人だから・・」
「そう。なぁ、今夜は母さん達を連れて何処かで外食でもしようか?」
「そうね、たまにはいいわね。」
千尋はそう言うと、嬉しそうに笑った。
「拓人君、元気でね。」
「浅田さん、今まで僕を支援して下さってありがとうございました。アメリカに行って、本格的に法律の勉強をしてきます。」
(姉さん、僕達はもう過去の呪縛から解放されたんだ。あの時僕が母さんを殺したことは、もうみんな忘れているよ。だから幸せになってね、姉さん。)
(了)
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