「それでは行って参ります。」
「兄上、お気をつけて。」
「わたしが留守の間に、父上と母上の事を頼む。」
「はい。」
戊辰の戦が終わり、明治の世となってから早八年となった。
横浜港で、環(たまき)は英国留学へと向かう兄・涼介の見送りに来ていた。
「そんなに寂しがるな。毎日文を書くから。」
「はい・・」
「これをわたしだと思って、大事に持っていてくれ。」
別れ際、涼介は蒼玉(サファイア)の指輪を環に手渡した。
「こんな高価な物、どうしたのですか?」
「それは秘密だ。環、俺にもしものことがあったら、その時は・・」
涼介がそう言いかけた時、船の汽笛が高らかに鳴った。
「父上たちの事を、くれぐれも頼んだぞ。」
「はい・・」
それが、環が涼介の姿を最後に見た時だった。
涼介が渡英してから一月後、彼は約束通り環に毎日文を送ってくれた。
文には、英国での生活の事や欧州の文学や医学について書かれていて、兄の文を読んだ環は自分も英国に居る様な気分を味わえた。
だが、その文も渡英してから二月もすると絶え、半月経つと一通も来なくなった。
「兄上はお元気なのでしょうか?」
「便りが来ぬのは元気な証拠だと、昔から言うではありませんか。そんなに気を病むことではありませんよ。」
涼介からの文が途絶え、不安がる環に、母の際はそう言って環を安心させた。
兄は必ず自分達家族の元に帰って来るー環はそう信じて兄が帰国する日を指折り数えて待っていた。
だが、兄は英国から帰ってくることはなかった。
「父上、母上、お話がございます。」
夕食後、環はそう言って両親の方を見た。
「話とは何です、環?」
「わたし、兄上を捜すために英国へ渡ろうと思っております。」
「 そんな危険な事はおやめなさい。兄上はいつか帰ってくるでしょう。」
「ですが・・」
「環、お前が渡英したい気持ちは解る。今お前が渡英しても、涼介にすぐに会えるという可能性は限りなく低いのだぞ。」
「父上・・」
「もうこの話は終わりだ。」
その日以来、環は渡英の話を両親に持ち出すことはしなかった。
しかし彼はまだ、渡英することを諦めていなかった。
「先生、おはようございます。」
「おお、誰かと思ったら環ではないか。こんな朝早くからどうしたんだ?」
翌朝、環は兄の知人である優駿(ゆうしゅん)の元を訪れた。
優駿は涼介と同じ藩校に通っていた学友同士であり、将来有望な若者であったが、維新後家が傾き、優駿は琴や三味線を近所の娘達に教えていた。
“武士の子が芸事に現を抜かすなどはしたない”とかつて優駿は近所の住民達から陰口を叩かれていたが、その芸のお蔭で日々の生活費を稼いでいる。
「先生、近々お仲間とともに渡欧されるそうですね?」
「日本文化を世界に知ってもらう為に、巡業することになったのさ。それで、頼みって何だい?」
「その巡業に、わたしも連れて行ってくださいませ。」
「いいだろう。但し、ひとつ条件がある。わたし達の巡業に同行できるような腕前を持つことだ。」
「と、申しますと?」
「今日から君に厳しく芸事を叩き込む。覚悟をしてついて来るんだな。」
「解りました。本日から、どうぞご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど宜しくお願いいたします、師匠。」
にほんブログ村