1912年6月。
横浜市内の教会で、菊とアレクシスは両家の家族に見守られながら、結婚式を挙げた。
彼女は、母が遺してくれた純白のウェディングドレスを纏い、アレクシスと腕を組みながら真紅の絨毯の上を歩いた。
「菊さん、結婚おめでとう。末永くお幸せにね。」
「有難う、梨沙子さん。」
親友である梨沙子から祝福の言葉を受けた菊は、彼女にブーケを手渡した。
「今度は貴方が幸せになる番よ。」
「菊さん、有難う。」
結婚式を挙げた菊とアレクシスは、船上で披露宴を行った。
楽団がワルツを奏でると、花嫁の菊とその父親であるルドルフが最初にダンスを踊った。
『そのドレスは、タマキが・・』
『お母様は、素敵な贈り物を遺してくださったの。お父様、わたくしアレクシス様と幸せになるわ。』
『お前達なら、きっと幸せになれるさ。』
ルドルフはそう言うと、水平線の彼方を眺めた。
かつて海を渡り、環とこの異国の土を踏んだ記憶が、不意にルドルフの脳裏に甦った。
『お父様、どうなさったの?』
『いや・・昔、お母様と共に海を渡った時の事を思い出してね。あれから、随分と長い時が過ぎてしまった・・』
『もう、そんな事をおっしゃらないで。もう終わった事ではないの。』
『あぁ、そうだな。過去よりも、未来の事に目を向けなくてはいけないな。』
アレクシスと結婚した菊は、暫く横浜の実家で過ごした後、ウィーンへと戻った。
「お姉様、また会える?」
「ええ。お母様、お父様と弟の事を宜しくお願いします。」
「解っているわ。菊さん、体調を崩さないように為さいね。」
「はい、解りました。」
「キク、これをお前に。」
横浜港で娘夫婦を見送りに来たルドルフは、菊に環の形見である琥珀のブローチネックレスを渡した。
「身体に気をつけるんだぞ。」
「ええ、お父様もお身体をご自愛為さってね。」
菊は船が出航し、港から離れるまで、両親と弟に向かって手を振った。
それが、父と娘が最後に日本で過ごした日になった。
1916年11月22日。
ルドルフの父であるオーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝・フランツ=カール=ヨーゼフ一世は、第一次世界大戦の最中、病に倒れ86歳で没した。
その翌日、ルドルフも肺炎に罹り、二番目の妻・瑠美子と長男・誠、そして娘夫婦に見守られながら、58年の生涯を終えた。
ルドルフの遺体は生前の遺言に従って火葬され、その遺灰を持って菊とアレクシスは亡き母の故郷である会津若松・猪苗代湖へと向かった。
「この素晴らしい景色を、お父様はお母様と一緒にご覧になったのね。」
「ああ。」
ルドルフの遺灰を菊とアレクシスが湖に撒くと、天から射した光の中で、環とルドルフが仲良く手を取り合って天へと向かってゆく姿を、二人は見た。
(お父様、どうかお母様と天国で幸せになってください・・)
-完-
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