「薄桜鬼」の二次創作小説です。
制作会社様とは関係ありません。
二次創作・BLが嫌いな方は閲覧なさらないでください。
1912(大正元)年8月1日、京都。
この日は、「八朔」と呼ばれ、芸舞妓が日頃お世話になっている芸事の師匠やお茶屋に感謝の思いを伝える行事である。
その日に、晴れて舞妓として店だしを迎えた一人の少女が居た。
「千鶴ちゃん、おめでとうさん。」
「おおきに、おかあさん。」
白粉で顔を塗り、下唇だけ紅をつけたその少女の名は、雪村千鶴。
元は医者の娘であったが、ひょんなことから祇園甲部にある屋形(置屋)「野村」の仕込み(見習い)となり、厳しい修業を経てこの晴れの日を迎えたのであった。
「おかあさん、これからは千鶴ちゃんやのうて、“春月”ちゃんどす。」
「あぁ、そうやったなぁ。いつも呼んでたさかい、気がつかへんかったよぉ。」
「もう、おかあさんたら。」
「春月ちゃん、これから色々と辛い事あるやろうけれど、気張りよし。」
「へぇ。おおききに、鞠千代姐さん。」
「まぁ、あんたには竜胆さん姐さんがついてはるから、大丈夫や。」
「そやなぁ。」
さえと鞠千代がそんな事を話していると、二階から一人の芸妓が降りて来た。
「春月、おめでとうさん。」
「おおきに、竜胆さん姐さん。」
「ほな、そろそろ行きまひょか。」
「へぇ。」
黒紋付の振袖とだらりの帯姿の千鶴は、男衆に手をひかれながら、贔屓筋の置屋や料亭、そして芸事の師匠宅への挨拶回りをした。
「八朔の日にお店だしは、えらい縁起が良いなぁ。春月ちゃん、これからもお気張りやす。」
「おおきに、これからも精進致します。」
そう言って、千鶴は頭を深く芸事の師匠へと下げた。
「あぁ、疲れた。」
「そんな事を客の前では二度と言うんじゃぁねぇぞ。」
「竜胆さん姐さんこそ、そないな言葉遣いは、やめておくれやす。」
「うるせぇ、俺ぁ、こんななりしているが、江戸の男だ。」
「今は江戸やのうて、東京どす。」
「うるせぇ、どっちも同じだろうが。」
そう言って竜胆こと土方歳三は、乱れた髪を直す振りをして、鼈甲の簪で頭を掻いた。
地毛で日本髪を結う舞妓とは違い、芸妓の髪は殆んどカツラだ。
だが、歳三だけは舞妓時代から伸ばしている髪で、「島田」という芸妓の髷を週に一回、髪結いに結って貰っている。
それ故、髪を結ったら最低七日は洗えないのだった。
「暑くて仕方ねぇや、畜生。」
京都の夏は、東京のそれとは違い、盆地であるが故に、うだるような暑さだ。
千鶴と歳三は、上半身や顔には全く汗を掻いていないものの、下半身は汗で濡れ、それが黒紋付の振袖や着物に吸い込まれ、自然と二人の足取りが重くなった。
「大丈夫か?」
「へぇ。」
「あと少しで屋形に着くさかい、お気張りや。」
「へぇ。」
漸く挨拶回りを終えた二人が屋形に着くと、二人を迎えた「野村」の仕込み・さゆりは、すかさず二人に冷たい麦茶を出した。
「さゆり、何べんも言うてるやないの、そないな冷たい飲み物出したらすぐにお腹壊してしまうやろ!」
「へぇ、すいまへん!」
「まぁまぁ、そないに怒らんでもええやないの。さゆりかてこの暑い日に挨拶回りした姐さんの事気遣ってくれたんや。」
「さゆりちゃん、おおきに。」
「今日は夜までお座敷詰まっているさかい、二人共鰻でも食べて精を出しよし。」
「おおきに、おかあさん。」
「ただいま~!」
玄関の戸が開き、一人の少年が居間に入って来た。
彼は野村利三郎、女将の一人息子だった。
「あら利ぃちゃん、お帰り。」
「その呼び方、やめてよ。」
利三郎はそう言うと、栗鼠を思わせるかのような大きな緑色の瞳を瞬かせた。
「あんたも鰻食べたらどう?」
「いや、いい。この後、友達の家に行くから。」
「そうか。あんたは小さい頃はお母さんお母さんとうちの後ろを金魚の糞みたいについてきてくれたのに、えらい薄情な子に育ったもんやわ。」
「まぁおかあさん、男の子なんてそんなものどす。」
「竜胆・・いや、トシちゃん。あんたがうちへ来た時は、利ぃちゃんが生まれる前の事やったわな。まだあんたは六つか七つやったねぇ。」
「えぇ、姐さんにもそんな時期が?」
「あんた、阿呆か。誰もが生まれた瞬間から歩ける訳ないやろ。」
「そりゃそうだけど・・」
「まぁ、この際やからあんたにも話しとくわな。トシちゃんが何でうちへ来たんかをな。」
さえはそう言って一旦言葉を切った後、茶を一口飲んで静かに話し始めた。
「あれは、岐阜で板垣退助はんが襲われはった、三月前の事やったわ。丁度松の内の事やった。その日は、えらい朝から大雪が降って寒かった事をよう覚えてるわ。なぁ、トシちゃん?」
「あぁ・・」
歳三は、少しぬるくなった麦茶を一口飲み、初めて「野村」の敷居を跨いだ日の事を思い出していた。
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