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現在「隅田川」と呼ばれている川は、1629年の荒川瀬替えにより荒川の本流となったが、洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、こちらが現在「荒川」と呼ばれている。
1965年に出された政令によって荒川放水路が荒川の本流となり、分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった「隅田川」に改称されたそうな。 古くは 835年の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼ばれたそうです。 江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれていた。また、大川右岸、特に吾妻橋周辺から新大橋周辺までを大川端(おおかわばた)と呼称します。 本来、両国とは両国橋をはさんだ隅田川の両岸の呼称であり、現在の両国である旧下総国側(墨田区側)を東両国(向う両国とも)、旧来の武蔵国側(中央区側)を西両国と呼んだ。西両国の北に隣接する柳橋も含め、両国は江戸屈指の歓楽街として栄え、特に両国橋西詰の両国広小路は見世物などの小屋が立ち並んで賑わった。 その後、両国駅の開業や両国国技館の開館にともない、両国という地名はおもに東両国を指すようになっていったと考えられる。 1971年には住居表示にともない、中央区の日本橋両国は周囲の日本橋米沢町、日本橋薬研掘町などとあわせ東日本橋と改められ、現在は中央区東日本橋2丁目となっている。一方、墨田区側は1967年に東両国から両国へ改称された。 東日本橋町内には東日本橋両国商店街があったが、2004年前後に名称を変更し、東日本橋やげん堀商店会となった。現在、中央区内では両国広小路の石碑や両国郵便局などに両国の名を残すだけです。 なお、薬研堀は七味唐辛子発祥の地と言われている(七味のことを「薬研堀」と呼ぶことがあるのはこの名残)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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