凛々(りり)しい冷泉帝(画像あり)
2000円札の裏側には、冷泉院が描かれております。冷泉院は、冷泉帝の譲位後の院号です。その冷泉帝は、「大原野」に行幸しております。「行幸(みゆき)」の巻の原文には、「そのしはす(12月)、大原野行幸にて」「雪ただいささかうち散りて」と記されています。(「行幸」は「御幸」とも書く」)冷泉帝は、桐壺帝の女御で先帝の四の宮・藤壺中宮を母として生まれました。本当の父は、源氏の君です。冷泉帝は、大原野行幸に源氏の君を誘いますが源氏の君は断ります。自分が本当の父であるということを言い出すことができない遠慮があったからです。冷泉帝のその美しさについて、「源氏物語」「行幸」の巻では次のように記しています。下の原文の写真9行4字目から10行末尾まで。「みかど(帝)のあか(赤)色の御ぞ(ころも)奉(たてまつ)りて、うるはしううごきな記(き)御かたはらめに、なずらひ聞(きこ)ゆべき人なし」 現代語訳は次の通りです。「冷泉帝は、赤色の衣(ころも)をお召しになり、端整で麗(うるわ)しいご様子で、凛々(りり)しいそのお姿は、世に並ぶ者がないほどです」 平安時代、晴れがましい儀式のおりの、天皇は赤色の衣(ころも)をお召しになられます。原文の7行3字目から10字目まで。「にし(西)のたい(対)のひめ君」と記されております。「西の対の姫君」とは、夕顔を母とする玉鬘(かずら)の姫君です。玉鬘の姫君の視線から冷泉帝のお姿が描かれております。